渡り鳥を営む

 ああ、もう。

 運転手は寝不足とあまりの多忙さに苛立っていた。ずっと景色は変わらない。道の駅の看板を見かけたけれど、そこに寄って一服なんかをする時間もない。トイレだって、そろそろ行きたい。

 彼はずっと前を走る軽自動車にイラつかされていた。その車内はえらく明るく、いくつもの影が中で動いているのが分かる。多分、大学生とか若者が乗っているのだろう。若葉のマークこそなかったが、運転にもぎこちなさがあるような気がした。

 自分に休む時間もないのはやつらがノロノロ走るせいだ。いつしかそう思うようになって、憎しみは膨らんでいた。もう少し早く走ってくれりゃ、こっちだって文句はない。少し怖がらせるくらい良いよな?

 ぐうっと車間距離を詰めて、ふと、藍色の道の奥に曲がり道が浮かび上がる。そろそろ、尿意が高まってくるのが分かった。

 ……そうだよな、仲間内で楽しいんだから、少しでも長く楽しみたいよな。

 そう言い訳をし、運転手はいそいそと指示器を出し、曲がる準備をしてハンドルを握り直す。一瞬浮かんだ悪意は、まるで吸い取られたように無くなっていた。


   *


 ごくん、と大きなものを飲み込むような音が暗い車内に響いた。

 がこん、と上品な音がして、オレンジの明かりがまぶたを透かすとともに、ふふ、と小さく鈴でも転がすような笑い声が上がる。まじお前、と悪魔は目を開けないまま友人に毒づいた。


「やあごめん、あんまり不満そうな顔してるから」


 助手席に足を投げ出して座る悪魔の隣、運転席に真っ白い天使が乗り込む。脱色したふうではない白髪、悪魔は金髪、そして白い肌と兄弟のように似た風貌の二人だが、天使は白いラフな上下にサンダルと部屋着みたいな格好なのに対し悪魔は黒のシャツとスラックスというまるで何かの衣装のような格好なのがとても対照的だ。これは人慣れしているかの差もあるし、実際の二人の性格もある。性別を誤魔化すように悪魔の方が華奢なのとか、人をたぶらかす本性が出ている。


「でも、可哀想に。今どき人の魂を食べてないと生きられないなんて解釈珍しいくらいなのに」


天使がコンビニで買ってきたグミの袋を開ける。一気に車内に膨らむ甘い匂いに、がー、と悪魔が顔を顰めて窓を開けた。


「最近はねぇ、もっと選択肢があったり食べ物が要らなかったり、あと吸血鬼と夢魔多いよね、最近」

「それ匂いキツすぎ、酔うんだけど」

「ごめんねー」


 ごくり、と悪魔がまた大きく喉を動かして厚めの瞼を持ち上げた。食事が終わったのだ。


「あーあ、マジお前にも味あわせてやりたいよ、」「味わわせて、ね」「あじわわ。『悪意』ってマジ、汚ねぇもん無理やり食ってるみたいな気分になるから。分かるだろお前、米は米でも米糠は食えねぇのはさ」


 日本に来たのも悪魔が娯楽として食べた日本食(特に和菓子)にハマったからなので、彼は時々天使よりも日本食に詳しい。なるほど、と天使は思うけれど、ケンカには発展しないそのおっとりした声で悪魔を見た。


「糠って食べられるでしょ? 知ったかだ知ったか〜」


 口直し、と天使を構っているどころじゃないらしい悪魔が適当に何か食べ物を要求する。身体が死んだとして彼ら自身は死なないが、一応胃を埋めることは必要だし身体を生かすことはしなくちゃならない。天使はそれを見越して買っておいた抹茶ラテを彼に渡した。ほう……、と興味深げにしげしげと眺める子どものような姿にくふくふと笑う。


「でも、そんなに『悪意』って不味い? それなら、食べ物、俺と同じにしようか」


 食事とは生存条件の一つでもあるのに、苦行のようにしては可哀想だ、と天使は彼の言葉を聞いて提案する。

 人の魂を食らう者だけでなく、吸血鬼然り、人を食料にする者は実体を持った状態で人間に危害を及ぼさないよう食べ物を変えられる契約と見張りの天使がつく。これは人間を守るルールのようで、実際には存在しない彼らが面倒ごとを起こして多大な労力を使って人の記憶をいじるような事態にならないよう定められた天界、魔界が楽をするためのルールだ。何を代わりにするかは担当した天使が決めるので、『悪魔だから、悪意。ついでに犯罪率でも下げてくれれば』と半分適当に決めて契約を結んだのだが、天使は愛しき人間をたぶらかす者だからといっていじめたりはしない。

 天使は大抵の解釈で飲み食いをする。真っ白い彼もそうだ。結局口でも食事をするなら、いっそ一緒にした方が悪魔にもいいかと彼は思う。真っ黒い彼は人間の食べ物への興味が強いようだし。


「……なんか人間になったみたいでやだ」かりっ、とストローを噛みながら不服そうな顔をする。「でも我慢ならん」


「うわー、お前がそう言うなんてよっぽどだね」少し心配げに眉を八の字にして、天使は仕草で悪魔に頭をこちらへ寄せるよう指示した。「ごめんねー、俺適当に決めたから」


 抹茶ラテは中々いい買い物をしたらしい、それかまずい飯から解放される喜びで相殺されているのか? 悪魔はストローから口を離さずこくこくと喉を動かしながら大人しく言うことを聞く。

 天使は悪魔のシャツの開かれた襟元に指を伸ばした。少し少年っぽい細い首に巻かれた黒いチョーカーに指先を触れ、時々指を離しながら二周なぞる。解除と再契約。これで彼は食べ物の制約もなくなったはずだ。


「あ、心なしかさっきよりうめぇ」

「……。お前は元々人間みたいだから、なんだか本当に人間になったみたいだ」


 彫刻のような美貌はその通り作り物だから人間離れしているけれど、天使とは違い感情の数が多いところやころころと表情が変わるところにストローなんか咥えていると、どこをどう見ても人間だ。

 天使がそんな風に思っていると、悪魔が離れながら天使を見上げ、ぱっ、とストローを離す。


「人間はもっと繊細だぞ、色々考えなきゃいけないからな。そんなやつらと自由に生きてる俺を一緒にするのは天使失格だぞ」俺より慈愛の心がない、と半分驚いたように小首を傾げる。


「んん、俺は普通をよく知らないんだ。決まったタイプの人間としか深い関わりがないからね」

「お前結構宗教系の天使だもんな。もうちょっと他のやつらにも愛情振りまいとけ」

「そうする。今度神様に話聞こうかな。でもこういうのは割と、唯一神さんが頼りになるんだけど……」


 唯一神という一神教の解釈と、ゼウスを王とした神々の家族や八百万の神という多神教の解釈はもちろん矛盾する。だから、解釈を持つ人間がどちらに所属するかでパラレルワールドまで絡んでくる話になるのだ。彼は一神教の解釈をする人間の生まれではないため、唯一神と言われる神々にはお目にかかることはできない。確かに彼らは存在しているけれど、この世界には存在していないのだ。

 そこら辺、悪魔側は結構あやふやである。唯一神に会ったことがあるというやつも割といるし、逆に神はあいつ一人だけじゃないのかと言うやつもいる。ちなみに魔神、魔王はそれなりにいる。邪悪を統べる者はこの世に彼一人、という解釈が少ないからだ。


「俺知り合いに唯一神と会ったことあるやついるぞ?」

「えー、人伝いの話は遠慮しとく。大人しく日本の神様にでも会いに行こうかな」

「そっか」


 あー、と悪魔がシートに倒れ込み足を伸ばす。


「疲れたー、なんで車の旅なんだよ」

「お前が和菓子の名店巡りしてみたいって言ったからでしょ。それに俺たち基本寝なくていいから、公共機関使うより車の方が飽きないし早いんだよ。お金もないしね」


 お金は人に混じって働くのが趣味の変わり者や、その他人間に混じって暮らしている者などから食べ物などを交換に買う。だから天界魔界合わせてもそう蓄えがあるわけではなく、人間界に遊びに行くとなれば、叱られながら、渋々、帰ってくるときにはお土産を持って帰ってくることを条件に力のある神や魔王にやっと許可されるのだ。ちなみに、衣類や車などは魔界天界全体で所有、管理しているものがあり、それを貸し出される。免許や戸籍は……ヒミツだ。


「じゃあそろそろ出発しようか。トイレ大丈夫? お前」

「おう」


 お酒飲みたいな、もう一週間も飲んでないよ、と天使がもぐもぐとグミを頬張りながら呟く。悪魔は呆れたように目をぐるりと回して窓枠に肘をついた。

 ぴょこぴょこと跳ねるように小走りに駐車場を横切り、作業着を着た運転手がトラックに慌てて乗り込む。あいつの悪意も食ったんかな、と何気なく悪魔はその動きを目で追った。

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