第1話 アニメ ジョゼと虎と魚たち
〇総評
テーマは身体障碍者の自立についてです。お涙頂戴や努力が大事というありきたりなものではありません。
本作アニメ版で感心するのは、原作短編のフェミニズム思想が非常に強い内容を上手く換骨奪胎したことです。原作が身体障碍者と女性の不自由と同一視して結婚を否定するようなニュアンスが感じられる作品でした。アニメ版は結婚についての思想を切り離し、身体障碍者の自立や健常者からの接し方の視点に切り替えたのは見事ですした。その上で素晴らしいラブストーリーに仕上げています。
映像としては、画像の処理が実写的ですし、一部アートを感じさせます。作画は非常に丁寧です。新海誠的な画像ではなく独自性があるのが好感が持てました。
〇あらすじ(ネタバレ注意)
恒夫はある事故がきっかけで脚が不自由で自らを「ジョゼ」と名乗る女性の世話をすることになった。「ジョゼ」の我儘に閉口するも、身体障碍者の現実と「ジョゼ」の内面に触れて辞めるにやめられない。恒夫には海外に留学し世界の海でダイビングしたいという夢があった。ジョゼも海にあこがれていて、ぎこちないながらも2人は心を通わせて行く。そして、ジョゼも独り立ちしたいという気持ちになっていた。
祖母が他界しお金が続かなくなったジョゼは恒夫と一緒にいる理由がなくなる。恒夫はそれでもジョゼの面倒を見ようとする。恒夫を想うライバルの女性二ノ宮にジョゼは、恒夫は海外留学に行くのだからもう解放しろと迫られる。ジョゼは恒夫と仲たがいしかかる。そんな時、恒夫はジョゼをかばって事故にあってしまう。
決まりかかっていた留学の希望が断たれ、また障碍が残り2度とダイビングが出来なくなる可能性もある恒夫はふさぎ込む。一方で、ジョゼは自分の道を進み、恒夫を何とか励まそうとメッセージを送る。恒夫はその気持ちに応えて懸命にリハビリに励み、そして再び留学の夢をつかみとる。その後…
〇考察・感想
身体障碍者がテーマです。一般的な社会が身体障碍者に対して以下に過酷なものかという視点はあります。冒頭の悪意のある車いすに対するイタズラ。そして、駅でぶつかってくる中年男性。それが「虎」と考えていいでしょう。
一方で、身体障碍者を囲い込むことによる「甘やかし」の視点もありました。祖母は自分の身体の弱さゆえか面倒だからか、ジョゼを外に出したがりません。社会福祉として雇用のあっせんを受けても、断ってしまいます。この囲い込みとジョゼの自由へのあこがれが非常に丁寧に描かれていました。
原作において(※原作については下記に記載)「魚たち」は水槽の中に閉じ込められた存在で夫婦生活の自由のない状態のアナロジーになっていました。それを自由・夢・あこがれのアナロジーに転換したのが本作の最大の工夫でしょう。
身体障碍を描いているようで夫婦を否定した原作に対し、アニメ版では夢の実現を描いています。ここに時代の変化が感じられます。自立した上で男女は対等に恋愛できる。そこに身体障碍は関係ない。お互いの夢への思いやりとリスペクトだという結論になっています。原作と表裏の関係ではありますが、さわやかで希望が持てる結論になっていました。
身体障碍者は社会の中で危険にさらされていて守るべき存在として描くだけでなく、自立のためには障碍者の意思が必要で、その意思を実現するために自立のための援助ときっかけが必要だ、というテーマが素晴らしいストーリーで描けている名作だと思います。
ジョゼの成長が非常に丁寧に描かれていて、はじめ性格が悪いように見えて、魚の部屋でジョゼの海へのあこがれと創造力がその内面にと閉じ込められているのがわかります。それが祖母により抑圧された環境のせいだとわかってきます。しかも、その祖母の考え方は一見ジョゼの安全のためだと見えなくはないのが曲者です。
自分で海の水の味を確かめる、というのは社会=海、厳しさ=しょっぱいと見れます。アナロジーとして見事でした。ジョゼという名がサガンの登場人物という設定を上手く活用して図書館にジョゼの可能性を作ったのも良かったです。そして、自分が障害で苦しんでいるという視点から恒夫が自分と同じ立場になるかもしれない、というときに励ますというジョゼの成長に感動しました。私の感動ポイントはジョゼの成長、これにつきます。
二ノ宮はジョゼを恋愛のライバルとして身体障碍関係なく対等の目線になっているのも面白い表現でした。なおジョゼの「ジョゼ」へのあこがれは、抑圧された性欲でもありますが、そこは隠していましたね。逃げととれなくはないですが、テーマの焦点を絞ることを考えたのかもしれません。
〇「ジョゼ」とサガン3部作
本作ヒロインが名乗る「ジョゼ」はサガンの「一年ののち」から始まる3部作のヒロインです。「ジョゼ」は美しい女性で男たちにモテモテです。ただ、本人は自分自身の意思が弱く、男たちの間を漂っているような感じです。流されて妻帯者と寝てしまうような女性です。そして、紆余曲折ののちに金持ちと結婚します。そこで記者として自分らしい道を見つけたかに見えました。が、私生活での夫の囲い込みと、社会生活でも実は自分の仕事は夫のおぜん立てだったことを知り、その生活から抜け出すという話です。サガンは実存主義者であり、契約結婚を実践したサルトルの影響のせいか、固定概念による社会制度である結婚を批判的だったようです。
なお「一年ののち」「すばらしい雲」「失われた横顔」は絶版で近くの図書館でも置いてませんでした。どうしても読みたくて通販で買いましたが、かなり薄い文庫本が1冊1500円×3とかなり高い買い物となりました。大きな図書館に行くなりしないと、読むのは難しいかもしれません。
〇原作
その影響を受けた本作原作は設定は一緒ですが、2人の夫婦生活を暗い水槽の中の「魚」にたとえ「死んだのと同じ状態」という結論を導いています。
原作のヒロインジョゼの「ジョゼ」に対するあこがれは、おそらく女としての男にちやほやされること、セックスへのあこがれ、何より自由であること、だと思います。これはフェミニズム思想に基づく家父長制の廃止につながるものだと思います。原作の田辺聖子氏の主張でもあるでしょう。
印象的なシーンでアパートに一人引っ越した時、同じアパートの中年が「乳さわらせてくれれば手伝ってやる」ということを言ったりします。女の性が男にとって貨幣価値を持つことのアナロジーですね。また、父親は女を作ってしまっていますし、ジョゼの世話をしていた父親の愛人はジョゼの生理が始まったら面倒だと施設に入れてしまうという説明もあります。
原作はそういった夫婦のもろさ、結婚生活の閉じ込められた感じ、男女の勝手さ、女の肉体などフェミニズム運動の思想がかなり濃く見える作品で、身体障碍者の問題よりも結婚の否定、女の性についてのメッセージが全面に出てくる感じがする作品でした。ただし、かなり短い短編ですが身体障碍とフェミニズム思想が物語として上手く収められており、ジョゼのキャラもかなり分厚いものがあり、読み解き街のある作品となっています。
ですが、サガン3部作や原作を知らなければ本作が読み解けないわけではなく、本作ヒロインの方のジョゼが女としての性へのあこがれを持っていたと押さえればいいと思います。あとでも言いますが結婚生活の否定のようなニュアンスは感じられません。
〇実写映画
なお、日本の実写映画版も見ました。これはこれで一つのラブストーリーでした。日本映画でよくある原作の意味をゆがめているところはありますが、身体障碍者で閉じた世界に住んでいるジョゼの性格をよく表現している点と、暗い雰囲気がとても良かったです。エロいことが好きな恒夫、身体障碍者のせいで性と広い世界にあこがれるジョゼ。この2人の刹那的な関係と別れを描いています。ある意味では恒夫との関係を持つことでジョゼは自立できたという捉え方もできて、いい結末だったと思います。
韓国映画版は見ていません。
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