第22話 ベネディクト王の申し出

「ちょ……ちょっと待って! 待ってください、ガルシア夫人! ということはシリウスはダルニアン皇国に行ってしまうということですか⁉」


 いきなり割って入ったのはユディットだ。

 ぴょこんと立ち上がり、ガルシア夫人とベネディクト王を順に見るからシリウスは心臓が止まるかと思った。


「ちょ……っ。ユディット……! 座って!」

「だって!」


 ソファに座らせようと握った手。

 それがひどく冷たくてシリウスは驚く。


 そして。

 自分を見下ろす目。それはいまにも泣き出しそうに潤んでいる。


「シリウス、どっかに行っちゃうの?」

「いや……あ、あの……」


 自分はどうなるのか。

 自分のことなのになにひとつわからない。


 ユディットにどうこたえていいのかも。


 だからだろう。

 室内には妙な沈黙が落ちた。

 それを破ったのはベネディクト王の笑い声だ。


「なんだコーネリアス。これはなんの問題もないではないか」

 そう言われてコーネリアス宮中伯は複雑そうに眉を下げた。


「わかりません。ただただ娘がなついているようにも見えるので」

「そうか? まずはそれでよしとしてはどうだ」


 ベネディクト王は言った後、ユディットに視線を向けた。


「当初、ガルシア夫人は皇帝の命を受けてシリウス皇子の身柄を引き受けに来たのだ。余としてもなんの問題もなかった。なにしろ前王の遺児だ。余にとっても非常に扱いづらい。この国から出て行ってくれるのならなんの問題もないからな」


 次いでベネディクト王はコーネリアス宮中伯を見た。


「コーネリアスはシリウス皇子が、マレ皇女と前王が通じてできた子だと知る数少ない人物でな。王政が変わった時、いち早くシリウス皇子の保護に走った。なにか事故でも起れば国際問題になる。シリウス皇子の保護は最優先事項だった」


 ベネディクト王は饒舌だったが、コーネリアスはただ困ったような顔をして立っているだけだ。


 だが。

 すべて知っていたのだ、とシリウスはいまさらながらに思い知らされた。


 実母のことも。

 出自のことも。

 きっといまも首に下げているカメオの紋章も母につながるものなのだろう。

 それらをすべて知って、国内問題が国際問題にならぬよう、この宮中伯はシリウス保護に走ったのだ。


 だからこそ。

 自分はあの牢獄から逃げ出せた。

 追っ手からも。


 あのとき。

 ロバートは見捨てられたのかもしれない。切り捨てられらのだ。

 前王の遺児と、隣国皇家の血を引く自分とは天秤にかけられた。


 そして。

 自分は手厚い庇護を受けたのだ。


「……シリウス?」


 いつの間にかユディットがシリウスの手を握っている。


 あんなに冷たかった彼女の手。

 それなのに今は。

 自分の手のほうが冷たい。


「大丈夫? 手が冷たいわ」


 ユディットは自分の隣に座り、顔を覗き込んでくれる。


「大丈夫かい?」


 そう尋ねたのはコーネリアス宮中伯だ。こうやって見ると、このふたりは親子なのだなと思った。目元がよく似ている。


 そして。

 父親しか同じではなかったけれど。

 ロバートと自分も確かに似たところがあった。


「あの……。厚かましいことではあるのですが、陛下にお会いできたらお願いしたいことがあったのです」


 ユディットと手を握ったままシリウスはベネディクト王を見た。


「なんだね?」

「ロバートを……。僕の異母弟はいま、宮中伯都の墓地に埋葬されています。彼の亡骸を王家の墓に葬ってあげてくださいませんか? 彼は」


 シリウスは知らずにユディットとつないだ手に力を込めていた。


「彼は、僕と違ってちゃんとこの国の王子だったのですから」

「ああ……。君と避難中に暴徒に襲われたという王子か」


 いたましいことだ、とベネディクト王は小さく息を吐いた。


「わかった、そうしよう。コーネリアス。すぐに手配するように」

「かしこまりました」


 コーネリアス宮中伯が深々と頭を下げた。

 それを見て心底ほっとした。


 ようやく。

 ようやく異母弟が戻るところを探し出せた気がした。


 本当は。

 本当は生きてこの宮殿に連れてきてあげたかったのだが……。


「シリウス、平気?」

 気づけば床に座り込んでうなだれていたらしい。


「………大丈夫だよ、ユディット。さあ、座って」


 シリウスは必死に顔の筋肉を動かして笑みを浮かべた。

 ユディットはそんなシリウスに寄り添うように座ってくれる。


「さて、では続けようか」

 ベネディクト王は、ぽん、とひとつ手を打った。


「コーネリアスとガルシア夫人は話し合い、実際にシリウス皇子と引き合わせ……とまあ、ここまではとんとん拍子で進んだんだが。問題が生じた」


 ほう、とベネディクト王が長い息を吐いた。


「シリウス皇子の義兄であるパトリック殿だ。彼がどうやらナラン派を引き連れ、南部の領主をたきつけて余に歯向かおうと企んでいるとの情報が入ってな」

「は⁉」


 ユディットは目を真ん丸にして声を上げるが、シリウスは重い声を喉から絞り出した。


「やはり……陛下の耳にも」

「もちろんだ。で、いまシリウス皇子は微妙な立場にあるというわけでな?」


 ベネディクト王はおどけたように肩をすくめて見せた。


「まさかと思うが、義兄殿と通じておられるわけではあるまいな?」

「とんでもございません!」


 シリウスはソファからずり落ちるようにして床に片膝をついた。


「義兄から何度も誘いは来ましたが」

「来たの⁉」

「来たんだよユディット。ちょっとでも黙ってて」

「ごめん」

「すべて断り、義兄にもかような無謀なことはなさいますなと伝えております。それと」


 シリウスは両膝をつき、ベネディクト王を見上げる。


「決してコーネリアス宮中伯家の誰かが内通して僕に接触をはかっているわけではありません。義兄は僕に毒を盛り……」

「毒⁉ あ、ごめん……」

「毒を盛って接触をはかってきたのです。なので、この件に関し、宮中伯は……」

「コーネリアス宮中伯家が余に対してふたごころを持っているなどとは思っておらんよ」


 ベネディクト王は愉快そうに笑った。


「だからどうかソファに座りなおしてくれ。むしろこちらからお願いをしなければならんのだ、シリウス皇子よ」

「な、なんでしょうか。僕にできることなら……」


 よろよろとソファに座りながらも、シリウスは安堵してぎこちなくベネディクト王に微笑んで見せた。


「コーネリアス宮中伯の軍備と、王家からも大隊をひとつ遣わす。それからダルニアン皇国からも支援があるのだな?」

「砲兵を含む大隊をひとつ。必要とあらば皇帝陛下に申し上げて、銃士ばかりの中隊を追加でひとつご用意できます」


 ガルシア夫人が淡々と答える。


「それだけの軍隊を率いて、義兄どのを打ち滅ぼしてほしいのだ」


 ベネディクト王はにっこり微笑んでシリウスに言った。


「………………は?」


 長い沈黙のあと、頭がまわらなくなったシリウスはそれしか言えなかった。


「ど………ど、どういうことで……ございますか?」

 こめかみが痛む。いや頭全体から熱を発して湯気が出そうだ。


「筋書きはこうだ」


 ベネディクト王はソファから身を起こす。なんだか楽し気にシリウスを見た。


「余の忠臣であり賢臣であり腹心でありチェスの相手であり飲み友達であり……あと、なんだコーネリアス?」

「もうその辺で結構でございます」


「ま、その余の大好きなコーネリアス宮中伯はひそかに前王の遺児シリウス王子をかくまっていた。なぜなら隣国の皇女が悲恋の末に産んだ皇子だと知っていたからだ。月日が流れ、隣国ダルニアン皇国がこの遺児を探しに来た。そしてシリウス皇子を見つけ出し、『ぜひダルニアン皇国にお戻りください』というのだが、皇子はそれを断る。なぜなら彼には心に決めた女性がいたからだ」


「え、ダレ」

「……。知らない」


 ユディットとシリウスが顔を見合わせていたら、ベネディクト王が滔々と語る。


「その恋人の名はユディット・コーネリアス。コーネリアス宮中伯の掌中の珠と称される可憐な美少女」


「はあああああああ⁉」

「いや、ちょっと待って、待って!」


 途端にユディットとシリウスが声を上げるが、ベネディクト王は無視した。


「ユディットとの恋路のために本国帰還を断る彼にさらなる試練が! なんと義兄が謀反を画策していることを知ったのだ。シリウス皇子は必死にそれを止めるが、義兄は自分に従わぬ異母弟をなんと殺してしまおうと計画! それだけではなくユディットにまで魔の手が!」


「えええええ⁉」

「そうなの⁉」


「そこでシリウス皇子はコーネリアス宮中伯に相談。賢く、優しく、たくましく、かっこよく、誰からも好かれているベネディクト王に忠誠を誓い、義兄を討つことを決意。その忠誠心やユディット嬢への愛に心打たれたダルニアン皇国からも支援の申し出が。そうしてシリウス皇子は義兄討伐のために立ち上がるのであった!」


 ベネディクト王は語り終えると、自分で拍手をした。


「ちなみにこれは準備ができ次第国中の大衆演劇で演目として演じられるから」


 にっこり笑うベネディクト王にかける言葉をシリウスはなにも思いつかない。

 ただひたすら。

 穴が開くほど見つめた。


「実際のところ、地理的に問題なのだよ」


 そっと言葉を差しはさんだのはコーネリアス宮中伯だった。

 シリウスだけでなくユディットもゆっくりと彼を見る。


「もしも廃太子が反乱の狼煙を上げた場合、王都やその周辺を戦場にするわけにはいかない。あくまで戦地は限定的でかつ、反乱者にとって敗戦後、不利になる場所でなければならない」


「……南部で、ということですか」

 シリウスが尋ねると、コーネリアス宮中伯は頷いた。


「農園が灰燼に帰そうが、村が消滅しようがそれはやつらのせいだ。我々が憂慮することはない。そしてそのような状況を作り出したのは南部の領主と廃太子だということを現地の民の心に刻み込まねばならない」


 陽気な声でベネディクト王は言う。


「戦地は南部。そうなると次の問題だ」

「隣国の……ダルニアン皇国」


 ユディットが呟くと、ベネディクトは教師のように微笑んだ。


「そうだ。どさくさに紛れて侵入されては困る。ああ、これは失礼、ガルシア夫人」

「いいえ。こちらも同じ思いですから。おっとうっかり、と軍勢を率いて国境を侵入されては困ります。まあ、これはとんだ失言でしたわ、陛下」


 お互い穏やかな表情をしているというのに、互いの目からは激しい火花が散っているように見える。


「ということで。ダルニアン皇国ともゆかりがあり、余の信頼する宮中伯の娘を娶ったシリウス皇子に反乱軍を撃破してもらいたいのだ」


 あっさりとベネディクト王はシリウスに依頼し、シリウスは気が遠くなりかけた。


「そのあとのことなのですが、皇帝陛下よりシュミル公領を皇子に与えるよう仰せつかっております」


 ガルシア夫人が追い打ちをかける。


「こ……公領……ですか? え、それ……どこ」

「我が国の北端。こちらの国からは南端になります」


「まあ、そこはあれだがな、ガルシア夫人。7年前の紛争で勝手にそっちの領地に併合された地だがな? もとはといえばうちの領地だからな?」

「なにをおっしゃいます、陛下。15年前にそちらの国が強奪した地であり、そもそも我が国の領地なのです」


「という、昔から『うちのだ』と主権を争っている土地だ。鉱石が豊富にとれるから互いに争っていてなあ……。そこに君とユディットが住んでくれたら今後十数年は紛争も起こらんだろうという腹積もりもある」


 コーネリアス宮中伯がベネディクト王とガルシア夫人の争いに割って入り、シリウスに説明をした。


「さらにはっきり言うなら、だ」

 ベネディクト王はけろっとした顔で続けた。


「もしダルニアン皇国が国境侵犯をすればシリウスの首を刎ね、うちが侵略したと思われるような事態が起こればユディット嬢の首が飛ぶ」


 愕然とするシリウスの目の前でベネディクト王はいきなり立ち上がった。


「おお、もうこんな時間だ。また明日の夜にでもゆっくり時間をとるので、今日のところはこれで失礼する」


 慌ててシリウスもばね仕掛けのように立ち上がった。


「あ、あああああああ、あの! その! 当然のようにおっしゃってますが!」

「うん? 義兄殿討伐のことか?」


「それもそうですが! あの! ユディット!」

「ユディット嬢?」


「ユディットと僕は結婚するんですか⁉」

 ベネディクト王はにっこり笑った。


「そういうことになるな」


 正直。

 シリウスがしっかり意識を保っていられたのはここまでだった。


 視界に霞がかかり、ふわりと身体が軽くなる。そのあと何度もユディットとコーネリアス宮中伯から名前を呼ばれた気がするが、シリウスの記憶はそこで途絶えている。


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