第21話 謁見室にて

 その日の午後。

 シリウスとユディット。コーネリアス宮中伯は王城の黄金樹宮にいた。


「この部屋、シリウスも知ってる? 王子様だったとき、入ったことあるの?」 


 ユディットは始終興奮しっぱなしで、ちゃんと座ってはいるものの、きょろきょろとせわしなく部屋を見回している。


「ないよ、こんな部屋。僕は青葉宮で育ったんだから」


 シリウスは答えながら、なんとなく自分でも室内をうかがった。


 ここは王や王妃が執務を取る宮だ。

 王城の中央にあり、執務室だけではなく謁見室や接待のための部屋。音楽会や舞踏会を開くことができるホールなどもある。


 その黄金樹宮の謁見室の一つだ。


 広さはない。

 というより手狭なほどだ。

 だが飾られた調度品はすべて一級品としれるし、壁紙やカーテンさえも質がいい。


「青葉宮って?」

「ここよりもっと北にある建物。僕は王子っていったって私生児だからさ。王太子やロバートなんかは金剛葉宮で生活してた」


 シリウスは西側の壁を指さして見せる。


「へぇ。王城っていっても広いのねぇ」


 何度目かのため息をユディットが吐き、父であるコーネリアス宮中伯は笑った。


「そりゃそうさ。王国のすべてをここに集めているのだからね。あとでお父様の執務室に行くかい?」

「興味ない」


 秒殺され、コーネリアス宮中伯ががっくりと肩を落とす。

 おもわず同情した時、扉がきっちりと三度、ノックされた。


「はい」


 コーネリアス宮中伯はまだ傷心のまま返事をし、ゆっくりと立ち上がる。

 真似をしてシリウスも立ち上がり、まだ座ったままのユディットに立つように促した。


「陛下がお越しです」


 扉の向こうからの言葉にシリウスだけでなくユディットも目を剥いた。


 確かにここは黄金樹宮で。

 謁見室ではある。


 だが。

 陛下が来るとは限らない。


 というより、陛下が来るなど想定もしていなかった。

 コーネリアス宮中伯に連れられてきたので、てっきり同僚の伯爵か誰かに引き合わされるのだと思っていた。


 そして連れてこられた理由を告げられるのだ、と。


「礼をして」


 コーネリアス宮中伯がのんびりと言う。

 それでようやく我に返ったシリウスは頭を下げ、ユディットも片足を引いた姿勢で腰をかがめる。


 扉が開き、複数人の足音がした。


「よいよい。シリウス王子とコーネリアス宮中伯の令嬢であろう? 顔を上げよ」


 陽気な声にゆっくりと顔を上げる。

 隣ではシリウスよりも少しだけ早くユディットが姿勢を解いていて、さすがだなと妙な感心をした。


「我が国の太陽であらせられる陛下におかれましては、御心やすらかに過ごされておりますこと、臣下として……」

「だからそういうのはよいというに。コーネリアス」


 コーネリアス宮中伯が『我が国の太陽』と称した男は、笑いながらソファに座った。


 シリウスはおそるおそる男を見る。


 この男が。

 父から王位を簒奪したベネディクト・ルブラン王。


 年は30過ぎぐらいだろうか。まだ若いと驚いた。王城から追われた当時、自分はまだ子どもだったから彼が老獪な巨人のように見えたのかもしれない。


 実際は20代半ばの野心家だったのだろう。


 がっしりとした筋肉質な体と、えらが少し張った顔。くせのある黒い髪は豊かに波打ち、それを撫でつけていないところに人懐っこさがある。


「時間がなくてな。茶はあとでいれさせるゆえ、用件だけ話をさせてくれ。みんなも座って。ほら、ガルシア夫人もそんなところに立っていないで」


 ベネディクト王が入り口に向かって陽気な声を投げた。


 まだ、入室者がいるのか。

 シリウスは顔を向ける。


 そして。

 息を呑んだ。


 そこにいたのは。

 あの夫人だった。


 世話係の女性が急病で休み、たった一日だけシリウスのところに来た夫人。


 いまは化粧をしっかりとしており、結い上げた髪に髪飾りなどをさしているが、異国の容姿を色濃く姿は忘れようもない。


 あの、彼女だ。


「王子、その節は名乗りもせずに失礼いたしました」


 シリウスの視線に気づいたのだろう。ガルシア夫人とベネディクト王に呼ばれた夫人が深々と一礼をする。


「知り合い?」

 小声でユディットが尋ねる。シリウスは困惑しながら小さく頷いた。


「ほら、あの……世話係のひとが病気でお休みしたときに……。代わりに来てくれた人」

「ってことはお父様のお知り合い?」


 ユディットがコーネリアスに問う。コーネリアスはにっこり笑って、娘とシリウスにソファに座るように勧めた。


「その話をいまからしようとしているのさ。さ、ふたりとも座りなさい。ガルシア夫人もどうぞこちらへ」


 ガルシア夫人が戸口から離れると、扉は外側から静かに閉められた。


「さて。このたびは遠路はるばる王都までお越しいただき、ご足労であったな、王子」


 シリウスが座るのを確認すると、ベネディクト王がいたわる。シリウスは飛びあがらんばかりに驚いて首を横に振った。


「とんでもございません! あの、先ほどから王子と呼んでくださっているようですが、そのような気遣いは無用です。すでに僕は廃された王子。陛下のご令息こそがこの国の王子です。どうぞシリウスとお呼びください」


「それがそうもいかんのだ、シリウス王子よ」


 ベネディクト王はそう言うと、どっしりと背もたれに上半身を預けた。


「隣国ダルニアンより申し出があってな」

「ダルニアン……皇国、でございますか?」


 王国の南に隣接する皇国だ。


「そちを王子として……ああ、あちらの習わしでは皇子か。皇子として遇したいと申し出が来ておってな。そのこともあり、ガルシア夫人が訪問してくださっておるのだ」

「………は?」


 まったく意味が分からず、シリウスは尋ね返す。

 ついでに隣に座るユディットにも顔を向けた。


「君、意味わかる? 僕、わからないんだけど」

「私も。なんでシリウスはダルニアン皇国の皇子なの?」


 きょとんとした顔のユディットを見て、ああ、理解できていないのは自分だけではなかったと若干ほっとする。


「それは、シリウス皇子のお母さまが我が国の姫君であらせられるからです」


 ガルシア夫人が口を開き、再び頭が混乱した。


「え? は? いや、あの。誰かとお間違えでは?」


 シリウスは首を横に振り、ついで手を左右に振った。なんなら身体ごとぶんぶんと横に振って否定する。


「僕の母は先王妃さまにお仕えする侍女です。産褥熱のため、僕を出産した後に亡くなった、と」

「まあ、それがいままでの公式見解でな?」 


 くくく、と愉快そうにベネディクト王は笑った。


「そなたの母君というのは、ダルニアン皇国のマレ皇女だ。現皇帝の妹君にあらせられる」

「…………そ、そのような方が、どうしてその……! 父君と⁉」


 声が裏返った。どう考えても出会う場がないだろう。


「表向きには留学生という立場でマレ皇女はこの国にいらっしゃいました。ですが、正確には人質です」


 ダルニアン皇国とこの国はいまだ休戦状態だ。和平状態ではない。


 大々的に広報されていないだけで、実際には王族同士の人質交換というのはあったのかもしれない。ちらりとベネディクト王に視線をむけると、彼はおどけたように肩をすくめた。


「余も数年、他国にしたことがある。よくあることだ」

「マレ皇女は青葉宮で暮らし、外に出ることなく教授たちを招いて勉学に励んでおられました」


「青葉……宮」


 自分が住んでいた宮。

 そこで。

 ずっと暮らしていたのだ、母は。

 自分と同じように幽閉されて。


「人質とはいえ、その待遇は悪いものではございませんでした。事実、ブレディン王は皇女の暮らしに心を砕かれ、足しげく青葉宮に通ってくださり……そして」


 ガルシア夫人はそこで口を閉じた。

 シリウスが産まれるような事態が起こったのだろう。


「そ……それで、その。マレ皇女はやはり、僕を生んでお亡くなりに……?」

「いえ。事態を重く受け止めたこの国と我が国の間で話し合いが行われました。私生児とはなりますが、王子として遇することを条件に御子をこの国に残し、マレ皇女は本国へと戻られました」


 ガルシア夫人はひっそりと嘆息する。


「マレ皇女のお父様であり、前皇帝のお怒りはそれはそれは激しいものでした。未婚の身でありながら妻子ある男性と関係を持ち、そのうえ御子まで孕んだのですから。マレ皇女は罪びととして扱われ、本国に移送されるや否や流罪となり、その地でお亡くなりになられました。もう……16年になります。マレ皇女がお亡くなりになって」


 ということは、シリウスが2歳になるかならないかのころに没したということだろう。


「前皇帝は5年前にお隠れになり、現在はマレ皇女の兄君であられるトルドーさまが皇帝としてお立ちになっております。このトルドーさまが非常に慈悲深い方である上に、マレ皇女を大変溺愛なさっておいででした」


 ガルシア夫人は少し息を継ぐ。


「前皇帝がご存命のころより折を見て皇女の減刑を申し出ておられましたが、ついぞかなうことはなく。そして、ご自身が皇帝となられたいま、せめてマレ皇女の忘れ形見を皇子として引き取れないだろうかと思召したのでございます」


「シリウスを……ですか」


 ユディットが思わずと言った風に言葉を漏らす。

 だがそれを非礼や無礼と思わずに、ガルシア夫人はうなずいてくれる。


「そうでございます。そして、マレ皇女が留学中に非常にかかわり深かったわたくしにお声がかかり、このようにベネディクト王にお骨折りいただいております」


「なあに、別に余はたいした苦労はしておらぬ」

 からからとベネディクト王は笑った。


「シリウスを保護しているコーネリアスに連絡をし、ガルシア夫人と引き合わせただけだ」

「……夫人は……義兄と通じているわけではなかったのですね」


 つい口をついてでた。

 シリウスはしまったとばかりにすぐに口を閉じたが、ベネディクト王はソファにもたれたまま足を組み替えて目を細めた。


「そう。この夫人はそなたの義兄殿とはなんの関係もないのだよ」


 そしてベネディクト王は困ったように苦笑いを浮かべた。


「そして、シリウス皇子。問題は君の義兄殿なのだ」

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