第1話 第二の人生

 聞きなれない声から私の第二の人生は始まった。


「おはよう、美月。」


 容姿端麗な女性で艶やかな黒髪、上品さが伝わる優雅な雰囲気を漂わせる人が、フッと優しい微笑みを浮かべながら話しかけた。

 私は誰のことを指しているのか分からず、唖然としてポカンと口を開けていた。


——美月…って誰?


 知り合いや友達にも美月という名前の子はいない。ぼんやりとしている私の顔を見た女性は、少し眉をひそめて心配そうに言った。


 「どうしたの?…大丈夫?具合悪いの?」


 ——私はさっき事故に遭って死んだ………はず。でも生きてる?あんなに痛かったのにどうして!


 体は前よりだいぶ小さいけど手を握る感覚も普通だし、大きく怪我してない。まるで何事もなかったみたい。


「もしかして、これって今流行りの転生ってやつ?!漫画とかアニメでよく見たことはあるけど…」

「いやいや、そんなはずはない!あの日、私はいつものようにバイト先に向かってた!そもそも、私の名前は佳奈だった。平凡な17歳の高校二年生だったはず!」


 現実味のなさに驚いていると、彼女が再び声をかけてきた。

「美月、顔を洗って、ご飯を食べて幼稚園に行く支度をしようね。」


 ——幼稚園!?私はほんとに、こどもになっちゃったの?確かに体は小さくなってるけど……


混乱もピークに達した私は、思わずコクリと頷き、お母さんらしき人物に

「はぃ…」と舌足らずに返事をしていた。


 「うん、偉いわね!お母さんも仕事の準備するから、着替えたらリビングに来てね。」

 そう言ってお母さんらしき人は足早に部屋を出て行った。




**************************************




 まず、私は視線をそっと動かし、今自分がいる部屋の様子を確認した。

 白色の壁に木目調の床で、暖かさを感じられる部屋だ。横になっていたベッドは小さなフレームでほんのりと薄いピンクの布団敷かれている。部屋の隅には、幼児向けの絵本が並べられた低い棚がある。棚の上には可愛らしい子犬や猫のぬいぐるみやおもちゃが置かれている。部屋には少し落書きの後のようなものも残っている。どうやら変わった部屋でもないことから、現実世界から遠く離れているということではないらしい。


「……じゃあ、私の姿はどうなっているんだろう。」

 まだ自分の家だと確信はないので、そっと部屋から洗面所に向かった。


「ここかな……?」


ドアを開けると洗面台とその横には小さなステップが置かれている。

恐鏡を見るため恐る恐る上がる。


「ええええええ!!!」

「誰この可愛い子!ほんとにこれ私なの!?」


 鏡に映っていたのは以前の私ではない、あどけなさのある可愛らしい、女の子がそこにいた。お母さんらしき人の遺伝だろうか。髪の毛はさらさらとしていて、白く透き通った肌はみずみずしさを感じさせられる。大きな瞳はまるで晴天という言葉がぴったりだ。

 大きく変わった異世界ではないとはいえ、はっきりと転生したということを理解したと同時に転生前の母親のことを思い出し、ほろ苦い気持ちに襲われた。転生する前のお母さんの優しく微笑む顔と包まれるような優しい声が頭の中で反芻する。


「大会の応援、行くからね。」


「お母さん………」


鏡を覗き込んで呟く私を見て支度を終えた転生後のお母さんが不思議そうに首を傾げていた。


——悟られないようにしなければ。

 理由は定かではないがなんとなくそう思った。


 今は元の世界に戻れること、元の世界に戻ったとしても生きているのかさえ分からない。

——しばらくはこの世界で生きていくしかないみたい。

 不安だがまだ生きているということだけで、どこか心の隅で安堵している自分もいた。


 思考を繰り返したせいかかなり疲れた。頭が回らないし、ひとまず休みたい。


「あのね……お母さん。今日はなんだか具合が悪いの。だから今日は幼稚園休んでいい………?」


 子供はおそらくこんな風に話さないだろう。でもそんなことも気にすることさえできないほど疲れている。


「お母さんも美月が起きた時から元気がなさそうって思ってたの。お母さんも仕事を変わってもらって休むから、今日はゆっくり休もうね。」


「うん、ありがとう……」


 朝食は食べず、自分の部屋に戻り、お母さんが布団をかけてくれた。またゆっくりと意識が遠のいていくように眠りに落ちていく。あの時のように。




**************************************



次の日の朝。


 「おはよう、美月。」

 「おはよう、お母さん。」

 トースターからパンが焼けている香ばしい匂いが、少しだけ気持ちを軽くしてくれる。


「今日は体調大丈夫そう?」

「うん……」

「そう、よかった。」


 お母さんが柔らかく微笑む。でもなんだかぎこちなく感じる。以前のあのお母さんの温かさが少し遠いところに感じる。

 キッチンから皿を持ってくる母の姿を見ながら、私はぼんやりと考える。


——どうしてこんなに懐かしいんだろう。この家でも私が育ったことがあるみたいだ。でも、それは違う。

 そんなことを考えながら目を閉じ、深呼吸をした。しばらく実の母親を重ね合わせていると焦げたような匂いが鼻についた。


「わ!!!!お母さんこれパン焦げてない!?」

「……あっちゃ〜、パン焼き直すから!」


——この光景、どこかでみたことある。そういえばお母さんがパンをよく焦がしてたっけ。


「ハハハっ、お母さんドジ!」

「もう、いつの間にそんな言葉覚えたの?」

 お母さんは笑いながらキッチンに戻った。


 転生して戸惑うこの美月は、どこか不思議な温かさを感じる。


——そうだ私の幼い時の記憶だ。幼い頃の家族との時間だ。忘れていた。私は生まれ変わっても私だ。前世のお母さんも現世のお母さんもどっちも私のお母さんだ。


——この世界でも前世の私を忘れずに生きていこう。

 そう思うことにした。

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