第6話 密室

 涼介を床に正座させると、綾乃は右足だけをベッドに乗せた。


「今度はあたしが見ててあげる。たくさんご奉仕できるかしら?」


 自分を男にしてくれた女性に仕えさせられる。涼介の性的嗜好に間違いなく影響を与える経験となることだろう。


 

 風呂場からキッチンに戻る途中の亮介は、寝室から聞こえるすすり泣きのような綾乃の声に足を止めた。


 密室にいる二人が実際に何をしているのか。


 さっき聞こえた声の時に、どんなことをしていたのかなんて、永遠に答え合わせできないのだ。たとえ事後に二人の口から語られたとしても、それが真実だという保証がどこにあろうか。同じ屋根の下にいても、飛行機で数時間かかる距離感でも、国境を隔てていても、全部同じだ。


 その空間に自分だけがいないということはそういうことなのだ。


(綾乃、今どんな表情してるんだろう――)

 

 妻の嬌声はさっきよりも芯のあるものに移ろいゆく。断続的な調子が少しずつ一定なものになってきただろうか。壁を隔ててもはっきり聞こえることの割合が高くなってきた。



 鳴かされて悦びを露わにする綾乃を白昼夢のように想い描く。そのスクリーンは視線の先数メートルに広がるのか、はたまた、網膜内に投影されたような錯覚か。瞼の開閉さえも定かでない涼介。


 薄い白の紗のような霧がかかる意識を瞬時に吹き飛ばしたのは紫電一閃しでんいっせん、綾乃の絶叫だった――。



 項垂うなだれる亮介。あまりに力を入れて瞼を閉じたため、耳の周囲の皮膚がぐっと強張こわばるのがわかるほどだった。


(綾乃――。でも、夫は俺だよ。君は俺のものだからね)


 平静を装いたいわけではないが、冷蔵庫からビールを取り出す。口に運んだのはプシュッと蓋をあけてから数十秒経ってからだった。

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