ううむ

「ふむ、純文学とはセックスであるか?」

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」


 俺としては語感が似ていたつもりだったけれど、サミラカドはハテナしか似てないじゃん、と軽く笑いながら言った。ほとんど寝転がるような角度で椅子に座って、閉じたパソコンのある机の上に足を組んで乗せている。


「つか、別に純文学イコールセックスではないだろ」

「だって、鼠の小説はセックスシーンがないのが良いところだって」

「誰だよ鼠」


 俺は原稿から顔を上げて、カドの読んでいる小説の背表紙を見た。村上春樹の、風の歌を聴け。村上春樹は何冊か読んでいるものの、それは未読の本だった。俺は目を机の上に戻し、辞書を引きながら会話を続ける。


「そもそもなんで急に村上春樹?」


 彼女は作者の名前もよく知らないあまあまな恋愛小説とかばっかりを読んでいるイメージだったので、俺は内心少し驚いていた。これで、やっと技術的な話ができるかと少し期待しながら聞く。


「なんか、やっぱり売れるにはこういうのも勉強しねーとなのかなあって思って」

「そうだと思うぞ」


 古い木造アパートは確かに雰囲気があるけれど、住むには適さない。エアコンがないと思えば蚊は有り余るほどいるし、ついでに洗濯機置き場はベランダでなく廊下だ。同じ階に住むものは誰もいないが、俺たちはかれこれ二年ここにいる。小説家を目指すフリーター仲間として、小さな1Kの小説版トキワ荘で腕を磨いていた。


「でも、あたしが目指してるレーベルでこんなつまんなかったら落ちると思うんだけど」

「そりゃお前、それ恋愛小説じゃないし。せめて……有川浩とか読めよ。俺もあんまり読んだことないけど、あの人恋愛小説専門だろ?」


 じーい、じーい、と開け放した窓から蝉の声が聞こえる。俺は肌に張り付くシャツの襟を仰ぎながら扇風機を見た。ポンコツは、いつのまにかカドの方を見つめて首ったけになっていた。イライラしながら足を伸ばして足指で風量を上げ首を振らせる。


「扇風機止めんなよ」

「暑いんだもん」

「風量上げればいいだろ」

「そういえば、有川浩さんって割とヤるシーン多いよね。女の子がひどい目にあうとかも多いし」

「そうなの?」

「あたしは好きじゃない」

「そうだろうな」


 意地悪で、伊坂幸太郎とか読めよ、と吹っかける。彼女の大嫌いな作家だ。


「お前一回犯されろよ」


 最大限の罵倒が帰ってきて、俺は閉口した。万年筆を持ち、かりかりとほとんど終わりまで書き進めた小説の結末を書き始める。


「……美とはセックスか?」

「ノー」

「だって、純文学って美の追求だろ?」

「純文学って、俺は感情の研究書だと思ってる」

「それいいな、あたしもそれ使お」

「よし、できた」


 俺は最後にくりんと句点を書き、机の上に散らばった原稿用紙を集めた。計、だいたい百枚のミステリだ。


「やっとかよ、締め切り二日アウト。あたしの勝ちな」

「いや、これからが勝負だろ」


 ぎいぎいとうるさく椅子に座り直し、カドがパソコンを立ち上げる。


「お前いい加減、手書きにしろよ。パソコンだと目痛い」

「意味分かんないこと言うなよ、今日日手書き原稿とかウザすぎて読んでらんないから」


 俺たちは一度席を交代し、お互いの小説を読んだ。カドの文章は自分のと違いすぎて読んだ後は調子が狂うけれど、時々勉強になることもある。女性目線の柔らかなものの感じ方とか、気遣いの濃やかな文章はこのガサツな女のどこにこの繊細さが隠れていたのだろうと特に驚く。あらすじは、性別のない様々な種族たちの御伽噺のような恋愛ファンタジーだった。設定も隙なく考えられていて、これはいけるんじゃないかと素直に認めながらまた席を交代する。


「「いいじゃん」」


 俺たちの声が重なった。


「お前、恋愛じゃなくてファンタジーでどっかに出したら? ハリポタみたいにした方が賞で残る可能性高いだろ」

「そっちこそ、やっぱり大衆文学の方が向いてるって。人の感情の書き方うますぎるもん」


 でもなあ、とまた被る。


「あたしあくまで恋愛小説を書きたいんだよなぁ」

「トリック考えるのが一番楽しいんだよなぁ」


 俺たちはいっつもこうだった。どうしてか、書きたいものと書きたいジャンルが求めるものが食い違っている。それでいつも、きっと側から見ればお門違いなんだろう賞に出しては落ちていた。


「……まぁまぁ」

「まーまーまー」


 いつもの賞に出しましょう、今回も。いつか認められる。性別のない恋愛小説の美しさを、人の死なないミステリ小説の新しさを。

 なあんて。


「面白かったぜ」


 カドがニヤリと笑いながら腕を持ち上げる。うぇーい、と腕をぶつけて称え合った。それからはお互い応募の準備に入り、情報を打ち込んでクリックするだけのカドはすぐに終わって、バタバタする俺を余裕ぶって眺める。


「ニザ」

「あ?」

「なんでもなーい」

「邪魔すんな、ボケ」

「クナメニザって変な名前だよね」

「サミラカドだってそうだろ」

「ニザ」

「あ?」


 椅子に反対を向いて座りながら、カドはころんと子どものような表情をして首を傾げる。


「あたしらって意外とネタに向いてる?」

「なに、クライマックスにヤんの?」

「ゲロを吐きながらで需要があるなら?」


 バカらしくて、ケラケラと笑った。

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