第13話 夜会会場
それから7日後のこと。
シリウスは数年ぶりに塔を出て、幾人もの騎士たちに護送されながら宮中伯の屋敷にいた。
もちろんその理由は。
ユディットをエスコートして夜会に参加するためだ。
「これはまあ……なんというか」
屋敷の一室を借りてユディットが用意したタキシードに着替え、部屋を出たシリウスは、顔見知りの騎士に目を丸くされた。
「変? 似合ってない?」
髪を撫でつけてみたものの、もう少し短く切ったほうがよかっただろうかといまさらながらに焦る。
「いいえ。とんでもありません。随分とお似合いでびっくりしました」
塔に移送されてからの付き合いだから、かれこれ4年の付き合いになる。
最初は敵でも見るような目つきと態度で接していたが、いまでは年下の従兄弟みたいなフレンドリーさだ。それはなにもこの騎士だけではなく、見張りの騎士全員がそうなのだが。
「やっぱり王子なんだなぁ、と」
「元王子、ね」
シリウスは苦笑いする。
「それもそうですね」
騎士は同僚と顔を見合わせて笑う。
「それもここでは秘密だから。僕のことはジョーンズと呼んで」
「そうでした。うっかり御名を呼んでしまいそうだ」
「無駄なことは口にしないでおこう」
ふたりの騎士たちは頷きあい、そしてシリウスを連れて歩き出す。本来は逃亡せぬためのふたりなのだが、はた目には護衛騎士に見えることだろう。
それぐらい親密で仲がいい。
「でもまさかこんな服だとは思わなかったよ」
毛足の長いじゅうたんが敷かれた廊下を歩く。目指す先はユディットが準備している部屋だ。
「確かに、確かに」
「お嬢様なら、なんかこう……。動物の着ぐるみとかでも用意しているのか、と」
騎士の言葉にシリウスも含めてみなが大爆笑をした。
サンダースさんが採寸し、ユディットが見繕って用意したシリウスの服。
それは至ってスタンダードなタキシードだった。
ジャケットは黒羅紗。シャツは白絹。パンツにはきちんと飾り縁がつけられていて、蝶ネクタイでさえ黒。なんの
「でも本当にお似合いですよ。どこの王侯貴族にだって負けやしません」
「そうです。ほんと、持って生まれた気品ってこういうことを言うんでしょうね。そんじょそこらの成金なんてしっぽをまいて逃げ出しますよ」
「そういう勝負でもないから」
シリウスは苦笑いだ。
「だけどお世辞でも似合っていると言ってくれてありがとう」
「お世辞じゃないです」
「ほんと似合ってます」
騎士たちが声をそろえるから再度三人は笑い声をたてた。
そうしてユディットが待つ部屋に到着する。
扉の前には執事が待機していて、「到着なさいました」と声がけをした。
ほどなくして扉が開き、ユディットが出てくる。
こちらはこちらで。
騎士二人とシリウスはあんぐりと口を開いて言葉を失くした。
塔にやって来る時、ユディットはいつもワンピースにエプロンドレス姿。それに編み上げブーツというスタイルだ。髪だっておさげにしているか、ひとつに束ねているか。化粧なんてしているところを全く見たことがない。
だが。
いま目の前にいるのは。
つやめく唇と淡い化粧を施したユディット。
髪はきれいに編み込まれ、襟ぐりの広い桃色のドレスをきているせいで、うなじから鎖骨にかけてのラインが非常に美しい。
また桃色のドレスも腰を絞ってスカート部分にボリュームをもたせたもののため、彼女の腰の細さを際立たせた。
「変?」
あまりにも反応がないからだろう。
しょぼんと眉を下げたユディットが涙目になってシリウスに尋ねる。
「まさか! きれいだよ! ね⁉ そうだよね⁉」
慌てて騎士たちに話を振ると、彼らも壊れた操り人形のようにがくがくと首を縦に振った。
「驚きすぎて反応が遅れました」
「いやあ、お美しい。これこそが宮中伯の秘められた珠ですね」
口々にほめそやされ、ようやくユディットはいつもの自信ありげな笑みを浮かべ始めた。
「よかった! サンダースさんからも似合うって言ってもらったの!」
「うん。いいよ、とても。あ、そうだ。ユディット。このタキシードも選んでくれてありがとうね」
シリウスが言うと、ふふん、とユディットは顎を上げた。
「私の見立てはやっぱり最高よね。とっても似合ってるわ」
「いやまさか、こんな普通なものになるとは」
「どういう意味よ!」
「もっと奇抜なデザインかと思ってたから」
「だって今日は私のエスコートなのよ? 私が恥かくじゃない」
「あ……そういうこと」
がっくりと肩を落とし、騎士たちも「ははあ、なるほど」と納得している。
「でもシリウスもかっこいいよ!」
ユディットが言う。すかさず背後に待機していたサンダースさんが口を挟んだ。
「ジョーンズ卿です。お間違えの無いよう」
「あ、そうだった。今日はジョーンズね」
まさか幽閉された元王子が堂々と出てくるわけにもいかない。
「でもなんかいいなぁ。私も偽名で参加しようかな」
ユディットが言うからシリウスはあきれ返る。
「おかしいでしょ、それ。君はちゃんとした宮中伯の娘なんだから。ご令嬢だよ?」
「だって偽名のほうが密命帯びてるって感じじゃない?」
「密命は帯びてるよ。君のエスコートを完璧にこなし、足を踏まれようが蹴られようが骨が折れようが最後までダンスを踊りきるっていうね」
「ひっど。あれから練習して踏まなくなったでしょ⁉」
「踏まなくなるまでに僕の体幹がだいぶん鍛えられたけどね」
「よかったじゃない」
「そんな君、堂々と言うことじゃないよ?」
まだなにか言いかけたユディットを、サンダースさんが咳払いで止める。
「まずは会場に参りましょう、お嬢様」
「あ。そうだ。忘れるところだった」
「いや、それが第一使命だから」
やっぱり偽名も密命も無理なんじゃないだろうかと思いながら、シリウスはユディットに肘を差し出す。
きょとんとしていたユディットだが、嬉しそうにシリウスの肘を取った。
「こんな風に歩くの初めてね!」
「というか塔の外を君と歩くのが初めてだよ」
「言われてみれば本当だ! なんか違和感ないのよ。ねえ?」
ユディットが騎士たちに声をかける。
「そうなんですよ」
「何度も言いますが、本当にタキシードも様になってて……。いやあ、生まれながらのものってあるんですよ」
騎士たちの言葉に、シリウスはひらひらと手を振って見せた。
「ないない。そんなのないし。違和感ないのは、塔のなかのメンバーが勢ぞろいしてるからじゃない?」
生活場所は変わったが人間が変わっていないからに違いない。
「そうかなぁ」
「あ、そうだ。あのさ、ユディット」
「ん?」
「今日、宮中伯お時間あるかな。ちょっと相談したいことがあるんだけど」
そう言うと、ユディットは少し首を傾げた。
「んー……。今日はうちの主催だから時間ないかもなぁ。ずっと接待とか来客者に話しかけて回ってるから」
「そう……だよね」
少し落胆する。
というのも義兄のことを相談しようと思ったのだ。
あの様子では遠からずなにか仕掛けてくるに違いない。
未然に防ぐためには宮中伯に暴露するしかない。
確かに彼とは血がつながっている。
父を同じくした兄弟だ。
だが。
いまのシリウスにとっては、それだけの男だった。
それよりもこの生活を維持してくれた宮中伯や、毎日訪問してたわいなことを話しながら一緒に過ごしてくれるユディットのほうが大事だ。
この。
閉じ込められた塔の中で完結する人間関係と生活だけがシリウスにとっては守るべきものだった。
「じゃあ、折を見てお父様のところに行ってみましょう。そんなに長くはとれないけど、お話は聞いてくれるかも」
ユディットが慰めるように言ってくれる。シリウスは頷いた。
今日のところは「相談したいことがある」だけでも十分だ。
改めて時間のあるときに塔に来てくれればいい。
騎士に先導されるようにシリウスはユディット共に歩く。
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