第三章

それから五年後。

それは夢である事を察する。

四肢が腐り切除され、巻かれた包帯からは赤黒い滲みが出来ている。

皮膚は爛れ、唇や瞼は剥がれ落ちた、呼吸をするだけで臓器は痛みを発し、生きている事自体が生き地獄。

それが、前世の千金楽アカシの人生である。

久しく忘れていたその激痛の熱は、神経すらも蝕み、薬を使っても痛みを抑える事が出来ない。

眠る事も出来ず、大抵は気絶する事で安楽する事が出来た日々。

余りの痛みに、楽しい記憶は覚えていない、人生の日々も、忘れ去られてしまう。

生前の己が、どの様な人格で、どの様な性格をしていたのかすらも。


それでも、漠然と、死にたくなかったと言う考えだけはあった。

こんな、何も分からぬまま、生まれ落ちた事が無意味なまま、死にたくは無かった。

だから俺は、こんな理不尽なんかに敗けたく無かったのだ。


眠る時、その痛みが鮮明に思い出される。

体に刻まれた痛みでは無く、魂に刻まれた痛みなのだろう。

夢の中だと、その痛みが、全身を襲う。

呼吸すら出来ない痛みで、思わず声を挙げてしまいたくなる。


けれど、最近。

この夢には続きがあった。


俺の両隣には、小さな少女が俺の体を包み込んでくれる。


片側には、銀色の雪景色を結晶化した様な、銅島ハクアが、切なく甘酸っぱい吐息で俺の耳に何度も何度も、愛していると囁いてくれている。


もう片方には、真夜中を凝縮した黒色の髪を靡かせる、妖しい紫水晶の瞳をしたユノが、腐り落ちた腕を抱き締めて、膿を垂れ流す首筋を舐め続けている。


そして、俺の胸元には、母親譲りの紅葉色の髪をした、俺の妹でもある千金楽アカネが無邪気に俺の事を抱き締めて頬擦りをしていた。


最早、骸と化したこの俺に対し、彼女達は俺の傷を埋める様に癒してくれる。

彼女達が居てくれるから、俺の痛みは次第に緩和されていき…次第に彼女達の行動は性的欲求を刺激する様になっていき…。








要するに、この夢は、淫夢である。









「っ…ぁ!」


目覚めると、布団の中。

大量の脂汗を流しながら、寝間着は自らの体液でびっしょりと濡れている。


「…あー、畜生」


俺は体中の汗を手で触りながら、不快感を露わにした。

肉体がその様な夢を見ると言う事は、本能的に女に飢えていると言う事なのだろう。

それにしても、小さな彼女たちの姿を、性的な目で見ると言う事は少しだけ罪悪感に駆られてしまう。

鮮明に、彼女達の裸の姿が目に浮かぶのは、記憶の中で、共に入浴していた時の事が出力された、と言う事なのだろうか?

…そんな事を考えて、自分の体たらくにがっかりする。

それよりも先ず、やる事があるだろう。


「…衣服、洗わないとなぁ」


…俺こと、千金楽アカシ。

この世に生まれて十四年。

衆難山にお世話になって、六年が経過していた。

ごうんごうん、と音を鳴らしながら回る乾燥機。

衆難山寺の宿泊場では、共用の洗濯場があるので、衣服の洗濯では良く利用している。

結構年季が入っている修行場の割には、近代的な電気製品など取り入れているのが特徴的だ。

修行場と言えば、自分の洗うものは自分で洗え、とかなんとか言って、たらいと洗濯板で洗う場面を想像するが、そういう事をする暇があれば、一振りでも剣を握れ、と言う時間短縮の意味合いでもあるのだろうか。


「…まあ、考え過ぎかぁ」


ともかく。

冬の日に寒い思いをする事無く、洗濯板を使わなくても良い幸福とやらを噛み締めながら、俺は回る乾燥機を尻目に、玄関から取って来た新聞紙を広げるのだった。


「ふん、ふーん…」


鼻歌混じりに情報を貪っていく。

今現在、俺が世の情勢を知る事が出来る唯一の情報紙である。

アイドルのアルバム販売とか、芸能人のスキャンダルとか、そういう平和な内容もあれば、祅霊や妖刀師に関する情報などが載っている。

基本的に分け隔てなく、新聞の活字には目を通す様にしているが、やはり俺が気に掛るのは妖刀師の部分だった。


「『十剣鬼衆』を名乗る妖刀師が銀行強盗…『戮戯』の構成員を逮捕…他には…、あ」


最近、頭角を表している妖刀師の集団。

彼らは組織としての名前を公言し、自分達の活動を流布しているらしい。

大々的に、新聞のタイトルが大目出しで乗っかっている。


「『朔羅さくら』かぁ」


逆瀬川さんが作った組織の名称だ。

当初、名前など無かったが、神官に対する不満・不治の病を親族に持つ人々が集い、増員していった為に、晴れて特級指定妖刀師団体として認定。

それを機に、他の妖刀師と区別する為に、組織名を名乗り始めたらしい。


それが『朔羅』だ。

現在では眞柄ツネヒサが率いており、台明寺先生の事件以降、厳重に警備された魔剣妖刀所持している建物を襲撃し、着実に実力を蓄えているらしい。


神官の殺害、天塵薬の強奪、更には別組織との抗争で街が破壊された、等、そう書かれていた。


「…ユノは、居なさそうだな」


俺は記者に撮られた写真の中に、ユノの姿が居ない事を確認して安堵する。

八十一鱗くくりヤヲ、千年以上生きた緋之弥呼ひのみこが、ユノを保護した。

そして、ユノは今も『朔羅』に居る。

彼女が、『朔羅』の連中に唆されて、妖刀師として行動してないか心配だったが、この数年間、ユノの姿は新聞紙に映る事は無かった。

そもそも、ユノは治療をしても目が覚めなかったと言っていた。

もしかすれば、今もまだ眠り続けているのだろうか。


「…はぁぁ」


考え続けても仕方が無い。

今の俺は修行の身、台明寺先生が許諾を得ない限りは外へ出る事が出来ない。

修行の身ゆえ、浮世に現を抜かす事は許されない、と言う事もあるが、何よりも今の俺は、裏社会では疎まれている存在でもあった。


淵東クズハと言う、望月アクザの子分を名乗る復讐者が俺を狙っている。

当然、目の前にでれば返り討ちにする気はあるのだが…奇襲など卑怯な手を使われてしまえば、俺も倒されてしまう。

そうならないように俺は技術を磨き、どのような状況でも対処出来る力を付ける必要がある。


少なくとも、台明寺先生の合格基準を満たさない限り、俺は外には出れないし、俺自身も出る気が無かった。


それに…焦っても仕方が無いのだ、こればかりは。

何時の間にか、乾燥機が回り終わっていた。

俺は、乾燥機から寝間着を回収する為に扉を開けた。


「よし…じゃあ、行くか」


今日の夜。

俺には最終試練が残っていた。









――――――――。









台明寺ギンジョウが考案した『山籠り』は五年前の魔剣妖刀保護失敗による厳罰により撤廃の命令が発足され、五年と言う年月の果てに、遂に最後の祅霊の討伐にまで至る。


名称・天罰覿面地蔵てんばつてきめんじぞう

約八尺程の背丈、体重は約三百瓩。

笠自蔵の様な見た目であり、片合掌をしており、もう片方の手で錫杖を握り締める。


発見当時は中祅級だったが、山にて他の祅霊を補食し続けた事で大祅級へと進化を果たした。

現在では特級祅霊として申請も行われたが、修行山の廃止に伴い、祅霊の討伐が実施される為、保留とされている。


「すぅ…」


千金楽アカシは深呼吸を行う。

冷静にゆっくりと、体内に流し込まれる酸素を炎子炉へと炙べていき、生成される闘猛火を排気孔へ放出、循環させた末に刀身を鞘に納めた緋火刃金へと充満させた。


ずしり、ずしりと。

天罰覿面地蔵は杵を突く様に石像の体を小さく跳ねながら、千金楽アカシに顔を向ける。

地蔵の表層は雨風に晒された事で所々抉れており、顔面の半分が砕けている。

砕けた隙間から、黒色の瘴気を発しており、見る人々を萎縮させる負の怖気を吐き出していた。


石像が斬人を認識したと同時。

天罰覿面地蔵の錫杖が上下に振るわれた。

武装化した錫杖の石突きが地面を叩き付けると共に、千金楽アカシは酸素を燃焼した廃棄瓦斯を吐き出す。

〈炉心躰火・爆〉による瞬間的な身体能力の超上昇。

地に脚を着けた場から真横へ翔ぶと共に、地面が陥没した。


(天罰覿面地蔵、情報の通りだな)


自身に敵意を抱く不遜者に対する天誅。

それが天罰覿面地蔵の異なる力である。

言うなれば不可視の圧力を以て対象を押し潰す、千金楽アカシと同等の重力操作関連の能力である。


その為、同じく重力操作を可能とする斬術戦法を扱う千金楽アカシが、最後の祅霊退治に単体で抜擢されたのだが。


(俺の重力操作能力とは違うな、これ…多分相殺が出来ない)


祅霊の宿す力の気質が自身の闘猛火とは違う事を自然と察した千金楽アカシは、焱門を閉ざしていき、〈炉心躰火・爆〉から〈炉心躰火・煙〉へと切り替える。

天罰覿面地蔵が身体を向ける為に、引き続きその場を地団駄を踏む様に音を鳴らして方向転換する。


「す、ぅ、う、う」


呼吸を行い、生成される闘猛火を鞘に納刀した緋火刃金に充填。

対象との距離感を保ち、四本指の右手で柄を握る。

一撃による奥義抜刀を披露しようとする千金楽アカシ、だが、天罰覿面地蔵の片合掌する手に挟まる数珠が弾け飛ぶ。


飛び散る鉱石の数珠。

千金楽アカシは緋火刃金を抜刀すると、予め刀身に流し込んだ闘猛火が重力を帯びる。

紫と黒の闘猛火を放出させ空を切る。

弾け飛んだ数珠が千金楽アカシへ目掛けて飛ぶが、空間を斬った千金楽アカシの斬撃の軌跡に接触すると、数珠は斬撃の振るった方角へと軌道を変えて飛んでいく。


「ふ、ぅ」


息を吐く。

ゆっくりと相手を見据える。


(これも情報通り、〈化生宝髄けしょうほうずい〉だな)


祅霊の肉体の一部を分離させ、新たな祅霊を生成する残滓眷属の能力。

鉱石で出来た数珠は卵の殻の様に割れ、中から無数の狗の姿を模した祅霊が伺えた。

狛犬である、天罰覿面地蔵は自らの眷属を増やす能力を使用出来た。


狛犬型の祅霊が接近。

千金楽アカシは武器を構えながら相手を見据える。

牙を剥き、千金楽アカシへと飛び掛かる。


「ふぅ…」


頬の内から新鮮な酸素の冷ややかさを感じる。

喉へと流し込んだ酸素、肺に残る廃棄瓦斯を放出する様に。


「ぶッ飛べ」


千金楽アカシは声を放つ。

それと共に刀身を引き抜き、鉱石で出来た狛犬の肉体に刀身を叩き付けた。

最早、鋼に近しい硬き皮膚を持つ狛犬だが…千金楽アカシは刀身に闘猛火を纏い、試刀流斬術戦法である〈流刃〉と同じ性質を持つノコギリの様に回転する闘猛火で、火花を散らしながら、鋭利な切断面と共に、狛犬の胴体を切り裂いた。


「く…はッ」


再び呼吸を行い、次に来る祅霊に備える時。


「ッ」


しゃらん、と。

音が聞こえると共に威圧感を覚える。

遥か上空から、降り注ぐ重力の波。

四方八方から来る狛犬型の祅霊などお構いなく。


「そっか、そりゃあ、そうだよなぁ」


祅霊に仲間意識など無い。

否、この祅霊は自身が生み出した残滓眷属に対し情など感じない。

だから、自らの手で殺めた所で心など痛まない。

…祅霊が心を痛めるなど、可笑しな話ではあるのだが。


迫る狛犬型の祅霊、何処へ逃げても攻撃を受けるだろう。

その場に留まっていても、天罰覿面地蔵による天誅によって押し潰される。


「はぁぁぁ…」


呼吸を吐き捨てる。

肉体に流れる闘猛火を刀身に流し込む。

その緋火刃金を…地面に向けて振るう。

重力が反転する。

具体的に言えば、千金楽アカシの肉体が地から天へと浮かび上がる。

自分自身に使役した斥力により反発した肉体は、集中する重力の威圧から逃れる様に、斜め上へと肉体を弾き飛ばした。


これにより、狛犬の祅霊だけが天罰覿面地蔵の天誅により押し潰されて破壊される。

上空へと弾き飛んだ千金楽アカシは、天罰覿面地蔵の真上へと飛びあがっていた。

その状態で、緋火刃金の切っ先を石像に向ける。


「撃ってみろ、お前諸共命を失う気があるのなら」


独り言を呟きながら廃棄瓦斯を吐いた。

天罰覿面地蔵の天誅は対象の肉体を上から下へと押し潰す。

だが、その技の対象相手が自分よりも真上に居るのであればどうするか。


しゃらん、と音を鳴らす。

天罰覿面地蔵は自分諸共、千金楽アカシを押し潰すつもりなのだろう。


「上等だ」


千金楽アカシは笑みを浮かべる。

緋火刃金に全ての闘猛火を注ぎ込み、刀身が黒く染まり、紫と黒の炎が燃え広がる。

重量が増加し続ける刀身、加えて、天罰覿面地蔵が放つ重力の雨が、千金楽アカシの体を押し潰そうと圧力を掛けるのだが…それが逆に、千金楽アカシの技に力を増加させる。


落下する千金楽アカシ、緋火刃金の切っ先が天罰覿面地蔵の笠の天辺に突き刺さると共に、刀身に宿る全ての闘猛火を天罰覿面地蔵に向けて流し込む。

重力を宿す斬撃は、天罰覿面地蔵の肉体を駆け巡り、そのまま地面へと突き抜けた。

石像を中心に、地面に亀裂が走り割れた。


地面に影響を及ぼす程の一撃を、当然、石像が受けたとすれば…凄まじい威力である事は間違いない。

天罰覿面地蔵の肉体に罅が入り、身体を動かそうとするとぼろぼろと肉体が崩れていく。


石像を足蹴にしてその場から離れる千金楽アカシは、緋火刃金を見た。

刀身は、摩耗しきっていた、新品を使用した筈だったが、刀身が半ばで折れてしまっていた。


「…台明寺先生に叱られるかなぁ」


そう思いながら、千金楽アカシは緋火刃金を納刀する。

天罰覿面地蔵は、肉体を維持する事が出来ず、無数の石ころとなって絶命していた。














お待たせ致しました。

本日より再開させて頂きます。

修正前よりも何とか納得出来る内容にしましたので、応援の程、宜しくお願い致します。

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