老いは存外楽しい
「もしかして、このまま死ぬつもりですか?」
俺は冗談交じりに言った。
台明寺先生はそんな馬鹿な、と言いたげに笑い飛ばしてくれる。
渇いた声が道場の中に響いて、昔聞いた台明寺先生の声よりも、虫の息の様に掠れていて、切なくなってしまう。
「人間、死ぬ時は死ぬ……恐らく儂も、長くは無い」
それは一週間、明日の話じゃない。
台明寺先生の瞳は、生気を失っている。
死に掛けた台明寺先生は、前のめりに倒れて、寸での所で細い腕で床に手を突いた。
「台明寺先生!!」
俺が叫び、台明寺先生に近付く。
しかし、台明寺先生は、俺の顔を見ながら言った。
「まだ、……まだ死んだらダメですよ、皆、俺も、ユノだって、台明寺先生が必要なんですからっ」
まだユノにすら会ってないのに。
このまま、死んでしまうなんて、あんまりじゃないか。
「アカシ……老いとは、存外楽しいぞ」
台明寺先生は俺の肩を掴みながら言った。
「時間には限りがあり、歳を重ねば、その分、肉体は錆び付く、けれど……この長い時間、儂には多くの絆で繋がれた、歳を重ねるとは、面白いなぁ……」
肩を掴む力が、段々と弱くなる。
もうじき、台明寺先生が消えて無くなってしまう。
俺は、何か言おうとした、だが何も出て来ない。
「……ユノを、頼んだぞ」
俺の視界に写る台明寺先生。
最後に、俺に力一杯に肩を掴むと、その言葉を残して余力が尽きた。
見た目は軽くて脆くて壊れそうなのに、どうしてこんなにも、重たく感じてしまうのだろうか。
俺は、台明寺先生の体をゆっくりと床に倒して、その手を強く握り締める。
「……約束は、守りますよ、だから」
安心して下さい、台明寺先生。
俺はゆっくりと立ち上がり、感情を抑え込む。
耐え切れず、少し泣いてしまうけれど、泣き続ける程、俺は弱くは無かった。
俺は、一人前として認められたのだ。
ならば、このまま止まり続けるワケには行かない。
台明寺先生が亡くなった事を伝える為に、俺は道場から出て行った。
「……く、ふッ」
……中々、死ねぬものだな。
否、このまま、死んではならぬのだ。
諸々の遺書や、儂が死んだ後の事。
そういった事務処理は何とかしたが。
「契の……名、汝に……返納、す……」
アカシ…否、ユノの為に。
死する前に遣り残す事がある。
その契約は他言無用、決して他者に知られてはならぬ二人だけの秘密。
こればかりは、アカシに告げる事は出来なかった。
だが……その契約もこれにておしまい。
儂の手から離れ……そして、新たな宿主の元へと向かうだろう。
ユノよ……今こそ、お前に名を返そう。
これでお前は、儂の元から完全に離れる事が出来る。
そして、再びアカシに出会う機会があれば……その時は可愛がって貰えば良い。
「……さらばだ、ユノよ、我が娘……」
契りを断つ。
是を以て儂が遣り残した事を終えた。
……さてはて、この先の物語は、彼の世で見る事としよう。
儂の旅路はこれにて終い。
後は、若い者達に、託す事にする。
……では、さらば也。
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