ユノと一緒に
「もうちょい…もうちょいで、切れる…」
俺は岩場に手首を擦り付けていた。
手首を縛られて身動きが取れないからと言って、何もしない筈が無く、現状からの脱出の為に先ずは拘束を解こうとしていたのだ。
ユノは呆然と、縛られたままの状態で動かなかった。
出荷を待つ冷凍マグロの様に動かず、じっと、地面に目を向けている。
反応が薄く、死んでいるんじゃないのか、と不安を覚えながら、真剣に岩場に擦り続ける。
しばらくして、ぷつり、と縄が切れる音が聞こえ、開放感を覚えた。
俺はようやく、岩場の鋭利な部分を使い、縄を切る事に成功した。
「よしっ…痛ッてぇ」
無我夢中に岩場に手首を擦り付けたので、誤って皮膚を削り出血してしまった。
途轍も無い痛みを覚えるがこの際、我慢をする。
それよりも、問題があるのだ。
「早く、台明寺先生の下へ行かないとっ」
逆瀬川さんの計画を聞いた。
そして展開次第では台明寺先生を殺すとも。
俺を鍛える為に此処へ連れて来てくれた台明寺先生が殺されるなんて展開は俺は望めない。
あの人は俺を強くしてくれると約束したのだ。
その約束が途中で反故にされるなど許される行いではない。
だからと言って、逆瀬川さんを止めるのかと言われても、俺には逆瀬川さんを止められる筈が無い。
それでも、俺が衆難山寺へと向かう事で、台明寺先生に逆瀬川さんが狙っている事を伝えられる。
既に逆瀬川さんがこの場から離れて三十分も経過しているが、急げば間に合うかも知れない。
「ユノ…は、危ないから、ここに居てくれっ!」
縄を解こうか迷う。
此処は祅霊の気配を感じないので、このまま縛られたままでも大丈夫だと思うが。
しかし、俺が縄抜けを行ったのを確認したユノは、自らの手をもごもごと動かすと、するりと手首の縄をすり抜けて立ち上がる。
「…いや」
縄抜け出来るんかい。
俺が必死になって縄を岩場に擦り付けているよりもユノに頼んで縄を解いてくれれば良かったじゃないか。
…今更そんな事を考えても仕方が無い事だけど。
「ユノ、着いてくるのか?危ないぞ」
俺はユノに質問する。
正直に言えばユノは俺よりも強い、身の安全は自分で守れるだろう。
だが、ユノは他者に自分の思いを発信する事が出来ない。
そこが懸念点であり、言葉を交わせない状態とは即ち、自らの安全を保障出来ないのだ。
例えどのような状況であろうとも、言葉が通じるという事は、嘘でも誠でも、相手に敵意が無い事を示す保障と為り得る。
それが出来ないユノは、長刀を持つ少女であり、危険物を所持する少女なのだ。
言葉が話せない、無口であると言う個性は、敵に対する反感や神経を逆撫でする行為に繋がる。
そうなれば無駄な戦闘を引き起こす可能性があるし、それに従い無用な戦いを続け体力をいたずらに消耗してしまい、最終的に敵に殺されてしまうかも知れない。
勿論、それはあくまでも予想であるし、逆瀬川さんと喋ってみて、無暗に人を殺すような人じゃないとは思うけど、それでも可能性として考慮すべきものだった。
「…じゃあユノ、俺から離れないでくれ、ユノが一緒だと俺も安心するから」
ユノは俺に着いてくる様子だった。
ならばせめて、話し合いの場になったら俺が代わりに彼女の口になれるように、ユノには傍にいる様に言う。
ユノは首を縦に振って了承を示した。
「よし…じゃあ行くぞ」
目的は決まった。
後は急ぐだけだ。
山を下る際、俺は斜面を全速力で降っていくのだが、道中でユノは抜刀と共に斬撃を遠方へと飛ばしてくる。
その十数秒後には、俺の動きを捉えた祅霊が出現して来て、俺を捕食しようとしてくるが、口を開けると共にユノの放った斬撃により祅霊が一撃で消滅する。
相変わらず、ユノは先読みが上手い。
先程まで祅霊が目に映らなかったのに、出現と共に斬撃を放つ様は、最早神業に等しい行為だった。
「すごいな、ユノはっ」
俺は走りながらユノに言う。
ユノはさも当然と言った具合に表情を崩さない。
そこが俺にとっては頼もしい姿に見えた。
しかし、遠い。
九頭龍山から麓へ降りるのに、かなり時間を費やしそうだった。
「どうにかして、衆難山寺に行かないと…」
切羽詰まった俺の言葉にユノは反応を示した。
そして、ユノが俺の肩を叩くと、そのまま真横に向けて走り出す。
「え、あ?ユノ!?」
何故、斜面を降らないのか、俺には分からなかったが、ユノが何も考えずに動くような子じゃない事は分かっている。
ユノが向かう先は、俺が望む結果があるのだろう、ならば、今はユノを信じて着いていくだけだ。
ユノの走る速度は凄まじい、俺は後ろ姿を見ながら、離れない様にするので精一杯だった。
やがて、森林地帯を抜けていく。
ユノの後ろを追い続けたら、到着した先は、衆難山寺の千階段の中間地点だった。
「っ、こんな、ショートカットが、あるなんて…」
ユノの案内は俺の予想を遥かに上回って来る。
どうやら衆難山と九頭龍山は入口は違うが、山自体は繋がっているラクダのコブの様な山だったらしい。
「と、とにかく…これでなんとか、台明寺先生の所に行ける…」
もしかすれば、逆瀬川さんよりも、一足先に到着出来たかも知れない。
…そんな俺の甘い考えを打ち抜く様に、千階段を登った先には、胴体を斬られて階段に付す抜刀官の姿があった。
「…ッ」
甘かった。
遅かった。
既に逆瀬川さんは、衆難山寺へと侵攻している。
もしかすれば…台明寺先生も既に、殺されているかも知れない。
そう悪い予感が過った最中、ユノは死体に脇目も降らずに走り出す。
階段をぐんぐんと登っていき、俺は慌てながらユノに向けて叫んだ。
「待てユノ!!危ないっ!!」
そう叫ぶが、ユノは耳を貸す事が無かった、
渦中へと向かうユノの後ろ姿を見て俺は気後れするが、覚悟を決めて刀を握り締める。
「ふぅ…すぅぅぅ…よしっ」
体内に酸素を供給し覚悟を決める。
そして俺はユノの後ろに続いて階段を登るのだった。
石庭へと向かうと、其処には台明寺先生と、坊主頭の人が居た。
名前は確か、宍道と、逆瀬川さんは言っていた事を思い出す。
「台明寺先生ッ!!」
俺は大きな声で叫んだと同時、ユノが長刀を引き抜いた。
銀光を浴びた刀身が、ぎらぎらと輝きを放ちながら刀を振り上げると共に、鋭い斬撃が宍道さんに向かって飛んでいく。
その攻撃を、宍道さんは認識すると共に大きく叫んだ。
「荒刃金ェ!!」
その言葉に反応する、刃の斬神は前へと繰り出して手を伸ばす。
斬撃を片手で受け止めると、ユノが放った斬撃が消滅した。
「斬神…」
俺は宍道さんの傍に出現していた斬神の名前を呟いた。
俺が斬神を見たのはこれで二度目だ、一度目は俺自らが斬神〈襲玄〉を顕現させた時。
あの時の斬神は意識を失い掛けながらも全貌を認識した。
さも凄まじい神の気迫を見せながら、紫と黒の闘猛火を纏うあの斬神は正しく魔剣妖刀と呼ばれるに相応しい姿だった。
宍道さんが扱うあの刀にも、何処か襲玄に似通った魔剣妖刀としての力を俺は何となく覚えていた。
しかし、襲玄よりかは聊か劣る、それは魔剣妖刀としての格が違うからだろうか?
「何をしに来たッ!!」
台明寺先生が叫んだ。
子供が死地に訪れるんじゃない、と言う言い方だった。
「すいません、逆瀬川さんが来た事をお伝えしようとッ!!」
台明寺先生は刀を振るう。
宍道さんに向けて、〈断威〉を放つと、宍道さんは魔剣妖刀を使役して、地面から大量の武器を召喚して、台明寺先生の斬撃を受け止める。
「既に承知済み、早く避難しろ!!」
と、台明寺先生の言葉に俺は頷いた。
ユノを連れてその場から離れようと踵を返す。
「…ユノ!!頼みがあるッ!!」
しかし。
台明寺先生はユノに話し掛けた。
それは苦渋の決断の様に、苦い表情を浮かべていた。
ユノは台明寺先生に呼ばれて顔を向ける。
「ッ、魔剣妖刀が奪われた、それは致し方なし、だが…逆瀬川だけはどうにかしなければならん、ユノ、お前が適任だッ!!やってくれるか?!」
その言葉の意味は、即ち…逆瀬川さんとユノを戦わせると言う事なのだろうか。
「魔剣妖刀同士ならば…お前に勝機があるッ!!」
と、思わず俺は驚いた。
ユノの長刀…それが魔剣妖刀だったなんて、俺は全然分から無かった。
いや、でも確かに、ユノの刀は変質が凄まじい。
まるで生きた生物の様に蠢くその刀は、斬術では無く、魔剣妖刀の性質であると言うのならば筋は通る。
「成程…つまり、逆瀬川さんは無駄足を使っちまったってワケかよ!!」
宍道さんは戦闘の最中、呼吸を吐き捨てると共にそんな台詞を口にした。
肉体に流れる闘猛火を循環させて身体能力を向上させる〈炉心躰火・煙〉を使役しているらしく、皮膚から次第に水蒸気の様な熱が放出していた。
「ツネやんさんッ!!聞いてたか!!あの子供を捕まえれば、その時点で俺達の計画は完了だッ!!悔しいが、俺個人の感情よりも組織の役割を優先するぜ!!手を貸してくれぇ!!」
宍道さんがそう言うと共に。
何処からともなく、石庭へと着地する一人の男性の姿があった。
真っ白なシャツに、シャープな眼鏡を掛けた、髪の毛をオールバックにした男性だった。
そして有り得ない事に、その口元には煙草を銜えていて(斬人にとって肺は一番重要な器官だ、その肺の機能を低下させる煙草を喫う様な斬人はあまりいない、それは即ち自殺行為であり斬人としての生命を縮める行いだからだ)紫煙を口から吐いていた。
「気乗りしねぇが、致し方ねぇって奴ですかい…ふぅ」
煙草を銜えながら、男は石庭に煙草を捨てようとして思い留まる。
「あぁ…私有地か、こりゃ御無礼」
尻ポケットに入れたドロップ缶を取り出すと、蓋を開けて、其処に煙草の灰ガラを入れた。
悪い人たちであるが、どこか律儀な行為だなと思った。
「お下がり下さい、台明寺先生!!」
近くで牽制していた抜刀官たちが台明寺先生の下に集う。
煙草を喫っていた人を警戒している様子だった。
「…ッ情報を開示する、その男、名は眞柄ツネヒサ、そしてその手に持つのは〈餓武者等髑髏〉、複数の骸骨型の斬神を操り、そして対象に大切な者の姿と尤も恐ろしい者に化ける能力を持つ」
簡単に説明すれば幻覚を見せる斬神と言うワケか。
「眞柄ツネヒサ…奴は元、〈月黄泉〉に所属する神官候補生であり、恐らく…この中で一番の闘猛火の生成と保有量を持つ男だ」
緋之弥呼を管理する機関に属していた人。
それが眞柄ツネヒサ、と呼ばれる男の正体。
それを俺を含めた抜刀官たちは記録を頭の中に叩き込む。
眞柄さんは謙遜する様に手を左右に振った。
「今や昔ですぜ、台明寺さん、煙草喫ってから弱くなっちまった」
軽口を叩く眞柄さん。
宍道さんと眞柄さんの二人を相手にする事は、台明寺先生でも骨が折れる事らしい。
「ユノ、早く行け、奴らは何れ、厳重に保管した〈襲玄〉へ辿り着く、使用出来るかどうかは問題では無い、それが失う事に意味がある…お前にしか止められん」
ユノに何度もそうお願いをする。
すると、ユノは俺の方に近付いて、俺の手を掴んで来た。
その行為を見た台明寺先生は俺の方を見て大きく目を見開く。
「…そうか、ユノ、お前は選んだのか…」
少し寂しそうな表情をしている台明寺先生。
まるで大事に育てた娘が嫁に行ってしまう様な寂しげな表情だった。
「アカシ、お前はどうやら、ユノに選ばれたようだな…」
台明寺先生はゆっくりと俺の方へ向く。
「ユノに選ばれたって…」
どういう事なのか俺にはさっぱり分からない。
ユノに選ばれたからと言って、一体それがなんだと言うのだろうか。
「それは何れユノから教えられる事だろう、儂が言う事じゃない」
俺はユノの方を見る。
いつもと変わらないユノの姿。
その表情も仕草も、依然と変わりない。
それは俺達の関係性も変わる事が無いと思っていた。
だけど、ユノは違うのかも知れない。
今も尚、俺の命令を待っているのかも知れない。
「ユノ…一緒に着いて来てくれ」
逆瀬川さんは、止めなくちゃならない。
少なくとも俺の心の中ではそう思った。
この考えが正しいか悪いかは分からない。
自分にとって得なのか、相手にとって不利益なのか。
逆瀬川さんは、神官の全てを殺すと告げた。
薬を独占する神官たちが憎いからと。
だけど、もしも神官が殺されたら。
彼女たち…緋之弥呼はどうなる?
彼女達の存在は希有であり、裏社会の住人が存在を欲している。
神官は、組織は、抑止力だ。
失ってしまえば、緋之弥呼の安全は少なからず取り零される人も居る。
その少数に、アカネが居るのだとすれば。
俺は、逆瀬川さんを止めなければならない。
「台明寺先生、俺は、逆瀬川さんの元に行きます」
俺の決意を聞いた台明寺先生は頷いた。
「お前には酷な思いをさせる」
台明寺先生の言葉に俺は首を左右に振る。
この程度、俺が受けた苦しみや、死ぬまでの過程を考えれば、過酷と言う事なんて程遠い。
自らの意志で殺される覚悟が出来るなんて、贅沢にも程がある。
俺は生きたいと言う意思を抱きながら覚悟も出来ず病で死んでしまったのだから。
「ユノ、行こうッ!」
ユノにそう言うと、ユノは頷いてくれる。
俺とユノは一緒になって、衆難山寺の中へと向かい出す。
「おいおいジジイ!!あんな小さな子供に何やらせてんだよ!!」
と。
背後から宍道さんの声が聞こえてくる。
それは、子供に危険な場所へ送る事に対する非難だった。
「…子供?そうか、そうだろうな…だが、千金楽アカシをただの子供と思うな…自らの意志で抜刀官になる事を誓い、大人でも投げ出す九頭龍山で一年以上も過ごして来た、儂が直々に相手にし、過酷な道から平穏な道へと戻そうとしても、尚もアカシは根をあげなかった…そんな男を、子供などと差別する事など、それこそ、アカシに対する冒涜ッ、既に奴の覚悟は見届けた、何も知らぬお前らが、千金楽アカシを矮小などと決めつけるでないわァ!!!」
…その言葉が背後から聴こえてくる。
少しだけ、俺は浮かれてしまう。
俺は、台明寺先生に認められていたのだ。
これが嬉しくないワケが無かった。
走る速度が上がり出す、衆難山寺の建物へ入り込み、俺とユノは逆瀬川さんを追いかける。
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