第27話 カード遊び

 それから10日後。

 シリウスとユディットのふたりは、青葉宮の一室でババ抜きをしていた。


「早くひいてよ」


 ユディットに言われ、シリウスは「むむむむむ」と返事の代わりにうなる。


 というのも。

 すでに2敗している。


 負けた方は顔に筆で落書きされるという罰ゲームが用意されており、シリウスは二度もユディットに好き放題されていた。


 シリウスは真剣なまなざしでユディットが持つ2枚のカードを見た。 


 さっきからジョーカーが行ったり来たりしている。

 手元に来た時に穴が開くほど見たというのに、外見からはどれがジョーカーか全くわからない。


 むかって左のカードに指を伸ばす。

 一瞬だけユディットが笑ったような気がして動きを止めた。


「もう。早くしてってば」


 あきれたようにユディットがため息をついた。これが勝者の余裕というものか。


 シリウスは歯噛みしながらも腹を決める。

 もしここでジョーカーをひいたところで、もう1ターンある。

 ユディットが再度ジョーカーをひけばいいのだ。


「あ、そうだ」

 右のカードにしようと思った矢先、今度は話しかけられた。


「な、なに」

 やっぱり左にしようかな、と指をさまよわせながら言う。


「新居が決まったって話、そっちにも行った?」

「新居?」


「そう。シリウスがもらったシュミル公領に新居を構えるって話だったでしょ? 領主館」

「ああ。うん」


「ダルニアン皇国が領土にしていたときの領主館のほうが状態がいいらしくてね。そっちを使うことになったって」

「そうなんだ。……えい、こっち!」


 結局左のカードを引き抜き、裏返す。


 ジョーカーだった。

 がっくりと肩を落とすシリウスを見て、ユディットは笑った。


「で。雨漏りなんかもしてないから、準備でき次第、どんどん荷物を送りこんじゃおうって話になって」

「あ、そう」


 シリウスはシャカシャカと手持ちのカードをシャッフルする。なんとしてもジョーカーをユディットにひかせなくては。


「私の嫁入り道具は明日ぐらいから運び込むみたい」


 嫁入り道具、という言葉の〝嫁〟になんとなく反応してシリウスは手を止めた。


 前に王城の庭で会ってから10日会ってない。

 久しぶりに会って、彼女が言う通りカード遊びをしながらたわいもない話をしていたら、まるで塔の中にいるような気分になっていたが。


 ここは宮中伯都の塔ではなく青葉宮で。

 ユディットはシリウスの婚約者なのだ。


「……あ、そう」


 なんか照れくさくなってまた意味もない返事をしてしまう。

 婚約者といいつつ、最近は全然会えないし、なんなら手をつなぐこともないし、キスすらしたことないけど。


「ほらほら、早く」

 ユディットがカードを持っていない方の手で、コツコツとテーブルをたたく。


「ちょっと待って。……よし。さあ、どっちだ」

 シリウスは二枚のカードをユディットに示して見せる。


「うーん。どっちにしようかな。あ、でね」

「うん」


「シリウスも準備でき次第、領主館に送ってほしいって、荷物を」

「荷物っていっても別に……」


「塔の中の荷物、いるでしょう?」

「ああ……。でも画材ぐらいかなぁ。服とか必要なものはもうこっちに持ってきてるし」


 そもそもあそこは幽閉先だった。必要最低限のものしかない。

 夜会に着用したタキシードも、今回の旅に必要かもと持参していたので、衣類に関してはほぼなにもない。


 王城に住み始めて、やれカフスだ、タイだ、ブローチだと宝飾品が増えたが、塔には貴金属と呼べるものはなにひとつない。


「じゃあ、お父様には画材とイジェットくんをお願いって伝えておくわね」

「イジェット君連れて行くの⁉ 新居に⁉」


「置いてけぼりは可哀そうじゃない」


 互いに目を丸くして見つめあう。


「え、マジでいる?」

「もちろんよ。置いていったとしても、もう肉体と魂が融合しているから自力で来るかもね、新居に」


「怖いこと言わないでよ」

「ということで。こっちだ!」


 ユディットがカードを引く。

 くるりと裏返し、にっこりと笑った。

 それはダイヤの6。


「はい、私の勝ち!」


 手持ちのクローバーの6とペアにし、ユディットはカードの束の上に載せた。


「また負けた……」


 シリウスはジョーカーを握り締めてつぶやく。なんだろう。昨日あたりで運を使い果たしたんだろうか。


「シリウス、このあとなにか公務があるの?」


 テーブルの端に置いている絵筆を持ち、ユディットが尋ねる。ああ、また顔に落書きされるとうんざりしながらもうなずいた。


「もうちょっとしたらダルニアン皇国の大隊長と、うちの国の大隊長さんがいらっしゃるはず。で、なんていうの? 戦術会議ってやつ」

「あー……。なんか南部。相当きな臭くなってるらしいね」


 水彩絵の具に筆を浸していたユディットが動きを止めた。


「そりゃそうでしょ。新聞報道に続いて、各地の芝居小屋で大々的にあんな芝居をうたれたらさ」


 シリウスはポイっとジョーカーをテーブルに放り、頬杖をつく。


 シリウスとユディットのロマンチックな恋物語だ。

 そのひとつのエピソードとして、義兄がかなりの悪役として登場する。そしてはっきりと明示はしていないが、それを支援しているのが南部の領主たちではないかとほのめかしているのだ。


「陛下は戦地を南部と設定しているからさ。王都まで進軍してきてもらっちゃ困るんだよね」

「でしょうね」


「だからいま、足止め作戦と、実際に南部のどこで軍を展開するか話し合いをするんだって」

「すっかり軍の指揮官だねぇ」


 ユディットが目をぱちぱちさせる。


「お飾りだけどね」


 シリウスは苦笑する。

 そもそも王子として王城で暮らしてきたときにも軍事訓練など受けた覚えがない。

 砲兵隊だ、銃士隊だ、右翼に展開する騎馬兵だと言われても、理解するだけで精いっぱいだった。


 それに下手に口出しをして指揮系統を乱すこともやりたくない。自分にできるのは、「邪魔しないこと」と、「敗戦した場合責任を取る」ことだと思っている。


「もう書くところない」

 ユディットは言い、筆から手を離す。


「どんだけ書いたの、君」


 二敗しただけだというのに、と愕然としていたら。

 ユディットは椅子に座ったままこちらに身を乗り出した。


「だから、ルール変更」

「変更? どうするの」


「私の言うこと、ひとつ聞いて」

「そりゃいいけど」


 というかいつも聞いているけど、と心の中でつぶやく。なんだかんだユディットはシリウスに対してやりたい放題な気がする。


「じゃあ、シリウス」

「はいはい」


「キスして」

「は……い?」


 つい動きが止まった。

 まじまじと目の前のユディットを見つめる。


「なんて?」

「だからキスして。いつもの仲良し同士がやるほっぺとかおでことか髪の毛にするやつじゃなくて、ちゃんとした恋人同士のキス」


 言ってからユディットの頬は、さっと刷毛で桃色をひいた色になり、怒ったようにこちらをにらみつけた。


「っていうか、二回も言わせた。いじわる」

「いやあの、ごめん!」


 言ってから意味もなく立ちあがり、それからユディットが座ったままなのに気づいた。


 立つ必要なかったと焦り、テーブルに両手をついて腰を曲げる。

 ユディットのほうもまた少しだけ、シリウスのほうに身を乗り出した。


 ふたり、顔を近づけ。

 ユディットが目を閉じる。


 長いまつ毛が翼をやすめた水鳥みたいだとシリウスは思った。


 ちょっとだけ震えたのは。

 嬉しさと喜びが心の中でないまぜになったから。


 シリウスは彼女の唇に自分の唇を重ねた。


 その瞬間。

 びくりとユディットが肩を震わせて目を開くから。

 シリウスも驚いて身を引いた。


「ごめん! なんか嫌だった⁉」

「う、うううん⁉ びっくりしただけ!」


 顔を真っ赤にしてユディットがまたぱちりと目を閉じて顎を上げる。


 そのしぐさがやけに無防備で。

 可愛くて。

 あどけなくて。


 シリウスはもう一度唇を重ねた。

 やわらかく、温かい彼女の感触を感じて。


 さらにユディットをもっと感じたくて。

 テーブルについていた手を彼女の肩に伸ばしかけたとき。


 ドアノックが三度、鳴った。


「ひゃあ!」

「うわっ!」


 サンダースさんか、と。殺されてしまう、と。

 さっきまでの甘い雰囲気もどこへやら、ふたりは恐慌状態になりながら扉を見る。


「シリウス皇子殿下。セイヤーズとマリエルが参上いたしました」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、この国の国王陛下直属部隊大隊長であるセイヤーズと、ダルニアン皇国から派遣された大隊長マリエルのようだ。


「お約束の時間より少し早いのですが……。大丈夫でしょうか」

「は、はい! あ、ちょっと待ってください!」


 あわあわとテーブルの上のカードを端に集めようとしてシリウスは盛大に床にばらまいた。もう最悪だと頭を抱えようとしたとき、ユディットが小動物のように立ち上がった。


「私、もう帰るね! またね、シリウス!」

「え? は? ん?」


 顔を上げたときにはもう彼女は扉を開いて出ていくところだった。

 一瞬だけ見えた首が真っ赤で。

 なんだかシリウスも恥ずかしくなりながら床に広がったカードを拾い上げる。


「失礼します、皇子殿下」

「おや、いかがなさいました。お手伝いいたしましょう」


 カードを集めているシリウスを見て、ふたりの隊長が足早に近づいてくるのに気づき、慌てて顔を上げた。


「いえ、あの。お気遣いなく。椅子に座ってください」


 しゃがみこんだ姿勢のままふたりを見上げると。

 ふたりは凍り付いたように動きを止め、それからお互い目を見かわした。


 なんだろうときょとんとするシリウスの前で、セイヤーズが咳ばらいをした。


「皇子殿下、我々はまたお時間を改めましょうか?」

「え? いえ、どうぞ椅子におかけになってください。お茶を用意しますので、いま執事を……」

「あ、いえあの。皇子殿下。その前に……その、鏡をご覧になって……」


 執事を呼ぶために移動しようとするシリウスをマリエルが止める。


 そして。

 我に返った。


「あ! 顔!」


 さっきまでユディットとババ抜きをしていて、罰ゲームを受けたのをすっかり忘れていた。


 あわあわと部屋を見回し、壁にかけられた装飾用の鏡があることを思い出した。

 駆け寄り、顔を映して愕然とする。


 てっきり、「◎」とか「×」とかが描かれているとおもいきや。


「大好き」「♡」とユディットは書いていたのだ。


「さきほどのお嬢さんが婚約者殿ですか」

「たしかコーネリアス宮中伯のお嬢さんでユディット嬢というお名前だったかと」


「しまったな。やはり時間通りに来るべきでした」

「せっかくの婚約者同士のお時間を削ってしまったようだ」


 大隊長同士の会話に火が出るほど顔を熱くし、シリウスは叫ぶ。


「す、すみません! 顔を洗って出直してきます――――――!」

 洗面所まで脱兎のごとく駆けたのであった。

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