第2話 メンヘラ少女と美男子集団

 写真部は東エリア端の、少し古い建物に部室を構えていた。中に入ると年季の入った木材の匂いが鼻に入り、壁には額縁に入った風景や人物写真が飾られていた。


「安心して飲んでいいよ。『入部しろ』なんて言わないから」


 そう言って彼女→木実笹夏(このみささげ)は冷蔵庫に入っていたペットボトルのお茶を紙コップに入れて机の上に置いた。部室に冷蔵庫があることに、高校との自由度の違いを感じて驚く。


「ありがとうございます先輩」


「ササゲでいいよ。呼び捨てはちょっと苦手だけど」


「あ、じゃあササゲさんで……」


 ササゲさんは物凄い美人だった。いや、初対面の時からそう思ってはいたが、やはり美人はどんな動きでも可憐に見える。少し腰を落としたり、こちらを振り向いたりする時に、銀色の髪から覗く赤い瞳と綺麗な顔立ちが、毎回心にドキリと脈打たせる。


「あそこ、普段は誰も近づかないの。ただこの時期だけは何人か、引きずり込まれちゃうのよね。君みたいな新入生が」


 ササゲさんの赤い瞳がこちらを指すように向けられる。あそこ、というのは間違いなくオカルト研究部のことだろう。なるほど、どおりで人通りが少ないはずだ。


「じゃあ、ササゲさんはどうしてあそこに?」


「写真部だからね。大きな物音がしたから、何かあったと思って撮りに行ったの。まあ、どうせオカ研絡みだとは思ってたけどね。おかげで君を保護できたから、行って間違いではなかったかな」


 そう言ってササゲさんは机の上に置いた一眼レフを撫でた。カメラは詳しくないが、かなりいい値段がしそうだ。写真部に所属しているのだから、恐らく上等なものに違いない。


 助けてもらった恩、というかお礼ですらないが、僕はササゲさんに写真部について教えてもらうことにした。いわゆる部活動紹介ってやつだ。勿論、よほどのことがない限り入部するつもりでいた。言い訳ではないが、けしてササゲさん目当てなどではない。けして。


「大きく分けて部全体での活動は3つかな。学祭でやる展覧会用の写真、オープンスクールや広報用のパンフレットの写真、そして図鑑用の写真」


「図鑑用? 何の図鑑ですか?」


「特に指定はないよ。皆それぞれが自分の好きなものとか、コレクションしてるものの写真を撮って一冊のアルバムに収めるの。そしてそれを図鑑、と称してこの部室に寄贈するの。ほら、あそこの棚にあるアルバム。あれ全部、先輩たちが残してくれた図鑑なんだよ」


 ササゲさんが後ろにあるガラス棚を指さす。そこには『水面図鑑』や、『○○先輩の寝顔図鑑』といった面白そうな背表紙の付いたたくさんのアルバムが、隙間なく詰められていた。


「おお……。ちなみにササゲさんは何を図鑑にしているんですか?」


「ああ。私はね」


 ササゲさんはゴソゴソと足元にあるカバンを探ると、妙に黒々しい装丁の本を取り出した。


「泣き顔を集めてるの。元カレの……♡」


 そこに収められていたのは、たくさんの男たちの歪んだ顔だった。流石美少女、と言って良いかは分からないが中々のイケメン達が(しかもそれぞれ異なる人物)写真には写っている。しかし全員に共通しているのは、その顔が例外なく何かに怯えるような目を向けていることだ。


「こ、これは……。す、すごいですね」


「すごい? ナニガ?」


「あ、いや! お、おモテになられてるなと思って」


「は? 意味わかんない私が尻軽だって言いたいの? 違うのに違うのに私はただ一生懸命あの人たちに愛を捧げていたのにあの人たちが私を裏切るから私は悪くない私は悪くない。みっちゃんだってすーやんだって会った時は凄く優しかったのにだんだん嘘ばっかりな顔ばかりするようになってでもねでもね皆泣くときは凄く凄く純粋な顔をするの。それが私好きで好きでたまらなくてだから写真に収めるようになったんだけどでも結局裏切ったことには変わりないから私を傷つけたことには変わりないから。ねぇそれでも私が間違ってるって言いたいの? あなたも私を傷つけるの?」


「い、いやいやいやいやいや! ササゲさんは正しいッス! 正しいッス! すみませんでした!」


 地雷を踏んでしまった。否、これは地雷と言っていいのだろうか。ミサイルが自分めがけて突っ込んできたような気分だ。


「そ、それは何の図鑑なんですか!」


 話を変えるべく、僕は咄嗟に机の上に置いてあったもう一つの図鑑の方を指さした。


「え? ああ。これはね」


 耳まで裂けたかと思うような上がりきった口角を戻し、優しい声音に戻ったササゲさんは正気を取り戻したかのように穏やかな口調で図鑑を手に取った。


「うちの部活。高校生も入部しててね。これはその子の図鑑なの。と言ってもこの図鑑は、ちょっと特別なんだけどね」


 そう含みを持たせて言うと、ササゲさんは僕にその図鑑を手渡した。タイトルは『名前のない植物図鑑』。名前のない、とはどういうことだろうか。


 とりあえず僕は一ページ目をめくった。その瞬間、「名前のない」の意味を僕はすぐに理解した。


 おおよそ茎と呼ぶにはあまりにも穴だらけな体。葉と呼ぶには緑の成分がどこにもない炎のような赤。花と呼ぶには可憐さが微塵もない禍々しい花弁。


 そう。収められている植物一つ一つが、どれも例外なく見たことがないのである。更に僕はページを進める。無論、バラやひまわり。ましてやタンポポのような草も写っておらず、恐ろしい見た目の草花ばかりが載せられている。


 だが、何ページかめくるうち、一枚だけ見覚えのある写真に出くわした。

 それまでは架空の植物ではないかという考えがこの写真たちに対する恐怖を若干和らげていたのだが、それを見た瞬間、僕は強烈にそれを感じざるを得なかった。

 これらが全部、実在するのではないかという恐ろしい懸念が頭をもたげたのである。


 写っているのだ。僕が先ほど潰したキノコと、全く同じ姿をしたキノコの写真が。


「ササゲさん、一体これはなんの……」


 言いかけたその時、不意に横でバンと扉が開く音がした。


「ハシルちゃん。扉はゆっくり開けてって言ってるよね」


 ササゲさんが呆れたような口調でたしなめる。


 金色の髪に、大きな瞳。少し焼けた肌に、元気、と呼ぶにふさわしい、にこやかな笑顔。


 天真爛漫という言葉が似合うその子は、大きな声で僕にこう言った。



「あ、新入部員の方ですか! よろしくです! 走流水面(はしるみなも)ッス!」

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