第28話 非公式の面会
それから10日後。
シリウスは青葉宮の一室で、ガルシア夫人とともにひとりの男性に会っていた。
いや、謁見したというべきか。
シリウスは実際にこうやって目にするまで、冗談だと思っていた。
あるいは誰か全然別の人間を連れてきて、適当にシリウスに紹介するのかもしれないと勘ぐったりもした。
だが。
ガルシア夫人に連れられて入室してきた男性は、面紗をつけており、ダルニアン皇国の民族衣装を着用していた。
みるからに高位な立場であることはその衣服の素材を見れば一目瞭然であったし、なにより香りからして違った。いままでシリウスが嗅いだことのないような。
この国の香水とは根本的に違う質の香りを漂わせてその男性はこの場に現れた。
年のころは40代半ばというところか。
金色の髪はきれいになでつけられ、細身の体は引き締まっていて、どことなくネコ科の肉食獣を思わせた。
面紗で目しかわからないが、瞳の色は抜けるような空の色。
自分と同じ金色の髪に青い瞳。
それは。
母譲りであることを、シリウスは知っていた。
「ダルニアン皇国皇帝陛下でございます」
ガルシア夫人は苦み走った顔で告げた。
当の本人はというと、用意された椅子に座り、いたくご満悦で目の前に立つシリウスを見ている。
「そちがマレの息子か?」
ダルニアン皇国公用語で尋ねられる。シリウスはうなずいたもののそれ自体が失礼だったと気づいて慌ててその場で片膝をついて頭を垂れた。
「シリウスと申します、皇帝陛下」
「よい。伯父と甥の間柄ではないか。立ちなさい」
促されてシリウスはゆっくりと立ち上がる。
「ほんに。マレによく似ている。のう、ガルシア女官長よ」
「ですから肖像画をお送りしたではありませんか」
ガルシア夫人が片手で額を押さえ、苛立った声を上げた。
「あれを見てどうしても会いたくなってのう。馬を飛ばしに飛ばしてきてしまった」
あっけらかんと皇帝陛下は笑う。
「は……あ、その……ありがとうございます……?」
お目にかかれて光栄ですと言うべきなのか。
戸惑うシリウスの前で、皇帝陛下はゆるく首を横に振った。
「なあに、非公式での訪問だ。さっきベネディクト陛下にもお会いしたが、あちらも困っておられた。空気は読める。このあとすぐに帰るつもりだ」
「そう……なのですか」
本当に自分の顔を見にだけ来たらしい。
「マレには可哀そうなことをした。なのでその忘れ形見には何不自由なく暮らさせてやりたくてな」
言ってから、ふと皇帝陛下は目をまたたかせた。
「朕の言葉はわかるか? ガーラディアン王国語を話そうか?」
「陛下」
ガルシア夫人が怖い顔でにらみつける。
よくわからないが皇帝陛下がそこまで歩み寄るなと言いたいのだろう。
「いえ。あの……このところガルシア夫人より教育を受けています。日常会話程度なら……」
もともと隣国同士だ。文法は似通っていて、あとは単語をいくつ知っているかと、この国ではほぼ絶えてしまったいくつもの敬語がダルニアン皇国ではいまだに使用されているぐらいだ。
「そうか。聡明であるのだな」
皇帝陛下は目を細めてくれる。たぶん、微笑んでくれたのだろう。
「また落ち着いたら朕の国に来るがよい。シリウスの母であるマレが育った国を紹介しよう」
「ありがとうございます」
自分が腹に宿ってしまったがために、実母は強制送還され、流刑になったと聞いた。
母の一生とはどんなものだったのだろうと漠然と考える。
「最後は辺境の地ではかなくなったが。その暮らしぶりは決して苦しいものではなかったと伝えておこう」
表情を読んだのかもしれない。皇帝陛下はそんなことを言ってくれた。
「そう……でしたか。お心遣い、ありがとうございます」
「ああ、そうだ。マレが好きだった菓子や果物も持参したのだ。いまここで食べるか?」
「いえ陛下。あとで私からシリウス皇子にお贈りいたしますので」
ガルシア夫人が割って入り、きっぱりと断った。目が「早く帰れ」と言っている。
「ああ、あとシリウスに預けた大隊であるがなぁ。マリエルが率いておる」
「いつもよくしていただいています。彼がいてくれるおかげで本当に心強いです」
「うむ。さきほどマリエルとも会ったが、シリウスのことをほめておった。聞き分けがよく、聡明だと。指揮官としての器があるともな」
「それは……過分な評価です。ですがありがとうございます」
「また随分と婚約者に愛されているとか」
顔から火が出るかと思った。
たぶんあれだ。
ババ抜きの罰ゲームだ。
「夫婦仲が良いのはいいことだ。妻を大事にせよ」
「ありがとうございます」
早く顔がもとに戻りますようにと願いながら頭を下げる。
「ガルシア女官長には伝えておったが銃士隊はどうする?」
「マリエル大隊長とも相談しておりますので、また後日ご相談させていただきたく思います」
王城に来るまでに狙撃されたことがあり、マリエルもセイヤーズも南部の領主かナラン派に銃にたけた部隊があるのではと勘ぐっている。場合によっては銃士隊の配置も検討したいと言っているのだが。
シリウスは戦自体を避けたい。
甘いと言われようがそれが本心だ。
銃士隊が列をなして国境を渡り、行進しているのを南部領主たちや義兄がみればもう戦は確定だ。
「少なくとも明日には、お返事をさせていただけると思います」
皇帝陛下に伝えると、彼は鷹揚に笑った。
「相分かった。ほかに必要なものはあるか?」
尋ねられ、ふと口をついて出かけたことがあったが、唇を引き絞って押さえる。それに気づいたのか、皇帝陛下がかすかに首を横にかしげた。
「よい。なんなりと言うがいい。マレにはなにもしてやれなかった。罪滅ぼしだと思ってくれ」
「その……。それでは」
シリウスは覚悟を決めて顎を引いた。
「大きくなくていいのです。商船を一艘、僕にくださいませんか?」
「商船?」
問い直したのはガルシア夫人だった。
「なにに使用するのです」
眉根を寄せるガルシア夫人に、シリウスは言う。
「できれば戦などしたくはありません。それでももし勃発してしまったら、最小限で押さえたい。そのために使いたいのです」
ガルシア夫人は困惑の色を宿して皇帝陛下を見た。
「よい、ガルシア。この国の誰か名義で買ってやるがよい。だがダルニアン皇国が関与したことは一切残す出ないぞ」
「承知いたしました」
ガルシア夫人が頭を下げるのを見て、シリウスも深々と頭を下げて礼を述べる。
「よいよい。感謝してくれるのなら、今度は嫁御とともに朕のところに来てくれ。それではな」
皇帝陛下はそうして青葉宮を去って行った。
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