因縁の持ち越し
「が、ぁ…」
呼吸が出来ない。
斬人にとって呼吸器官は一番大事な部分である。
それを潰されると言う事は事実上、戦闘不可能と言う事だ。
「ひゃ、ひゃっ!
両腕を切断されながら歓喜に声を荒げる淵東クズハ。
呼吸が出来ずに、口から血を吐き出す千金楽アカシ。
「が、ごぼッがッ!ヴぉあッ!!」
喉から出血した際。
殆どの人間の死因は出血死では無く、溺死である。
自らの血に溺れ死ぬ為、どれ程酸素を欲しても血の海に溺れてしまうのだ。
それでも、千金楽アカシは叫んだ。
相手は腕を失った、魔剣妖刀による再生は出来ない。
だが、再び魔剣妖刀に接触すれば肉体を再生してしまうだろう。
ならばこの瞬間、この一瞬が、唯一無二。
淵東クズハを殺す事が出来る千載一遇の好機。
刀を手放す。
闘猛火を全身へ循環させる。
再度、〈炉心躰火・爆〉を使役する。
拳を固めて地面を蹴り上げる。
その勝ち誇った憎たらしい笑みに鋼の如き拳を打ち付ける。
「ぐ、がッ!!ひ、ひゃひゃッ!この期に及んでッ!!無駄な足掻ッ」
台詞を最後まで言い切る事無く。
肉体を極限にまで活性化させ、限界を超えた膂力で淵東クズハの顔面を殴打する。
「ぎ、ぎゃッ、がはっ、待て、てめ、ぇッ、ぁ… ッあ」
死んでも殺す。
その殺意を滾らせる視線。
その時、初めて淵東クズハの表情が崩れ去る。
身が後ろへ下がる。
望月アクザですら感じた事の無い、背筋がひりつくこの感覚。
死と生の狭間を歩く事こそ人生と考えていた彼に怖いものなど無かった、なのに。
その鬼気迫る表情、死すら超えて迫る形相に、初めての感情を湧き上がらせる。
(ざ、けんな、こんなのッ!こん、こんなのッ!こんな奴に、それを…ッ)
生まれて十二年。
淵東クズハが抱くその感情。
(俺が、ビビる、なんざッ―――ッ!!)
それが恐怖である。
鼻が曲がり、歯が砕け、眼窩が窪んだ醜い顔に。
千金楽アカシの拳が、顔面に減り込んだ。
(い、きが…これ、で…終わり、か)
千金楽アカシは。
口から大量の血を吐きながら。
二度目の死を迎えようとしていた。
その死へと向かう最中。
〈散華流廻〉は、迷っていた。
臆病な性格であり、死を恐怖する刀。
それが求めるのは、より安全と安心、死から尤も遠い斬人。
若くして、周囲の斬人よりも実力があった淵東クズハ。
若いからこそ長く生きる。
強いからこそ敵を打ち破る。
生存能力の高い斬人だからこそ、魔剣妖刀〈散華流廻〉は淵東クズハを選んだ。
だが、其処に居る子供。
今にでも死に掛けている子供は。
主である淵東クズハを下して見せた。
淵東クズハよりも若く、淵東クズハよりも強い。
自らが
その生からの逸脱、死へと向かいつつある肉体は、〈散華流廻〉による再生能力で蘇る事は可能だろう。
〈散華流廻〉は迷う事が無かった。
今の主を捨て…千金楽アカシを選ぶ事を。
だが。
「ざんげぇ…りゅうがぁいいいッ!!」
前任の担い手…淵東クズハの情けない声が響く。
千金楽アカシへと向かった〈散華流廻〉は、触手による移動を止めた。
別段、淵東クズハの声に反応したワケでは無い。
だが…もっと、別の要因であり、〈散華流廻〉は千金楽アカシを選ぶのを断念する。
結果…魔剣妖刀〈散華流廻〉は元の鞘へと収まる事にしたのだ。
千金楽アカシを諦め、淵東クズハを選ぶ。
それは即ち…此処で、千金楽アカシの終わりを示す様なものだった。
千金楽アカシは倒れる、酸素が通う事無く、意識が蒙昧として、緩やかに死を感じ…。
「―――まだ、寝てはなりませんよ」
手が伸びる。
暖かな手が、冷たくなった千金楽アカシの体を抱き留める。
憂いの瞳が千金楽アカシを見詰めていた。
「っ…か、は…」
虚ろとなる視界。
其処に映る美女に目を奪われる。
蒼い瞳が近づくと、柔らかい唇が、千金楽アカシの口を塞いだ。
果実の様な甘い唇、口を舌先が這入り込むと、咥内へと熱い吐息が流れ込む。
それは、神の火である〈産霊火〉であった。
穴が開いた首を、腹部に空いた孔が、熱によって傷が再生していく。
次に目が覚めた時。
千金楽アカシは彼女の顔を呆然と見ていた。
彼を助けたのは逆瀬川サネミの仲間である緋之弥呼。
「…
千年を生きる魔性の緋之弥呼。
八十一鱗ヤヲが、広々とした仏堂の内部へと舞い戻って来たのだ。
ぺろり、と舌先で下唇を舐めながら、千金楽アカシを見詰めている八十一鱗ヤヲ。
呆然としていた千金楽アカシは、先程までの戦いを思い出し、身体を起こした。
「ッ…あの野郎、はッ!!」
そう叫び、疲弊しきった身体を起こす。
其処に居たのは、魔剣妖刀に寄生される淵東クズハの姿が。
しかし…その体は、四十以上の部位に切り分けられていた。
「驚きました…あれ程切り刻んでも、まだ再生するのですね」
八十一鱗ヤヲの台詞からして、淵東クズハの姿は彼女が切り刻んだらしい。
「まだ、だッ!まだ…終わって、ねぇ」
淵東クズハの肉体に寄生する魔剣妖刀〈散華流廻〉。
必死になってその肉体を蘇生しようとしている。
切り分けられた部位の切断面から〈散華流廻〉の触手が伸びて、肉体の細胞を風船の様に膨張させている。
最早、原形を取り留める事無く、一つの肉の塊となる淵東クズハの姿には生き恥すら感じされる醜い姿であった。
「いく、ぞッ!散華、流廻ッ!!」
千金楽アカシへと身体を引き摺る。
だが、彼の意志とは裏腹に、肉の粘液生命体は仏堂の出口へと向けて体を引き摺る。
臆病な性格、死にたくないと言う渇望を抱く魔剣妖刀。
淵東クズハへと寄生し、彼の心情を読み取った。
千金楽アカシに恐怖を覚えている、そんな淵東クズハの意志を尊重し、その場から逃げようとしているのだ。
「何、してやがるッ…散華流廻ぃいいッ!!逃げんじゃねぇ、俺は、俺はまだ敗けてねぇぇえええ!!!」
唯一形成する事が出来た右腕を千金楽アカシへと向ける。
彼の瞳が千金楽アカシを睨み付けていて、戦いはまだ終わっていない事を示唆した。
「上等だ…今度こそ、殺してやる…ッ」
そう声を出して、千金楽アカシは立ち上がろうとした。
だが、八十一鱗ヤヲが彼の体を強く抱き締めて拘束して見せた。
「離して、下さい…あいつを、殺さない、とッ」
そう言うが、千金楽アカシの体は動かない。
既に肉体は限界を迎えていたのだ。
何よりも、八十一鱗ヤヲは、肉塊と化した淵東クズハを見ながら告げる。
「これ以上は止めなさい、貴方が死ぬ事は、サネミは望んでいない事です…それに、まだ万全に回復は出来ていない、治療をしている時に攻撃しないのならば、…このまま逃がす他、選択肢はありません」
八十一鱗ヤヲの手が、千金楽アカシの衣服の中に手を入れて、腹部に触れている。
あくまでも応急処置の段階であり、完全に傷が癒えていない、だから傷を完全に治すまでは動けない状態だった。
歯軋りをする千金楽アカシ。
憎々しい相手が逃げる様を見て、完全に勝利したとは言えない。
「待ってろ…待っていろッ!!千金楽、アカシ、必ず殺すッ!!絶対にだッ!!お前を殺して、この復讐を、遂げてやらぁあああ!!」
負け惜しみの様に叫ぶ淵東クズハ。
右手の五指を床に突き付けて、床を削りながら恨み節を叫ぶ。
彼の感情は、千金楽アカシも同じ事だった。
ゆっくりと、右手を広げる、小指を失った四指を広げて告げる。
「いずれ俺の前に現れろ、この四本指がお前を縊り殺してやる!絶対にだ!!」
それはある種の約束。
未来の果てに待ち受ける決戦。
その契約を千金楽アカシは持ち掛け。
「てめえを殺すまで忘れねえよ、四本指の…八咫烏!!」
淵東クズハは契約を成立させた。
両者の因縁が残る最中、淵東クズハはその場から消え去った。
「貴方に一つ言う事があります」
体を神の火で修復する八十一鱗ヤヲ。
耳を傾ける千金楽アカシは、彼女の口から少女の名が聞こえてくる。
「魔剣妖刀…名前は確か、ユノさん、と仰いましたね」
千金楽アカシはユノの安否を心配する。
「ユノ…ユノは、何処へ…」
八十一鱗ヤヲが回収したユノ。
その姿が見当たらず、嫌な予感を思い浮かべる。
そんな千金楽アカシに八十一鱗ヤヲは状況の説明をする。
「傷は治しましたが…意識が戻らない状態です」
肉体の修復は行った。
あくまでも応急処置の範囲でだ。
だが、肉体を治しても、ユノが目覚めない。
その事を包み隠さず伝える。
「な、ぁ…ユノ、が…ッ」
そして、次に八十一鱗ヤヲは治した後の事を伝えた。
「此処へ来る前に…台明寺さんと会いました」
ユノを抱き上げながら、石庭へと顔を出した八十一鱗ヤヲ。
負傷をした多くの抜刀官と、石庭に座る台明寺ギンジョウの姿があった。
八十一鱗ヤヲに気が付いた抜刀官が刀を構える。
だが、彼の行動を咎める台明寺ギンジョウは彼女との対話を選んだ。
既に、宍道シンベエと眞柄ツネヒサは目的を果たし撤退。
甚大な被害を被った台明寺ギンジョウは、魔剣妖刀を取り戻す事が出来なかった。
全身に切り傷を付けた台明寺ギンジョウは敗北を噛み締める。
そして、尤も重要な事を八十一鱗ヤヲに聞いた。
千金楽アカシの事、ユノの状態…そして逆瀬川サネミの末路を。
彼女は全てを話した。
それを聞いて、台明寺ギンジョウは小さく呟く。
『逆瀬川サネミは死んだ、か…』
千金楽アキヒトと同じ様に抜刀官を目指した青年。
既に肉体はボロボロで、千金楽アカシと戦っても、死ぬ事は変わらない。
それを伝えて、その最期を見る事が出来ず少し悔やんだが、抜刀官と言う立場である以上、それを表に出す様な事は無かった。
既に、台明寺ギンジョウには次の事を考えていたのだ。
『国賊の妖刀師の討伐を差し引いても、魔剣妖刀を奪われたと言う失態は消えぬだろう』
逆瀬川サネミ。
緋之弥呼を、人々を救う為に結成された組織。
彼が死んだと言う事実は大きいが。
それでも魔剣妖刀を奪われたと言う損失が大きかった。
『再び魔剣妖刀は別の場所へと移される、儂が所持していた魔剣妖刀諸共だ』
これからも、魔剣妖刀を回収した後に衆難山で保管される予定だった。
それら全ては白紙となり、今残されている魔剣妖刀も回収され、別の場所へ保管されるだろう。
しかし、そうなる事で懸念する事があった。
『ユノを…魔剣妖刀すらも、大國主は所持を許さぬだろう』
ユノが持つ魔剣妖刀。
それも同じ様に回収されてしまう。
そうなれば、ユノにとって不都合な事が起こる。
『ならば、いっその事…連れて行くが良い』
〈荒刃金屍道〉・〈餓武者等髑髏〉・〈散華流廻〉・そしてユノの〈死地天抜刀云皇〉。
これらを逆瀬川サネミの組織に奪われた事にする。
そうすれば、ユノと魔剣妖刀が離れる事が無い。
『でなければ…ユノは存在を失ってしまう、それに比べれば儂に受ける罰など軽いものだ』
だから、台明寺ギンジョウは、ユノの事を考えて、一つの提案を彼女にしたのだ。
全ての責任は、台明寺ギンジョウ一人が被る、国宝であり神器である〈巖龍〉の契約者である台明寺ギンジョウ、流石に責任を取らされ命を奪われる程では無いだろう。
『…儂一人、責任を負う事で手打ちとしよう』
儚げに笑みを浮かべて、台明寺ギンジョウは呟く。
『試刀院での指南役は、引退か…』
失態を起こしてしまった以上。
最早、指導者としては居られなかった。
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