第17話 ユディットと共に王都へ

「王都に……ですか? 僕が?」

「ああ、そうだ」


「あ」


 そしてようやくなにかを悟ったようにシリウスが身体をこわばらせるから、コーネリアス宮中伯は苦笑した。


「なにも君を王都の処刑台に護送しようとしているわけじゃない」

「当然じゃない。そんなことしたら、いくらお父様といえ覚悟してほしいわ」


 ユディットが腕を組んで鼻を鳴らし、コーネリアス夫人は「まあ怖いこと」と扇を揺らした。


「王都で会ってほしい人がいるんだ。ようやく調整がついたのでね」


 コーネリアス宮中伯は穏やかに目を細めた。そんな仕草はとてもユディットに似ている。


「ついでに王都までの道中、国の様子を眺めるといい。君にはいい刺激になるだろう」


 義兄は『国民は悲鳴を上げている』と言っていた。

 ルブラン家が王位を簒奪してからというもの、国は衰退している、と。


 塔に幽閉され、世間と隔絶されているシリウスはそれが本当かどうか確かめようがない。


 これは確かに。

 いい機会かもしれない。


「その……ですが。僕が……その、あの塔から出ても……。その宮中伯がお叱りを受けるようなことはないのですか?」


 しっかりとしゃべろうとするのにたどたどしい言葉しか出てこない。


 それは。

 胸の内にうずまく不安のためだ。


 不思議だと思う。


 あの塔に幽閉されたときはいつ殺されるのかとおびえていたのに。

 いまでは、あの塔から出されれば危険だと思うようになっていた。


 自分の生き死にのことではない。

 自分を守るために塔にいれてくれた人たちのことがなにより気がかりだった。


「それは大丈夫だ。むしろ、君が王都に行ってくれないとわたしは難しい状況になるんだがね」


 ということは、なにか政治的判断が動いているのだろうか。


 コーネリアス宮中伯は、シリウスの父王のときも、そして現在のベネディクト・ルブラン王の治下においても王城で一定の権力を保っている。


 その彼が誰かの意志によってシリウスを王都に連れてこさせようとしている。

 コーネリアス宮中伯になにかを命じられる人など限られている。王か、その近親者。


 もし。

 もし、いまのこの状況で自分が現王に接近でもしたら。

 その状況を義兄が知れば。

 なにをしでかすかわかったものではない。


「その……。今日もそうですが、僕はあの塔にいることになっています」


 慎重にシリウスは言葉を選ぶ。そして視線を油断なく走らせた。あの夫人がまだどこかにいるかもしれないのだから。


「シリウス・サイレウスは、あくまであの塔にいなければなりません」

「もちろんだ。表向きはアダム・ジョーンズがわたしと一緒に王都に行くことになる。そのため、塔にはいつも通り見張りをつけるし、世話係は変わらず食事を届けて洗濯や掃除をすることになるだろう」


 つまり、影武者か何かをたてるということか。

 ならば。

 しばらくの間は義兄の目をごまかせるかもしれない。


「王都での御用というのはすぐ終わるものなのですか?」

 突然ユディットが口を挟んできた。


「そう……だね。彼については。ただ、わたしは……」

「お父様は別にどっちでもいいの。王都にずっといらっしゃれば?」


「娘というのは冷たいものだね……」

「ずっと不在にしておられるのがいけないのでは? ねぇ、ユディット」

「いてもいなくても一緒ですものね、お母さま」


 母娘は目を見かわしてにっこりと笑い、父親はがっくりと肩を落としている。シリウスは苦笑してそんな親子を見ていたのだが。


「だったら、私も一緒に王都に行こうかしら」


 唐突にユディットがそんなことを言いだすからシリウスとコーネリアス宮中伯は目を丸くした。


「それはだめでしょう!」

「遊びではないんだよ、ユディット」


 シリウスとコーネリアス宮中伯に同時に言われ、ユディットは眉根を寄せた。


「遊びじゃないってことぐらいはわかるわよ。それと同じぐらいシリウスが危ないかもしれないってこともね」

「だったら!」


 言葉きつく制止しようとしたのに、きっぱりとユディットは言いきった。


「私がいるほうがシリウスの安全度は上がるわ」

「だけど君の危険度は上がるよね」


「そりゃ、そうね。だけど心配じゃないの? シリウス」

「心配?」


「ええ。そりゃね、私を置いて行ってもいいわよ、宮中伯都に。そしたら私、勝手にいろいろやっちゃうわよ?」

「いろいろって……え?」


 ふと脳裏に浮かんだのは、世直しだと言ってサンダースさんと夜の街を徘徊していたときのことだ。


「ね?」

 ユディットは笑顔をシリウスに向ける。


「手元に置いておく方がさ、安心なんじゃないの? シリウスが」

「なんかおかしい上に、それって僕を脅してるよね⁉」


 シリウスが悲鳴を上げる。

 ユディットを無理やり宮中伯都において王都に向かったとしても、きっと勝手にあとからついてくると言っているのだ。


 しかもユディットのことだ。道中でなにをしでかすかわからない。


 心配だ。

 確かにいろいろ心配だ。

 ユディットに世直しされる側が心配だ。


「おいていったらまたややこしいから、ユディットを連れて行ってくださいな」

 宮中伯夫人はうんざりした顔で夫に言う。


「いやあ……。そりゃまあ……。うーん……。どうしようかなぁ」


 コーネリアス宮中伯は若干複雑な顔でシリウスとユディットを交互に見比べていたが、不意に人差し指を立ててなにかを招く動作をした。


「なんでしょうか」


 足音もなく近づいてきたのはサンダースさんだ。


 そういえば彼女は会場内にいてシリウスを見張っていると言っていたが。

 いまのいままで気配も感じなかった。


「君も同行してくれるかい? ユディットがついてくるって言うんだ」

「かしこまりました」


 途端にユディットが両腕を突き上げて「やったあ」と喜ぶ。


「まったくもう。とんだ珍道中になりそうだよ」

 コーネリアス宮中伯が深く吐息を漏らす。


「その前に、ダンスをつつがなく終わらせましょう、あなた」


 宮中伯夫人が言う。

 そしてシリウスも思い出した。

 このあと、自分はユディットと踊るのだ、ということを。


「あ」

「どうしたの? シリウス」


「この靴。鉄板入れてもらうの忘れた……」

「失礼ね! もう踏まないわよ!」


 そのあとのダンスでは。

 確かにユディットはシリウスの足を踏まなかった。


 だがそれは彼女の努力のたまものというよりは。

 シリウスのたぐいまれなる運動神経によるものだった。

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