第7話 タキシードの採寸

 次の日。

 扉を開けて入ってきたのはユディットだけではなく、サンダースさんもだったので驚いた。


「え……っと」


 いつもなら彼女は扉の入り口で昼食の食器を受け取り、一階に降りる。そして夕方までそこで待機しているのだ。


 だが今日は「申し訳ありませんが、食器はあとで下げさせていただきます」と告げると、ユディットともに入室してきた。


「パートナーがね、シリウスに決まったの」

「なんの?」


 思わず尋ねる。


「なんの、って。今度の夜会の。私のパートナーよ」

「は⁉ それ、ちゃんと宮中伯の許可とった⁉」


 目を丸くしたというのに、ユディットは逆に目をぱちくりさせた。


「もちろんじゃない。昨日も言ったでしょう? もともとシリウスがいい、って私はお父様に言ってたし」

「いや……あの、でも」


 自分は幽閉されているのではないのか。

 出てもいいのか? 

 宮中伯の夜会など、さまざまな人が来るのではないだろうか。


「シリウスぼっちゃんの存在は知っていても、実際に会ったことがある人間など、宮中伯都の貴族にはいません」


 淡々とした声音で言ったのはサンダースさんだ。


「シリウスという名前でのご登場はお控えいただきます。ご了承いただけますか?」

「それは……もちろん」


 なるほど、とシリウスは納得した。


 幽閉された前王の王子。

 その存在は国内に知れ渡っているが、では実際にその王子がどのような容貌をしているのか、というと貴族連中はわかっていない。


 王都の貴族や侍従であれば幼いころのシリウスを知っているものもいるだろうが、そこからすでに数年が経っている。シリウスの身長は伸び、体格だって変わった。あのころのシリウスだと気づく者は皆無だろう。


「ただし」

 ぼそりとサンダースさんが言う。


「ないとは思いますが、逃亡等をお考えでしたら、その場で拘束してもよいとの命を受けております。多少手荒でもよい、と。そちらについてもお伝えしておきます」

「はい」


 思わず苦笑いだ。


 そんなことしない。

 そう言おうとして。

 つい顔がこわばる。


 それは。

 昨日、受け取った手紙のせい。


 パンの入った紙袋から出てきたそれには。


 近いうちに会おう、我が弟よ。

 義兄からの手紙。


 あれは。

 あの夫人が仕込んだのだろうか。


「どうしたの、シリウス?」

 ユディットに顔をのぞきこまれ、慌てて首を横に振った。


「なんでもないよ」

「昨日の夜も、ごはん全部残したって聞いたよ? 体調悪い?」


「ううん」

「やっぱり味付けが違うとか? 苦手だった?」


「ううん、大丈夫。ダンスで……その、疲れただけ。すぐ寝ちゃったんだ」

 そう言ってから、早口でつづけた。


「昨日来てくれた人って……この村の近くの人?」

「お父様からそう聞いてるけど。どうして?」


「いやあの……そう、味付けがね。少し違ったから。王都とかから来た人なのかな、って」

「どうなんだろう」


 ユディットは人差し指を顎につけ、小首をかしげて考える。


「お父様からは『もしなにか不都合があったら遠慮なく言ってほしいって伝えて』としか言われなかったけど」

「……その、もう一回会えたり、できるかな。昨日の夫人に」


「ん? 聞いてみようか?」


 目を瞬かせるユディットにうなずこうとして。

 シリウスはきっぱりと首を横に振った。


「いや、いい。ごめん、変なこと言ったね。忘れて」


 かかわらない方がいい。

 本能がそう告げていた。


「そう? あ、それでね、シリウス。今日サンダースさんにお願いしたんだけど」

「え? うん」


「採寸をするから」

「は?」


 目を丸くするシリウスの側で。

 バチンっとしなる音がした。


 肩を跳ね上げてサンダースさんを見る。

 彼女は巻き尺を両手に持ち、びしびしとしごいている。


 その手つきはまるで鞭使いのようだ。

 怖くて思わず数歩後ずさる。


「夜会に着る正装がいるじゃない? 私はシリウスをお店に連れて行って選んでほしかったんだけど、それはダメだって」


 しゅんとするユディットに、シリウスは顔をしかめた。


「そりゃそうだよ。僕、一応幽閉されてるんだけど。君は好き勝手来るけどさ」

「じゃあ、服職人を連れて来ようとしたら、それも駄目なんだって」


「まあ……。素性がしっかりしてないと宮中伯も認めないでしょう」


 言ってから気づく。

 では。

 昨日の夫人はやはり身元がしっかりした人間、ということだろうか。


 どういう意味でなのかはわからないが、少なくとも宮中伯が認めた人、なのではないのだろうか。


 あるいは。

 宮中伯の目を偽ることのできる者。


「ということで、僭越ながら私が採寸をさせていただき、それをテーラーに示しましてお召し物を用意させていただきます」


 ぺこりとサンダースさんが頭を下げ、おもむろに近づいてくる。


「後ろを失礼します」


 サンダースさんはまた巻き尺を鞭のように扱うから怖いことこのうえない。


 だがさすがにぶたれることはなく、シリウスの肩幅を採寸したり、腰から足にかけてや腕の長さ、胴回りを測ってはメモに書き付けていく。シリウスはされるがままだ。


「かっこいい衣装を作って来るわね!」

 意気込んだ声になんだか不安になってシリウスはユディットを見た。


「無難なのでいいからね、無難なので」

「そんなのだめよ! あのティモシーをぎゃふんって言わせるんだから!」


「ぎゃふんって。そんなの無理でしょう」

「無理じゃないの。やるの。あいつらがシリウスを見て息を呑むぐらいにしなくちゃ!」


「それ……絶句するとかいう意味じゃないよね」

「流行りのものを取り入れつつ、スタンダードはしっかりとおさえ、かつ、奇抜なそれでいて不変なデザインも交え……」


「なんか君の意見をいれてたらめちゃくちゃになるんじゃない⁉」

「会場中の視線をシリウスにくぎ付けにするわよ!」


「いや、だからさ! 変な服を作らないでよ! それを僕に着せようとかしないでね⁉」


 必死に訴えるシリウスに、背後からサンダースさんがぼそりとつぶやいた。


「無難。お嬢様にとってはそれが一番難しいことでございますよ、シリウスぼっちゃん」

「怖いこといわないで、サンダースさん!」


 こうして。

 シリウスの知らぬところで着々と衣装が進められていった……。


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