第23話 いやなの?

 それから幾度か意識が浮上し、その都度シリウスはベネディクト王から聞いた話を反芻した。


 熟考したあと逃避したくなってまた眠る。

 そんなことを繰り返したあと。


 意識は急速に浮上し、ついでに上半身が勝手にむくりと起き上がった。


「わ。目が覚めたの? シリウス」


 いままで死体のように横たわっていたのに、いきなり無言で動き出したのだからユディットが驚くのも無理はない。


 椅子から立ち上がり、腰につけた警棒トンファーに手を伸ばしたところを見ると、よほどびっくりしたのだろう。


「ありがとう、ユディット。ずっと居てくれたの?」


 シリウスは礼を言い、周囲を見回した。

 まったく見覚えのない部屋だ。


 大きくゆったりとしたベッドに自分は寝かされており、厚手のカーテンがしめられていた。


 床は重厚そうな色合いの板材を使用していて、同じ色目の椅子やチェストが品よく配置されている。


 だが。

 どことなくここ数日使用してきたホテルのようだ。


 不特定多数の来場者をもてなすだけ。持ち主はいない。そんなあっさりとした清潔感があった。


「ここ青葉宮だよ。ここは主寝室だって」

「ここが? 本当に?」


 ユディットに言われて目を丸くする。

 自分の記憶の中の青葉宮と随分違う。


 まず色だ。

 もっと水色や黄色など明るい色彩にあふれていた気がする。


 カーテンも紗のもので、淡い光が室内に広がって……。


「ま。記憶なんて美化されるしね」

 苦笑する。


 実際はこんな無機質な感じだったのではないだろうか。

 当時はあまり深く感じたことはなかったが、自分は私生児だ。

 正妃が生んだ王太子や義弟とは扱いが違って当然だ。

 事実、自分だけはこうやって宮を分けられて育てられたのだから。


「いま何時? どれぐらい僕は眠ってたんだろう」


 昨日の晩銃撃され、そこから一路王都に向かった。

 早朝に王城へ入り、昼食を食べてからベネディクト王と謁見。

 そこで自分は気絶した。


 カーテンを見る。

 厚手ではあるが外の気配は感じた。


 もう夜。

 室内の照明器具に明かりがすべていれられているのもその証拠だ。


「さっき最後の鐘が鳴ったところ」


 ユディットは言うと、ベッドの端っこにとすんと腰を下ろした。

 ということは、夜の8時だ。

 今度教会が鐘を鳴らすのは朝4時。


「おなかが空いたなら夕飯を持って来るけど」

「ユディットはどうしたの?」


「私はお父様とお先に。ごめんね」

「ぜんぜん。むしろほっとした」


「ご飯どうする?」

「今日はいらない。でもなにか飲み物があれば……」


「待ってて」 


 ユディットは立ち上がると、足取り軽くテーブルまで進む。

 保温用のカバーを外してボットからお茶をカップに注ぐ。


「もう冷めちゃってるかもだけど」


 申し訳なさそうに眉をハの字にしてユディットが近づき、シリウスに差し出す。


「とんでもない。ありがとう」


 カップに口を添え、喉に流し込む。想像以上に喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。空になったカップを両手に包み、ほっと息をつく。ユディットはそっとカップを取り上げ、もう一度テーブルに戻ってお代わりを淹れてくれた。


 シリウスはベッドから足をおろして座り、そのカップを受け取る。


「ずっとついててくれたの?」

「ご飯食べてたとき以外はね」


 ユディットは笑ってシリウスの隣に座った。

 そしてお茶を一口飲むシリウスの顔を眺めてまた笑った。


「倒れた直後は世界滅亡の謎にでも挑む学者みたいな顔してたけど」

「………まあ、そりゃあんな話を一気に聞かされたらね」


「いまはすっきりした顔してる。なんか解決した? それとも体力が回復しただけ?」


 ユディットはシリウスの顔を覗き込むようにして足を揺らす。

 ふわふわふわ、と。

 ベッドはユディットの足にあわせて軽く揺れる。まるで雲の上にのっているようだとシリウスは思った。


「その全部かなぁ。体力は回復したし。……というか、自分の体力のなさにげんなりするよ」

「そりゃ仕方ないんじゃない? 気を付けて運動していたとはいえ、シリウス、ずっと塔から出られなかったんだし」


「だとしても君と大違いだ」

「私と比べちゃだめよ」


「……そうなんだろうけど、へこむの。まあ、それはともかく体力は回復した」

「うん」


「で、解決したか、というと……。解決したものもあれば、解決してないものもあって」


 シリウスはふたたびカップを口に寄せ、やっぱり一気に中身を飲み干した。

 潤った。

 そう思った。


 満足した、堪能した、ではなく、潤った。それが一番ぴったりだった。


「解決したっていうのも変だな。なんかさ、割り切った」

「割り切った?」


 ユディットが小首をかしげる。シリウスは空のカップをベッドの上に置き、苦笑いした。


「だってそうだろう? 僕のお母さんがダルニアン皇国の皇女さまで。僕が隣国からの要請で皇子になって。この国の治安維持のために義兄の争いを止めて。それで互いの国の国境線安定のために領地を治めなきゃならないって」


 はは、とシリウスは笑った。


「僕がなにか言ったところでどうしようもない。そもそも僕に『否』という拒否権なんてない」

「あきらめてるの?」


 ユディットに尋ねられ、シリウスはやわらかな表情のまま首を横に振る。


「違うよ。割り切ってるんだよ。これが僕の仕事だって言われるのなら、それをしなくちゃいけない。それが僕の役割なんだ」

「シリウスはそれでいいの?」


「それでいいんだ。だから僕は生かされたんだから」


 脳裏に浮かぶ義弟の顔。

 いつも思う。

 こんな顔じゃなく、彼の笑顔を思い出したい、と。


 そして。

 本来なら彼と一緒に成長したかった、と。


 でも。

 彼は死に、シリウスは生き残った。


 ならば。

 生かされた理由とともに、その使命を果たさねばならない。


「そう。じゃあもう大丈夫?」

「大丈夫……じゃない問題もあるんだ。そうだ。あのね、ユディット」


 シリウスは身体ごと横を向く。

 片足はベッドからおろしたまま。もう片足はひざを曲げてユディットを見た。


「さっきも言ったけど、ダルニアン皇国の件はもうどうしようもない。あちらのいう通りにする」

「うん、いいんじゃない? 皇帝さまはシリウスの伯父さんにあたるのかな? 時間ができたら会ってきなよ。むこうもうれしいと思うよ?」


「まあ、うん。そうする。で、義兄上との争いの件だけど」

「重要だよね、それ。シリウス弱いし」


「君が強すぎるだけだよ。僕は結構強いよ」

「そうかなぁ」


「そんなことはどうでもいいんだよ。義兄上についてもなんとかする。少なくとも戦争勃発みたいにはならないように」

「ええええ? 無理でしょ」


「……無理かもしんないけどやるの。それにあれだよ。戦になっちゃったらそれこそ僕の出番はない」

「そんなことないでしょ。大隊2つとなんだっけ、銃士隊使えるんでしょう?」


「職業軍人を指揮するぐらいの能力が僕にあると思う?」

「ないわね」


「はっきり言うなぁ。だからそれはもう完全に大隊長さんたちにお願いする」

「そんなのできるの?」


「そもそも向こうだって期待してないでしょう。僕、完全にお飾り大将なんだし。で、これも一応解決、と」

「う、うん。なんかあまあまな見切り発車状態だけど」


「で、君との問題だよ」

「私?」


 ユディットがきょとんとした顔で足を止めた。


「君との結婚の話」


 つい眉根が寄った。ユディットも鏡合わせのように眉根を寄せて言う。


「いやなの?」


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