第15話 元王子様、登場

「これは……大変だ。すみません、皆様方。失礼いたします」


 シリウスが頭を下げると、紳士たちはゆったりと笑って送り出してくれた。


 急ぎ足でシリウスは進む。

 執事たちは立ち止まって道を開けてくれるし、参加者たちはおおげさに目を丸くするが、会釈をすると笑顔で応じてくれた。


 そして。

 半円形に取り囲まれているユディットの近くに到着した。


「だから! いるって言ってるじゃない!」

「だってジョーンズ卿なんて誰も知らないわよ?」


 どうやら口論の発端は自分らしい。内心「みんななんでそんなに人のことが気になるかね」と顔をしかめる。


「どうせ伯父様に頼んで適当なひとを連れてきただけなんでしょ? 入場だけエスコートしてもらって、あとは消えたのね。だからいま、あなたの側にいないんだわ」


 腕を組み、勝気そうな瞳でユディットを見るのは、深紅のドレスを着た女の子だ。


 年はユディットとそう変わらない。

 たぶん、彼女がユディットの従姉妹のティモシーだ。

 そういえばどことなくユディットに似ている……のは負けず嫌いの性格か。


「だから素直にユディット嬢のお兄様がたにエスコートしていただければよろしかったのに」


 別の女の子が言い、ティモシーも笑う。


「無理するからこんなことになるのよ」


 その言葉に追随するように女の子たちや、そのパートナーたちが笑った。


 あ、やばい、と本能的にシリウスは悟った。

 ユディットがブチ切れる、と。


 だから。


「ユディット」

 そっと声をかけ、彼女の隣に並ぶ。


「お待たせ。少しそこで声をかけられたものだから」


 シリウスは自分史上最高の笑みを浮かべてそっとユディットに話しかけた。


 ぽかん、と。

 自分を見上げるユディット。


 それだけではない。

 あれだけユディットを小ばかにしていた女の子たちも。

 それから彼女たちのエスコート役たちも。


 ぽかん、と。

 口を半開きにしてシリウスを観ていた。


「……えっと。ユディット? どうしたの?」


 変なタイミングで声をかけたのかなと戸惑ったが、不意にユディットが動き出した。


「アダム・ジョーンズよ!」


 ロイヤルストレートフラッシュでも出したかのようにユディットが声を上げた。

 びくりと肩を震わせ、次にティモシーが我に返る。


「は? え? っていうか、わたし、あなたのこと寡聞にも存じ上げませんわ」


 ティモシーは相変わらず腕組みをし、なんなら少しつま先立ちにもなってユディットを威嚇するが、周囲の女の子たちはひとかたまりになり、「あの美形だれ⁉」「見たことない、見たことない、見たことない!」「どこのお茶会や夜会でも見たことない!」と黄色い声を上げていた。


「ここ数年、国を離れてスリシュ王国に留学しているので、今回も久しぶりの帰国なんです。ね? ユディット」

「そうなの! 史学を学んでいるのよ、アダム・ジョーンズは!」


 誇らしげに言うからシリウスは吹き出しそうだ。


 女子たちは「留学⁉」「頭もいいんだわ!」「というか、足、めっちゃ長いんですけど!」と興奮を隠そうともしない。


「留学ぅ? ふーん。ジョーンズ子爵ねぇ。ねえ、ダグラス。あなたはご存じ? ジョーンズ子爵ですって」


 ティモシーがパートナーらしい男性に声をかけた。

 彼が婚約者ということだろう。


 シリウスは彼に視線を移す。


 二十歳を少し超えたぐらいだろうか。

 彼もほかの紳士たちの例にもれずタキシードを着ているのだが、少しずつなんだかおかしい。


 シャツのボタンに色はついているし、襟のウイングカラーの先には小さなラメがつけてある。ブラックタイもよく見ればブラックではない。ネイビーブルーのように見えた。


 プラチナブロンドを撫でつけ、ひげを丁寧に剃ったうえに少し化粧をしている。

 いまの流行りなんだろうか、と少しびっくりした。少なくともさっきまで話していた紳士たちは化粧をしていなかった。


 ほかの若い男たちはどうだろうと、黄色い声を上げ続けている女子のパートナーを順繰りに見る。結果、化粧しているのはほんの数人だと知った。


「さあ、ぜんぜん。聞いたこともないな」


 ダグラスという男が鼻を鳴らす。

 そりゃそうだろうよ、と内心苦笑いした。


「父もあまり社交界に顔を出すタイプではないから。母も外国人だしね」

「ふぅん。で? そんなやつがなんでユディット嬢のエスコートを?」


 あからさまに胡散臭そうにダグラスが言う。


「僕は趣味で絵を描いているんだけど、その絵を宮中伯が気に入ってくださって……」

「まあ! あのチャリティーに出品されている絵⁉」


 女子のひとりがすごい勢いで駆け寄ってきた。反射的に身をそらし、「ええ、はい」とおびえながらうなずく。


「わたくし、お父様にねだって買っていただきましたの!」

「うちにも1枚ありますわ!」


 きゃあきゃあと女子たちが騒ぎ出す。


「ああ、あの絵ね!」


 その女子たちの声を圧するようにダグラスが声を放った。

 シリウスだけではなく、女子たちも一斉にダグラスを見る。


 ダグラスは。

 いや、ダグラスだけではなくティモシーもバカにしたようにシリウスを見ていた。


「なんか一部では人気があるみたいだけど。デッサンがくるってるよ。素人が描いたのがまるわかりだ」

「そうよね。遠近法がおかしいからか、見ていると酔っちゃうのよね」


 そう言ってふたりでくすくす笑いあう。


 無言で。

 ユディットが一歩踏み出すからシリウスがその手をぎゅっと握った。


「僕、素人だから。教えてくれてありがとう」


 シリウスはダグラスに微笑む。ダグラスはへらへらした態度で肩をすくめて見せる。


「でもね、そんな風に浅はかな知識をひけらかすの、恥ずかしいことだからやめたほうがいいよ」


 ぎょっとしたようにダグラスが目を剥く。

 シリウスはさらに笑みを深めた。


「きっと僕のために苦言を呈してくれたんだよね。だから僕も教えてあげる。そのタキシード、変だよ?」


 ぷ、と。

 途端に噴き出したのはダグラスの周囲にいる男のひとりだった。

 かっとダグラスは顔を赤くして唾を飛ばして怒鳴った。


「田舎者め! 王都じゃいまはこれが流行っているんだ!」

「そうなんだ。ごめんね、しばらく王都から遠ざかってたから」


 シリウスは小首をかしげて微笑んだ。


「そのうち、遠近法のやり方も変わっちゃうのかな」

「なんだと! 喧嘩売ってるのか!」


 こぶしを握り締めて間合いを詰めてきたのだが。

 ダグラスとシリウスの間に無言で割って入ったのはユディットだ。


「なに? 喧嘩なら私が買うわ。表に出なさいよ」


 目をすがめ、低い声でうなる。

 途端に。

 冷水でも浴びせられたようにダグラスは顔色を失った。


「いきましょ、アダム・ジョーンズ。あっちにケーキがあるの。見て回りましょう」


 くるりと踵を返してシリウスと向かい合うと、ユディットはにっこりと笑った。


「そうだね、ユディット。そうしよう」

 シリウスは周囲のみなに優雅に一礼をする。


「女にかばってもらうとはな」

 ダグラスが吐き捨てる。シリウスは小首をかしげた。


「女性と一緒になって僕のユディットをばかにするのはいいの? そっちのほうが情けないと思うけど」


 ダグラスの顔が赤からどす黒く変化し、握りしめたこぶしが小刻みに震える。


「喧嘩してもいいけど。君、実戦経験あるの? ないんならやめたら?」


 笑みを消し、静かにそう告げる。

 ダグラスは震えるばかりで殴りかかって来ることはない。


「行こう、ユディット。ケーキを食べに」

「うん」


 シリウスはユディットをエスコートしてその場を離れる。

 背後からは女子たちの黄色い歓声が上がっていた。

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