第14話 一触即発のユディット

 夜会会場は中央棟にあるようだ。

 1階だとは聞いているが、その会場に行くまでが長い。


 シリウスたちがいたのは北棟だったから、回廊を渡って中庭をつっきる形で移動する。


 その中庭にもランタンがいくつも並び、時折着飾った貴族の夫婦がグラス片手にそぞろ歩いている。


 中央棟に入ると、グラスを運ぶ執事たちや軽食の準備で忙しく立ち歩くメイドたちがたくさんいた。


 それだけではない。

 屋内は真昼のように輝き、廊下だというのに調度品や装飾花がいくつも飾られている。


 招待客はここでもグラス片手に壁にかけられた絵画や壺を眺め、なにか会話をしている。


 会場から漏れ聞こえる音楽も素敵だ。

 いくつもの弦楽器を使った曲など、いったい何年ぶりに自分は聞いただろう。

 酒に酔ったようにぼんやりとしていたシリウスだが、ふと視線を感じて目をまたたかせた。


 すれ違う貴族たちだけではない。

 メイドや執事など使用人も。


 みな、シリウスを見る。


(僕……というか、ユディット?)


 なんとなく居心地悪く首をすくめる。

 ぶしつけな視線というわけではない。


 事実、そっと視線を合わせると、すいっとそらされてしまうのだから。


 そうなると途端に恥ずかしくなる。自意識過剰なのではないか、と。

 ユディットはこんな雰囲気に慣れているのか、すました顔で「ごきげんよう」と時折顔見知りの貴族に会釈なんかしている。


 エスコートする腕にユディットが不意にしがみついてきた。

 目を瞬かせて視線を下げると、彼女は背伸びをするようにしてシリウスの耳に口を寄せた。


「みんながシリウスを見ているわ。ふふん。こんなかっこいい男性にエスコートされる私。いい気分だわ」

「違うよ。みんなはユディットを見ているんだよ。こんな美女を連れている僕ってすごいね」


「あらそう? じゃあみんな、美男美女の私たちを見ているのね」


 しれっとそんなことを言うからシリウスは吹き出して笑った。

 そうして夜会会場の入り口に進む。


 中央棟に入った時から聞こえていた楽団の音楽が、ここでは明瞭に、軽やかにシリウスの心臓を弾ませる。音楽というのはこんなに気分を高揚させるのだと数年ぶりに実感した。


 入口では読み上げ係が入場者の名前を告げている。

 すでに会場にはたくさんの入場者がいて、拍手がおこったり、若者らしいはしゃいだ歓声が上がったりした。


 読み上げの列は順に進み、次はシリウスたちの番になったとき、背後にいた騎士たちがシリウスに耳打ちした。


「我々は会場に入れません。外で待機しています」

「え? じゃあ僕の監視は?」


 ついそんなことを言ってしまい、苦笑いされた。


「サンダース夫人がなさいますし、会場内には執事の姿をして騎士が紛れています。もしあなたが不穏な行動をすれば……」


 騎士の視線をたどるとサンダースさんがいる。

 彼女は無言のまま、手刀を切った。しゅっと空を切る音が怖い。


「了解」

 シリウスは笑う。騎士たちも笑って敬礼をすると、シリウスたちから離れる。


「コーネリアス宮中伯ご令嬢ユディットさま。並びにジョーンズ卿」


 読み上げ係が朗と名を呼ぶ。

 シリウスはユディットをエスコートしたまま会場に入った。


 一斉に視線を浴びる。


 好奇、奇異、驚き。

 そんな雑多な視線にからめとられ、一瞬足が止まった。


 あれは誰だ。

 口には出さないのに会場中の人間はシリウスに対してそう問うていた。


「あら、おば様たちがいらっしゃるわ」


 すい、と。

 まるでダンスの一歩目のような軽やかさでユディットが歩き出す。


 ようやく呪縛から逃れられたかのようにシリウスも足を動かした。気づけば息まで止まっていたらしい。


 歩きながら少しずつ呼吸を整える。


「お久しぶりです、おば様がた!」


 ユディットが声をかけたのは40代ほどの女性たちで構成された集団だ。

 宮中伯家の親族で、この夜会の中核を担うのかもしれない。会場の中央で堂々たる存在感を放っていた。


「まあ、ユディット。バラ園のお茶会以来かしら」

「そのドレス素敵よ。今度姪に紹介したいからお店を教えて頂戴な」

「見ないうちに大きくなって。立派なレディねぇ。コーネリアス宮中伯ももっとあなたを社交界に出さなくっちゃ」


 あっという間に取り囲まれ、姦しい声に圧倒されていたのだが。

 ふと、ひとりの夫人が言う。


「というよりあなた、夜会に参加するのは初めてなのではなくて?」


 ユディットは苦笑いした。


「正式に、となるとそうかもしれませんが……。まあ、今日は身内や知り合いばかりだからこうやって……」

「まあ大変! だったらあなた、マリー夫人にまずは挨拶をしなくっちゃ!」

「タニア夫人はどちらかしら⁉ タニア夫人にもお目通しを!」


 途端に慌ただしく女性たちは動き出し、あっという間にユディットを奪って会場を移動してしまった。

 呆然とひとり立ち尽くすシリウスだったが。


「やあ、お初にお目にかかるかな?」


 男性の声に顔を向けると、数人の紳士たちがシリウスに近づいてきた。

 年のころは40代。たぶんだが、さっきユディットを強奪した女性たちのご夫君たちではないだろうか。


「ユディット嬢のエスコートを?」

 促され、シリウスは礼儀正しく一礼をした。


「宮中伯より大役を仰せつかりましたが……。すでに任務遂行困難になっております」


 おどけて言うと、紳士たちは鷹揚に笑った。


「妻たちがすまないね」

「なかなかユディットが社交界に顔を出さないものだから張り切ってしまって」


 やはり女性たちの配偶者だったらしい。


「えっと。確かジョーンズ卿と……?」

「はい。父が子爵位を。アダム・ジョーンズと申します」


 シリウスは笑顔で嘘をつく。


「ユディットと同じであまり社交界でみないね」

「4年ほど前からスリシュ王国に留学しておりますので」


 なるほど、と紳士たちは目を見かわす。


「では宮中伯とはどこでお知り合いに? ご父君関係かね?」

「しかしジョーンズ子爵……。あまりお聞きしないが」


 シャンパングラスを傾けながら紳士たちが言う。


「専攻は史学なのですが、お恥ずかしい話、趣味で絵を描いておりまして。宮中伯がたまたまそれを目にしてくださ……」

「ああ!」


 シリウスが最後まで言う間もなく、紳士たちは指を鳴らしたり声を上げたりした。


「宮中伯がチャリティーで出品する油彩画! あの作者か!」


 はにかんだ表情を作ってシリウスは頷いて見せつつも。

 内心は冷や汗ものだった。


 結局夜会当日まで宮中伯に会うことはできなかったが、細かい設定はいくつも考えてくれていて、それはユディットを通じてシリウスに届いていた。正直、夜会では誰からも話しかけられず、ただユディットのそばにいればいいと思っていたのだが。


 貴族たちは新鮮な話題に飢えているらしい。

 シリウスは格好のネタになっていた。


「いやあ、いくら作者を尋ねても秘密だと宮中伯はおっしゃるから、誰かと思っていたよ」

「わたしは宮中伯が描いているとおもっていた」

「なるほど、君の名推理ははずれたな」

「いやだがわたしは君の絵を2枚買ったよ。ファンだ」


 いきなり手を差し出され、シリウスはおっかなびっくりその手を握る。

 恰幅のいい紳士はご機嫌で握手したまま上下に振る。


「まさか作者に会えるとはね。うれしいよ。絵のどこを見てもサインもなにもないから」

「こちらこそ。あの、ありがとうございます」

「君の絵の具使いがすきなんだ。夕日の絵、とてもいい」


 お世辞ではないようだ。紳士は実際に絵をじっくりと観た人間にしかわからないことをシリウスに伝え、ほめてくれた。


 シリウスもうれしくなって、自分が凝らしたギミックについて語り、紳士はさらに熱を込めて話しだしたのだが。


「おっと、ジョーンズ君」


 ひとりの紳士がぴん、とグラスを指ではじいた。

 シリウスは口を閉じ、彼を見る。


「君の姫君が新たな敵に遭遇したようだ。救出に向かったほうがいいのでは?」


 紳士たちが肩をすくめる。

 視線の先をたどると、会場の東側。壁のあたりでまだ若い男女に取り囲まれているユディットが見える。


 遠目にも彼女の頭から湯気が上がっているのが見えて慌てた。


 最悪だ。

 まるで一触即発ではないか。


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