3章

第25話 ひさしぶりの婚約者同士

 五日後。

 サンダースさんから連絡のあった場所にシリウスはいた。


 場所は王城内。

 シリウスの住む青葉宮と、ユディットが滞在している瑠璃枝宮の間にある人工池の側。


 なだらかな芝生が人工池まで続いている。

 そのほとりには多種多様な植物が自生しており、いまもツリフネソウやカリガネソウなどが色鮮やかな花を揺らしている。


 その上をアブや羽虫が飛んでいた。

 耳を澄まさずとも、ちろちろと水が流れる音がするのは、ため池ではないからだ。


 中央にある噴水の水を排水させるために小川を作っている。その小川を流れる水の音がなんとものどかだ。


 シリウスは周囲を見回したが、まだユディットの姿は見えない。


「よっ」


 掛け声をかけ、宮から持参したラグを芝生に広げる。

 その上に座り、後ろに手をついて空を仰いだ。


 晴天だ。

 おまけに。

 風景を切り取る窓枠がないことにシリウスは感動した。


 ここ数年、塔の中にいたせいで視界に限界があった。窓から身を乗り出して見回そうにも背後は絶対に見えないし、角度的に限界がある。


 なにより。

 頭頂部に陽の光があたることに心うたれた。


 胡坐をかき、シャツのぼたんをはずして腕まくりをする。

 自分の腕を矯めつ眇めつ眺めた。


 白い。なまっちろい。

 いままでなにも思わなかったが、塔から出て自分と同じ年ぐらいの騎士なんかを見るとちょと恥ずかしくなるぐらい白い。


 筋肉や身体の線が細いのは一朝一夕にはどうにもならないが、日に焼けるぐらいはどううにかなるんじゃないだろうか。


 そう思い、業務の合間など時間ができると外に出て陽を浴びるようにしているのだが、おもうようにいかないのが現状だ。


「シリウス!」


 声が聞こえて振り返る。

 小川に沿って作られた小道を、ユディットが軽快に歩いてくるところだった。


「ユディット!」


 シリウスも片手をあげて彼女の名を呼ぶ。

 ユディットはうれし気に笑い、パラソルをくるりと回した。


 たった五日間会わなかっただけなのに、やけに懐かしくてまぶしい。


 というのも。

 互いに「結婚」に向けて動き出したため、急激に忙しくなったのだ。


 特にシリウスなど、「新郎」になる前に「皇子」になるための準備がある。

 ガルシア夫人が中心になって動いてくれているし、基本彼女の言われた通りに動いているのだが、それでも判断を求められることは多々あるし、なにより外国語の勉強まで始まってしまった。


 せっかく婚約者同士になったというのに、互いに会う時間は皆無だった。


「ごめんごめん! 行く前になってサンダースさんがパラソル持って追いかけてくるから」


 かかとの高い靴を履いているというのに、ユディットは飛ぶように近づいてきた。


「こっちこそごめん。そうだよね。ユディットの肌のこととか考えなかった」 


 失敗した、と顔をしかめる。

 ユディットはパラソルの柄を肩にかけるようにして斜めにし、シリウスの隣に座る。


「私は日光浴気分で全然問題ないんだけどね」

「いけません。もうすぐ花嫁になろうという方が何をおっしゃっているのか」


 すぐ背後から冷静な声が聞こえた。顔だけねじって確認すると、サンダースさんだ。


「日に焼けて赤くなるならまだしも、しみ、しわ、皮膚のたるみにつながったらどうするのです。いま症状が出なくても年をとって、どーっと出ることもあるんですよ、シミが」

「えー。気にする? シリウス」


 ユディットが頬を膨らませるから、シリウスは苦笑いした。


「ユディットが気にしないなら、僕はどっちでもいい」

「じゃあ、サンダースさん。この日傘持って帰っ……」

「いけません!」


 ばしりと言われ、ユディットは「きゃん」と言わんばかりに肩をすくめた。


「あ。サンダースさんも座る? ほら、ユディット、もうちょっとこっち寄って」

 ラグの上をいざったのだが、サンダースさんは首を横に振った。


「いえ。これでも空気は読めます。久しぶりにお会いになったのだから、おふたりだけでどうぞ。王城内ですから誰かから狙撃されたりする心配もないでしょうが……」


 サンダースさんはそれでも鷹のように鋭い視線を周囲に向けた。


「1時間経ったらまたお迎えにあがります、お嬢様」

「はあい」


「日傘をちゃんとさしておくんですよ」

「はいはい」


「あと、シリウスぼっちゃん」

「え? あ、はい」


 まさか自分もなにか言われると思わなかったので、シリウスは思わず腰を浮かしかけた。


 そしてぴたりと動きを止めたのは。

 射すくめるような視線をサンダースさんが向けていたからだ。


「ユディットお嬢様とめでたく婚約の運びになりましたが、まだ婚約中でございます」

「は……い」


「万が一、順序が逆になるようなそのようなことのないよう。適切な距離、適切な配慮、適切なおつきあいというものをよくお考えになってください」


 こちらも鞭うつような口調で言われ、シリウスも「きゃん」と鳴きそうになる。


「そ……それは重々。はい」

「よいお返事です。それではわたしは失礼させていただきます」


 サンダースさんはそう言って恭しく一礼をすると、すたすたと戻って行った。


「こ……こわ、サンダースさん」

 動悸をなだめていると、ユディットが笑った。


「なにもそこまで心配しなくてもいいのにねー」

「……君はもう少し警戒してよ、僕を」


 ちらりと隣に瞳をむけると、ユディットが日傘を傾けて顔をのぞかせる。シリウスと目を合わせ、ふふ、と笑った。


 ふわりと。

 雲間から太陽がのぞいたように。

 シリウスの頬が熱くなる。


 かわいい。

 心の底からそう感じた。


「この五日間なにしてたの? シリウス」

 くるくると日傘を回し、ユディットが尋ねる。


「まずダルニアン皇国の皇子になる証書にサインして、毎年受け取る金額の説明を受けた。なんか、いまの皇帝が在位中はずっと出るみたい。別にいらないって言ったんだけど、皇子の品位を保つためらしいよ」

「へえ。そういうところちゃんとしてるのね」


「で、その直後に肖像画を描かれた」


 途端に日傘がとまり、ユディットはまじまじとシリウスを見つめる。

 それから喉をそらせて大爆笑される。


「初日の午前中はずっとそれだったよ。ダルニアン皇国の服を着せられてこんなポーズをとらされてさ」

「ちょ……! やめて! 笑い死ぬ!」


「なんなのこれ、って思ってたら、向こうの皇帝が……ほら、僕の伯父さんになるのかな。ものすごく僕のことを気にしてくれてるみたいで。支援金というか支度金もそうなんだけど、とにかく僕の存在が気になるみたいでさ。結婚式にまで来るって言いだしてるらしくてね」


「皇帝が⁉ 参列するの⁉ やばいな。ティモシーは呼ばないでおこう。外交問題になりそう。……これちょっと邪魔」


 ユディットは言いながら、日傘を開いたまま芝生の上に置く。


「さすがにそれはダメでしょうって。ガルシア夫人が必死に止めたらしいんだよね。そしたら『どんな姿なのかだけでも観たい』って言ってるらしくて。それで早急に僕の肖像画を描いて本国に送ったみたい。ちょっと、ユディット。ちゃんと日傘」


「いいよ、別に。でもすごいね。そんな短期間で描くなんて。シリウスなんてずっとなんかこう、ペタペタやってたじゃない。一枚描くだけで」


「ガルシア夫人がある程度僕の背格好とか体格を伝えててさ。変な話、顔をはめて微調整するぐらいまでは出来上がってたんだよ。あのガルシア夫人ってやり手だよねぇ」


「だよねぇ。で? あとは?」

「いろいろしてたよ。ガルシア夫人から紹介してもらった家庭教師からあっちの国の言葉を習ったり」


 シリウスはもう一度胡座をし、指を折る。


「新居の執事長とかメイド長とかと挨拶したり、庭師やコックにも会ったかな。あと、大隊長から隊の説明を受けて……。明日はその大隊の演習を見る予定」

「記者は? 記者に会わなかったの?」


「記者? なにそれ」

 おうむ返しに問うと、ユディットもきょとんとしていた。


「え。取材されたんじゃないの?」

「取材というか……。サインをしてさ、正式にダルニアン皇国の皇子となったあとに、ガルシア夫人とコーネリアス宮中伯が『これを互いの国で発表する』って言ってたのは聞いたよ? その発表のことかな」


「4日前からすごいよ、新聞。シリウスの話題で持ちきりだもん」

「僕⁉ え、どゆことよ!」


 もともと新聞を読む習慣もなければ、ここ数年塔に居続けていたからそんな定期刊行物の存在すら忘れていた。


 コーネリアス宮中伯とガルシア夫人から『発表』とだけ聞いていたので、数行ほどの記事で『皇子として認められた』ぐらいだと勝手に思っていた。


「なんかね、暴漢に襲われそうになったコーネリアス宮中伯の娘を救い、その場に偶然居合わせた陛下に『ぜひ義弟の亡骸を王家の墓に埋葬してほしい』と懇願したんだって」

「………誰が」


「シリウスが。でね、その場にたまたまいたダルニアン皇国大使のガルシア夫人が『亡き皇女にうりふたつ』だと気づいて、皇女の忘れ形見だと判明したんだって」

「………誰が」


「シリウス。でね、シリウスは助けたコーネリアス宮中伯の娘と恋に落ちたから、2か月後に結婚するんだって」

「挙式二か月後なの⁉」


「みたい。私も新聞見て知った」

「ってかなにその新聞発表内容! そんなのでいいの⁉」


 ユディットはひざを抱えて座り、楽しそうに笑った。


「私もどうなのかなあって思ってたんだけどね、サンダースさんや王城に出入りしている人たちから聞いた限りでは結構な人気みたいよ?」

「誰が」


「シリウス」

 頭を抱えたくなった。


「もともとほら、常にダルニアン皇国との不安は抱えてたわけじゃない。そこをうまくなんとかしてくれそうな人が現れてほっとしてるんじゃないかなぁ。皇帝もシリウスの身を案じてうんぬんかんぬんって書いてあったし」


「ダルニアン皇国のほうはどうなんだろう。あっちはあっちでまた変なことになって……」

 言いかけてシリウスは口を閉じた。


「違う。これを読んで……」


 ついつぶやくと、ユディットが深く頷いた。


「そう。シリウスのお義兄ちゃんがこれを読んでどう思うかなぁって。私も思っちゃった」


 激怒だろう。

 激怒しかない。


 自分の手足となって動き、なんなら宮中伯を味方につけてこっちの陣に来いとまで言っていたパトリックだ。


 シリウスがダルニアン皇国の皇子で、かつ宮中伯の娘を娶って南部の一部に領地を持つ。


 こんなもの。

 正面切って喧嘩を売っているとしか思えない。


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