第26話 初夜のお話
「義兄上を挑発するための新聞発表かな……」
「だと思うわよ。で、早期に手を出させたいんじゃない? 記事は挑発だと思う」
「悪魔だな、ベネディクト王は」
季節は秋。
南部は豊かな実りを堪能する時期だ。
一年の稼ぎを収穫物で成り立たせている。
そこを戦場にし、すべて焼き払いたいのだろう。
そして。
怒りの矛先を義兄上とナラン派に向ける。
なんなら。
シリウスたちでも構わない。
現王家でなければ。
「……まあ、みんながみんな戦好きってわけじゃないしね」
シリウスは独り言ちる。
「ねぇ、ユディット。今度でいいからその新聞、まとめて僕に見せてくれない?」
「いいわよ。青葉宮に送るようにするわね」
「うん。あ、そうそう。あとは結婚式の準備というか、なんかアジル派の修道士から説法とか受けた」
「それは私も」
暗い雰囲気を変えるようにユディットが笑う。
「長い話だったよー。なんか高僧らしいけど」
「だよね。ソビシュ修道士でしょう?」
シリウスも笑う。表情では笑いながらも、腹の中では別のことを考えていた。
アジル派の高僧ソビシュ。
その修道士がシリウスに接触を図ってきたのだ。
『このままでは国が割れる』
結婚にまつわる説法を受け、節度と貞節がいかに大切であるかを延々と語った後、高僧は『ここからは世間話ですから』と人払いをし、シリウスに切り出したのだ。
『宗教で戦争を起こすことほど馬鹿らしいことはない。ナラン派に伝手があります。ぜひ、戦になる前に兄弟同士で話し合いをしてほしい』
シリウスはいくつか条件をつけて承諾をした。
あとは義兄がこの話に乗ってくるかどうかだったのだが。
(それより先に怒りに火がついちゃったらどうしようもないな……)
まさか新聞報道がこのようになっているとは。
「ユディットは? この五日間どんな感じだった?」
ふとシリウスは彼女に尋ねた。
怒涛の五日間をシリウスは過ごしたが、彼女のほうも忙しかったのだろうか。
「主にお茶会。どこそこのなになに夫人が王城内のどこどこでお茶会を開いているから参加してください、とか。ほら、いままで社交界とかぜんぜん顔だししてなかったから。まあ、私が悪いって言えば私が悪いんだけどさー」
ユディットは後ろに手を突き、ひざを伸ばす。そうして踵を地面につけてつま先を左右に揺らしながらも口を尖らせた。
「そりゃ、いまから結婚したら領主夫人になるわけで。そうなったら社交界の夫人ともやりとりしなきゃいけないのはわかるけど。本当に苦痛」
「無理しなくてもいいんだよ?」
「無理してでもやらなきゃいけないんだよ、シリウス」
むすっとした顔でユディットが言う。
「シリウスとずっと一緒にいたいから頑張るの」
「……そう」
「で、あとは結婚式の衣装合わせ。シリウスもした?」
「うん。僕はダルニアン皇国風の服になった」
「え、そうなの⁉ 私も合わせた方がいいの⁉」
「ううん。それは構わないって。ほら、皇帝陛下がまた僕のそんな姿を見たいらしくて……。肖像画がまた描かれるらしいよ」
顔をしかめるとユディットが可笑しそうに笑った。
「でもシリウスと一緒にいたくて頑張っているのに会えないって変」
「だよねぇ」
「ねえ、シリウス」
「なに?」
「また数日会えないでしょう?」
「うーん。たぶん、ね?」
そう答えると、ユディットがすっくと立ちあがった。なんだろうと訝しむ前に、ユディットはシリウスの背後に回ると、とすりと座る。
そのままシリウスの背後から抱き着いてきた。
「どうしたの?」
「今度また会えるまで寂しくないようにシリウスの成分を吸収しておくの」
言われてシリウスは面食らった。
「吸収できるかんじ?」
「できる。シリウスも寂しくないように私の成分を送っておく」
「それはありがとう」
シリウスは後ろから抱き着かれたまま笑う。
背中がほかほかと温かい。
「ねえ、シリウス」
「なに?」
「結婚前のお話って、修道士が来ただけ?」
「いまのところは。え? なんかほかにあるの?」
「うちはあったよ。シンプソン夫人が来た」
「へえ、なに? 僕のところにも来るのかな」
「なんかね、閨の話」
途端に噴き出しそうになった。
「は? え?」
うろたえながら首をねじって振り返るが、ユディットはぴたりと真後ろにいるせいで顔まではよくわからない。
「初夜が終わったら、うまくいったかどうかお互いの家の代表者たちが確認にくるとかなんとか」
「それうまくいかなかったらどうするの⁉ なんか疑われるわけ⁉」
「よくわかんないけど」
「責任重大じゃない⁉ え、なんかいまから緊張してきた……」
「大丈夫よ」
「本当に⁉」
「いざとなったらサンダースさんに相談する」
「……まあ、なんとかしてくれそうではある」
「というか、シリウスはそういうことをやっぱりしたいわけ?」
「え? どういうことを」
「閨の話」
「えー……っと」
目だけ動かして背後の様子を探る。
この話の流れからすると、ユディットは嫌、なのだろうか。
結婚には乗り気だったような気がするし、なんなら数日前に「自分と結婚するのは嫌か」と泣かれたような気もするが。
なんとなく、だが。
(ユディット、元気ない?)
久しぶりに会ったからなんとかく違和感に気づくのが遅かったが、そもそもこうやってべったりくっついてくるタイプでもない。むしろ、シリウスのほうがハグしたり軽くキスしていた感じだ。
振り返ってみると。
ユディットはずっと塔に入り浸りだった。
以前、夜会に出たときも感じたが、同性の親しい人間はいないような気がする。
いつもいるのはサンダースさんだけだ。
ユディット的にも漠然と「結婚生活」とか「恋人同士の生活」みたいなものは思い描いていたのかもしれないが、その空想と現実を埋めて調整する同い年の女の子がいない。
だから。
いきなり現実を目の当たりにして戸惑っているのだろうか。
「したい、というか。したい、と思うし、したい、んだけど」
したい、としか言っていないのでシリウスは焦った。
「ユディットがしたくないのに無理やりどうこうっていうのは違うと思うので……」
「したくないわけじゃないけど、なんかこう……押し付けられてる感じがしていや」
「ああ、なるほど」
それは、正直なくもない。
だがシリウスは私生児とはいえ王子として生まれた。
現在、皇子になったのだが、権力者の意見や意向をくみ取って生きなければならないことに変わりはない。
それが嫌なら。
義兄やベネディクト王のように政権を転覆させるしかない。
「シリウスはいやじゃないの?」
問われて、シリウスは「ううー……ん」と口ごもる。
「いやという気持ちがないわけじゃないけど」
「わけじゃないけど?」
「ユディットがほかの男とそんなことをすると思うほうが嫌だから、やっぱり僕は幸せ者だなって思う」
「………それも、そうか」
ふとユディットが言葉をこぼした。
「まあ……誰かの言いなりになってる感はあるけど。シリウスがほかの女の子とそういう風になるよりは断然いいかも」
そのあと、背中からユディットが離れる気配があった。
少し腰をそらして後ろをうかがうと、ユディットが満足げに笑っている。
「シリウスの成分を存分にいただいた」
まるで怪盗のようだ。シリウスは吹き出し、それからお尻を起点にしてぐるりと半回転した。
そうしてユディットと向かい合う。
「でも僕はまだ足りない」
シリウスが腕を広げる。
「仕方ないなぁ」
言うなりユディットが飛び込んできた。
「わああ!」
支えきれずにユディットを抱きしめて仰向けに寝転がる。ユディットはというと愉快気に笑い声を立ててシリウスの胸に顔をうずめている。
「ユディット」
「なに?」
「さっきも言ったけど」
「うん」
「無理強いするつもりもなにもないから」
「うん」
「だから、いつもどおりでいこう?」
「うん」
シリウスは仰向けに寝転がったまま、腕の中の彼女をぎゅっと抱きしめようとして。
気づく。
目の端が光るものをとらえたのだ。
「ユディット!」
「え、え、なに⁉」
驚くユディットを抱きしめたまま、シリウスはがばりと身体を起こした。
そして素早くユディットから離れ、芝生に転がった日傘に手を伸ばし、彼女に握らせる。
「なに? どうしたの。なによ」
「翠水宮のバルコニー」
「え? すぐ近くのあれだよね。なに」
「そこにライフルを構えたサンダースさんがいる……」
「………こ、こわ……」
「あぶ……あぶなかった……」
その後、サンダースさんが迎えに来るまで、ふたりはラグの上で適切な距離を開けてきちんと座って会話を楽しんだのだった。
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