水浴びしよう



「…ダメだ」


ただでさえ、夜中戦い続けたのだ。

頭の中は疲弊感でいっぱいで、新しい技を考えるだけでも頭が痛くなってくる。

折角の休みなのだ、偶には何も考えずに一日を過ごすのもありだろう。


「だとすれば…」


俺はゆっくりと立ち上がる。

体の疲れを癒す為に、先ずは体を洗おうと考えた。

どの様な状況であれ、身体が汚れていると気分が悪くなる。

なので、幾ら冷たくても、身体を洗う為に河へと移動する。

その際に、ユノは俺の動きに反応して、ぴったりと俺の後ろを三歩離れた状態で着いて来る。

今までは樹木の上で見下ろす様に監視していたが、今日は台明寺先生に言われた通り、護衛として活動するらしい。

これで何か喋るのならば、適当な雑談を交える事が出来て、気晴らしにもなるのだが、彼女は頑として喋る様な真似はしない。

それでも、誰かが傍に居ると言うだけで俺は在り難く感じていた。

やはり、俺も歳で言えば七歳なのだ、人肌恋しいと体が感じているのだろう。

出来ればまた、ユノの膝枕などして欲しいものだ、人の肌に密着するだけで、心が晴れやかになる様な気分になる。

そんな事を考えながら、俺は台明寺先生との戦いで変化した更地を歩き出す。

そして、川へと到着する俺は、早速衣服を脱ぎ出した。

いやぁ…川はとても冷たいだろうなぁ。

そんな事を考えながら俺は衣服を畳もうとして、視線をユノに向けた。


「は」


俺は顔を強張らせた。

なんと、ユノは自らの帯を緩めて脱いでいる。

着物を開き、真っ白な肌を晒していた。


「なにを」


ユノも一緒に水浴びをする気なのだろうか。

そう考えていると、ユノは俺の方に近付き、俺の傷だらけの手を優しく触れると、そのまま手を引いて川へと招き入れようとする。


「ちょ、ユノ…うわ」


ユノに手を引っ張られて、浅瀬に入ると共に、砂利のぬめりが足裏を縺れさせて、俺は転倒した。

前のめりに倒れた際、ユノは俺の事を気に掛けて、素早く体を抱き締めると、そのまま川の中へと倒れる。

ばしゃん、と音を立てながら、冷たい水の中に、暖かな柔らかさが体全体を包み込む。


「ッ、く」


冷たいが、身体の前面だけが暖かい。

無論それは、俺の下敷きになったユノの体によるものだった。

俺は倒れた際に、ユノの体を抱き締めていた。

ユノは、浅瀬の中でぷかりと顔を浮かばせながら、俺の顔を見ている。


「あっ、わるい」


そう言って俺はユノから離れる。

間近で少女の裸体を見るなど久方振りだ。

最後に裸を見たのは、確かアカネと一緒に風呂へ入った時か…いや、ハクアの体を拭く時だったか?

そんな事を考えながら俺はユノに背中を向けた。


しかし、ユノは裸を見られた事も、身体を触れた事も気にする様子が無く。

俺の背中に向けて手を伸ばす。

水で濡れた手が、俺の背中をなぞりだして、一瞬俺は擽られているのだと思ったが、ユノの掌が、俺の背中を擦り出して熱を感じた。


「背中を洗ってる、のか?」


俺は、ユノが俺の体を洗っていてくれている事に勘付いた。

両手で一生懸命に背中を擦っており、身体の垢をこそぎ落しているのだろう。

正直に言えば心地良いものだった。

背中を擦るだけでは無く、マッサージでもしている様子で、彼女の小さな手から感じる指圧が、日頃の疲れを水と共に洗い流してくれるかの様に、憑き物が取れていくのを感じる。


「うおっ、ぁ」


あまりの気持ち良さに俺は思わず声を漏らしてしまう。

子供ながら、ここまで筋肉が疲弊しているとは思わなかった。

日頃のユノならばこれ程までに体を癒してくれないだろうが、これが彼女なりの労い、と言うものなのだろう。

このマッサージを毎日してくれるのならば、一日の疲れなど吹き飛んで、一日中元気に活動出来るのになぁ。


「ん…」


ユノの手が離れる。

どうやら、背中のマッサージが終わった様子だ。

本当はもう少し背中を揉んで貰いたかったが、名残惜しくも俺はユノに感謝の気持ちを伝えようとする、と。


「うえぁ、ユノッ」


今度は背中から手を回して、ユノが俺の体を抱き付いてくる。

彼女の顔が俺の肩に乗っかり、目と鼻の先にユノの顔があった。

そしてユノは俺の体を押して前屈させようとしてくる。


「いてッ、いててッ!ユノ、俺からだ、そんなに柔らかくないからッ」


どうやらついでにストレッチもしようとしているらしい。

俺の背中にユノの身体が密着する、背中に感じるほのかな温かみ、そしてユノの髪から匂って来る甘い乳白の様な匂いに、俺は少なからず興奮しつつあった。


「ユノ、ユノさん、良いから、ッからだこんなに曲がらないから、あの、ユノさんッ!!うがあッ」


俺の言葉などまるで意味が分からないと言いたげに、いや、それを体で表す様に、ユノは更に力を込めて俺の体を押してくる。

嬉しい反面、自らの体がぎちぎちと肉体の神経が引き千切られる様な痛みを覚えた。


「うがああああッ!!」


情けなく俺はそう叫んだ、ユノのストレッチで俺の体は悲鳴を上げる。

それでも、ストレッチが終わった後だと、水浴びをする時よりも、身体が物凄く軽くなっていて、心なしか疲弊感も消え去っているのだった。


これならば、明日の修行も全快に等しい状態で受ける事が出来るぞ、と俺は明日の修行に張り切りを覚えていた。



水浴びを終えた後。

俺は眠りにつこうと思ったが、折角体が軽くなったのでもう一仕事をする事にする。

それは祠探しである、明日になれば修行が待ち受けるが、何時までも刃折れした刀と錆び付きの刀では何れ使い物にならなくなる(と言っても既に刃が折れた刀と錆がついた刀は、世間一般からすれば使い物にならないが)ので、また新しい刀を探す事にしたのだ。

幸いにも、道中はユノが護衛してくれる、祅霊との戦闘になれば、ユノが代わりに戦ってくれるのだ。

これが修行中の間であれば、祠探しなどしている場合では無い。

が、ユノが戦ってくれるので、俺も安心して祠を探す事が出来た。


「…ユノ?どうした?」


ユノが遠くの方を見詰めている。

まるで猫が何も無い空間を一点に見ているかの様に。

俺はユノに再び声を掛けようとしたが、それよりも早くユノは刀に手を掛けていた。

すると、ユノはおもむろに刀を引き抜いた。

物干し竿と呼ばれる様な長刀を引き放つと、腕の長さなど関係無く、刀身を一気に引いて抜刀すると共に、銀光を放つ斬撃を上空へ向けて放つ。


「え、あ?」


斬撃は鋭く、まるで矢印の先端になった斬撃が遥か上空へと飛んでいく。

その飛距離は兎に角長く、ロケットが宇宙を目指すかの様に遠く、そのまま孤を描きながら落下していく。

其処から先は、巨大な樹木の葉によって覆われて、何処へ飛んでいったのかは分からなくなったが、それでもユノの飛ばした斬撃は、通常の斬人が放てる飛距離を軽く超えている。

そして、遠くからすぱん、と鋭い音が響いた。

音の位置からして山の斜面を歩いた先だろう、道のりが斜面なので、遠くを見ても途中で曲がっていて視界に入る事が無いが、其処に何か生物が居たのかも知れない。


「…ちょっと、見に行ってみようか」


俺は本当にユノが、何か生物に攻撃したのかを確認する為に移動する。

音のする方を頼りに移動するので、見当違いの方向に歩いているかも知れないが、それでも暫く歩くと黒い煙の様なものが見えた。

それは祅霊が放つ消滅現象であり、祅霊の核が破壊されると、肉体が塵に変わり、周囲に黒煙を漏らすのだ。

そして俺が近づくと、胴体を半分に切断された、猿の祅霊の姿が其処にあった。

地面は一撃で切り裂かれた後があり、上空から墜落してきた斬撃が猿の祅霊に当たったらしい。


「…これがユノの斬術か」


俺は素直に感服する他無かった。

ユノの斬術戦法は、名前は分からないが、分類するのならば〈超弩級遠距離射程斬撃〉と言うものだろう。

通常の斬撃の十倍、いや二十倍の飛距離を持ち、それを精確に敵へと放つ事が出来る、精密射撃の様な斬術。

成程、台明寺先生が来ていた時、俺と台明寺先生の戦いの最中、ユノが傍に居らず、祅霊も居なかったのは、恐らくユノがその斬撃で俺達の所へとやってくる祅霊を討伐していたからなのだろう。


「…凄いなぁ、ユノ」


俺は凄いと言うと、ユノは軽く会釈をする。

その行為は恐らく、褒められたので頭を撫でて貰えると思ったのだろう。

そういう意味で言ったワケではないが…ユノが求めるのならば、俺はそれに応じて頭を撫でる。

なんだか、ユノは心地よさそうに眼を細めていた、何処までも猫みたいな子だな、と俺は思った。



九頭龍山は、沢山の樹木が生えていた。

斜面は枯葉で出来た絨毯であり、歩く度にかさかさと音を鳴らしていて、時たま、小枝を踏んではぴきり、と音を鳴らしている。


早々に刀を発見して、自身の戦力を増強したい所だ。

そうして、俺は祠を探して歩いていたのだが。


「…うーん」


上へ登り過ぎてしまった様子だ。

山は次第に斜面が無くなっていき、灰色の岩石が剥き出しとなる場所が多くなりつつあった。

岩場へと来ると、後ろからついて来たユノが、からんからんと下駄の音を鳴らしながら俺の後ろを歩き出す。


「大きな穴…だなぁ」


俺は歩きながら、溪谷をじっと見つめた。

地獄の裂け目の様に割れた断崖は、自然に出来たと言った様子では無く、人工的に削られた様な跡地に見えた。

遥か底は、水が流れる音が聞こえて来て、山から汲み上げて来た水が、流れているのだろう。


「…恐ろしい」


呆然と見ていたら、そのまま断崖の底へと飲み込まれてしまいそうだった。

落下する事を考えると、思わず身震いをしてしまう、なので俺は早々とその場から離れる。

そして、祠を探しながらぶらりとしている最中。


「ん」


橋を見つけた。

オンボロの木の板と縄で括られた木の橋で、一歩間違えれば、転落してしまいそうな程に不安定な橋だった。


「あっち側に行けるな…」


俺は、断崖の先へと視線を向ける。

草木も生えない岩だらけの殺風景な風景が広がっている。

祠があるかも知れない、そう思いながら俺は橋を渡ろうとする。

子供の重みでは、橋はあまり動く事が無く、思い切り重心を乗せても木の板が壊れる気配が無かった。

これなら渡れる、そう思った俺は、橋を渡ろうとするのだが。


「…ユノ?」


俺の袖を引っ張るユノ。

何も言わず、相変わらずの無表情である。

しかし、彼女は何も言わずに俺の手を引いていた。


「どうした?」


と、そう聞くがユノは当然ながら何も言わない、しかし、首だけはゆっくりと左右に振っていて、明らかに橋を渡るべきでは無いと言う意思表明をしていた。

…もしかして、ユノは橋を渡るのが怖いのではないのだろうか?

そう考えると、ユノの行動も納得出来るものだった。

それを最小限の動きで示しており、中々可愛らしい真似をするんだな、と俺は思った。


「大丈夫、子供二人なら、ちゃんと渡れるよ」


心配無用と言いたげに、俺は先に橋の上に立つ。

少し強めに、軽く橋の上でジャンプしてみせる。

やはり、橋はぎしぎしと言うだけで、壊れる心配は無かった。

俺が石橋を叩く事で安全を証明して見せると、ユノは俺の袖を離した。


「ほら、ユノ、行こう」


そう言って俺はユノの手に触れた。

小指の無くした四本の指でユノの手をしっかりと握り締める。

ユノを引き攣れて、もう片方の手で橋の手摺を握りながら歩き出す。

二人が乗っても壊れず、しかし明らかに腐蝕しているであろう部分は回避しながら、あっと言う間に向こう岸へと移動する事が出来た。


「大丈夫だったろう?ユノ」


俺は胸を張りながらそう告げた。

久方ぶりに男らしい所を見せつけられた、と俺は思った。

ユノは周囲を見回している、そして、落ち着いた状態で刀を握り締める手を強めていた。


「行こうユノ、こっから先、何かあるかな?」


ユノに声を掛けて俺は歩き出す。

何となくだけど、ユノの足取りが少し重たくなっている気がする。

この先に何かがあるのだろうか、と思っていた時だった。


「ぁ」


思わず、声が漏れ出した。

のそり、のそりと歩く音が聞こえて来たのだ。

俺は思わず、岩の近くに腰を下ろして隠れる。

此方へと近付いて来る気配、それは祅霊特有の妖気に他ならない。

だと言うのに…これ程までに、身が凍える程に恐ろしい妖気を感じた事が無かった。


「ッ」


ただ、黙る。

どの様な祅霊であるのか、なんて顔を出す真似もしない。

実力が分かるのだ、今の俺では、その相手を斃す事など出来はしない、と言う事に。


ユノは俺の手を引っ張る。

それは俺をこの場から離そうとしている行動だった。

ユノは最初から分かっていたのだ、此処は、上級の祅霊が出る場所だと言う事に。

台明寺先生は、上級の祅霊が一割いると言っていた。

こうして修行をしている最中、その祅霊の姿など見掛けた事が無かった。

だから、一体、何時頃出て来るのかと思ったが…もしかすれば、その上級祅霊はこの場所に集結している様に感じる。

まるで、何かを隠している様な気がしてならなかった。


…その後俺は、ユノに手を引っ張られながらその場から退避した。

今の俺では、絶対に倒せない、だが…何れは、あのバケモノたちに勝てるようになりたい、当面の目標を更新するのだった。





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