第9話 義兄からの誘い
その気づきはもうひとつのことを想起させた。
(手紙……)
あのパンの袋に入っていた手紙。
近々会おうと書いてあった、義兄からの手紙。
(廃太子は……。義兄は……)
いったい、どこの修道会にいれられたのか。
何派のなんという修道会なのか。
自分はそういえば知らないことに気づく。
いまだおさまらないめまいをこらえながら、ゆっくりと上半身を起こそうとした矢先。
無造作に目を覆っていたタオルを取られた。
反射的に目を開いてしまい、まぶしさにうめいて顔をそむけた。
「おお、悪い。こんなに薄暗いのにまだまぶしいとは思わなくてな」
若い男は笑っている。
何度も目をしばたかせ、ゆっくりと、慎重に声のほうに顔を向けた。
刺すようなまぶしさはもうないが、視界は異常だ。
サンダースさんがやはり窓を覆うように衝立を立ててくれているが、漏れいる光のせいで万華鏡をのぞいているようなありさまだった。
男の輪郭はおぼろげにわかるが、顔立ちなどさっぱりだ。
男たちは黒いフードを着ているらしい。清貧を美徳するナラン派はめったに修道服を替えない。破れば繕い、汚れれば丁寧に洗う。もともとはアジル派のように白の修道服だったが、汚れが目立たない黒い修道服を着るようになったという。
「パンの中に少々薬を混ぜさせてもらった。そこで医師のご登場ということで我らがやってきた、というわけだ」
若い男が愉快そうに喉を鳴らして笑う。
「今日と明日は絶食し、塩少々と砂糖をまぜた白湯を規定量飲み続ければ毒は体外に出ます。自然毒なので解毒剤というものがないのですよ。申し訳ありません、王子」
年配の男の。
なにより自分に向けられた敬称に、やはりと息を呑む。
「……義兄上……なのですか」
若い男のほうに顔を向けてシリウスは尋ねた。
「無沙汰だな、シリウス」
つっけんどんに義兄であり、廃太子となったパトリックが答えた。
「修道院に入られたとお聞きしておりました」
「入っている。現在もな」
鷹揚なパトリックの態度に懐かしさがこみ上げる。
顔などまるで覚えていない。
たぶん、目が普通に見えていたとしても義兄だとはわからなかっただろう。
だがこの不遜な声音には聞き覚えがあった。
「手紙を、頂戴しました」
シリウスはベッドの上に座りなおす。やはりめまいがひどいのでベッドヘッドに背中をもたれさせるようにして、顔はうつむき気味にしかできないが。
「お前、ここにずっと幽閉されているのか」
「はい」
「では下界の様子や下々の暮らしぶりなどは知らぬな?」
シリウスが黙っていると、パトリックはつらつらといかに今の世が父の治世とは違って国民を虐げたものかを話し始めた。
限られた貴族と王の家族だけが常世の春とばかりに生活を楽しみ、享楽の限りを尽くしている。その陰では苦言を呈した貴族や文官が排され、国民は増税に苦しんでいるという。
「このままではこの国は亡ぶ。その前に悪政を排し、正統なる王位継承者である俺が新たな指導者にならねばならぬ」
パトリックは熱を帯びた声でそうしめくくった。
シリウスはなんとも言えず黙っている。
それは、見方によるのだ。
自分たちが王族として暮らしていた時、同じように思った者がいた。
それが現王のベネディクト・ルブランだ。
彼はパトリックが言うところの「王位を簒奪」したのだが、本人から言わせれば「悪政を強いる愚王を倒した」のであり、前政権で得をしていた者たちは排され、ベネディクトを指示した者がこの世を闊歩するのは当然だ。
「本来なら、俺の右腕として支えてほしいのはロバートだったが」
パトリックは随分と不満そうだ。
ロバートが生きていないということにも。
それからシリウスが自分の意見に同意しない、ということにも。
どくり、と不穏に心臓が鳴る。めまいが強くなった。
ロバートの死に顔が脳裏をよぎる。
「お前も父上の血が少しは流れているのだ。俺に協力しろ」
どくどくとこめかみが脈打ち、頭が割れるようだ。
パトリックは反乱を起こすつもりらしい。
それに協力をしろと言っている。
「この塔から連れ出してやる」
そんなことをしたらどうなるか。
宮中伯やユディットまで累が及び、下手をすれば内通者として王たちに処罰されてしまう。
(そんな恐ろしいこと………)
シリウスは小刻みに震えるこぶしを握り締めた。
「差し出がましいようでございますが」
シリウスはめまいとまぶしさに顔をゆがめながら声をふりしぼる。
「義兄上を全面的に支持するものとは、やはりナラン派のみなさまでございましょうか」
身を隠しながらもパトリックがこのように出歩けるのは、修道院が全面支援しているからだろう。
ナラン派が現在どのような状況におかれているのかはわからない。
だが、いずれの宗派も願っていることはただ一つ。
みずからが「正統」になりたいのだ。
もしパトリックが王位に就けば、きっと国教の正統はアジル派からナラン派に代わる。
(ならば……)
最悪、自分がまきこまれたとしても「宗教争い」の要素を持ち込めばいい。
宮中伯もユディットも当然アジル派の信者だ。
それを前面に押し出し、アジル派に忠誠を誓い、ナラン派の義兄やそれに付属する自分を弾圧してくれればいいのだ。
そうすれば宮中伯たちは罪を免れられる。
「ナラン派も当然そうだが」
だが義兄が口にしたのは南部のいくつもの領主たちの名前だ。
心底ゾッとした。真剣にこの義兄は内乱を起こそうとしているのか。
もう。
自分たちは表舞台を追い出された廃王子たちだというのに。
それがどうしてわからないのだろう。
「正直なところ、俺はお前が嫌いだったし、いまでもいけ好かないと思っている」
口数の少ないシリウスにいらいらしたようにパトリックは吐き捨てた。
「どこの誰ともわからぬ女の息子など……。打ち捨てればよいものを。お前は父上の情けで生きられたのだ。その恩をどこで返すつもりだ」
どんどん怒りがわいてくるらしい。このままでは殴られるのではと思ったが、年配の男が咳ばらいをして声がけをした。
「ですが、このように王子が存命で……。また幽閉されているとはいえ、かような状況で生かされているのは僥倖。しかも最前までいたのは宮中伯が目に入れても痛くないほどかわいがっておられるユディット嬢とお見受けしました」
「そうだ、それだ」
パトリックはぱちりと指を鳴らした。
「お前の容姿をみればわかるが、母親に似ているのだろうな。性根もそっくりとみた。あのユディットとかいう小娘をたらしこんでいるとはな」
「そ、そのようなことは!」
否定しようと身体を動かすと、一気にめまいがひどくなってうめいた。
「お前」
ぐい、と髪をつかんで強引に引き寄せられた。鼻先をかすめるのは香と土埃と煙の臭い。
「あのユディットを手に入れろ。あの娘は使える」
「義兄上! ユディットは……!」
「指示はまた出す」
言うなりベッドに放り出された。
なんとか手をついて身体を起こしたが、年配の男が近づいてきて湿った布を顔に押し付けられる。
薬液をひたした布だったらしい。さきほどまでとはまるで違う酩酊感と視界のゆがみ。
「寝かしておけ」
「承知しました」
それが。
最後に聞いたふたりの会話だった。
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