初めから終わりまで菫で彩った

 ヴォンホード伯爵家の当主は、全員が菫(ウソ)を愛した。


 この不思議な能力に気がついたのは、七代前の当主だった。その頃までは、ヴォンホード伯爵の男当主はカードゲームに強く、女当主は占い好きだと言われていた。しかし、この能力の危うさに気が付いた彼は、速やかに王家へと報告した。その時の賢王は決して馬鹿になどせず、真摯に話を聞き、伯爵家に約束をしてくれたのだという。

 決してこの力を公にはせず、また利用することもしない、と。

 しかし、その証である公文書を王家で保管してあった分は燃やされてしまったため、もう伯爵家にしか詳細を記したものは残っていない。

 王家でも、その非公開にされた公文書を見る権限は現在王位に就いている者のみ、伯爵家もまた当主を引き継いだ時にのみ見られるものだった。(伯爵家側にだけ、【あの嘘をつき続けるように】と文言が書き加えられていた)


 それを、フランソワ王女が破った。

 金庫番を誘惑し、鍵を盗み、王だけが入れる秘密の書斎へ足を踏み入れた。そこで仕入れた知識をその時の恋人に囁いては、自分への貢物を増やしていった。

 それに王様が気が付いた時には手遅れなところまで来ており、秘密を漏らされた他の貴族からも抗議の声が上がり始めていたのだという。

 本来ならば病死させておくべきところを、娘可愛さに嫁に出した。バカな娘は父親の温情を恋人から引き離したと逆恨みし、のこのことまた母国へとかつての恋人と帰ってきたのだ。

 いつ寝首を掻かれるか分からない状況だと気が付いたのは、何度目の夜会の時だったのだろうか?

 父との商談が再開した頃、当主としての務めだと屋敷に仕える全員と面通しをさせられた。“伯爵家に忠誠を誓えるか?”と問うように言われて、その時から毎月の恒例である鼠取りが始まった。


「馬鹿よね…嘘ばかりに塗れていたから、『助けて』の一言すら、誰に言えばいいのか分からなくなっていたの。考えなくて良かったのよね、きっと。なりふりかまわず、子どもらしく毎日毎日泣き叫んでいれば…誰かが助けてくれたはずなのにね」


「…その『助けて』を、私が無視したのか」


「ヨーゼフさん、いえ…ロイ様とお呼びしてよろしいのかしら?私たちは、【嘘】は分かっても【真実】までは分かりませんのよ。だから、私はあなたの正体が本当にロイ・ヴェルガモットなのかどうか、確証が持てないままでしたわ」


「一体、私は君を傷つけていたんだっ…教えてくれ…!」


「傷ついてなんていませんでしたよ…


 いつから、とはどこを指すのだろう?

 母と父の三人で食べた最後の晩餐で、父が母のために買い付けたという特別なワインが本当だった時。私は、そのことに喜び安堵した。けれど、“とても嬉しいわ”と笑った母が嘘をついた。

 次の日から母は体調を崩し始め、祖父母のかかりつけの医者が通い始めた。“残念ながら、先の伯爵様たちと同じ病です”と菫の香りを纏わせて、“お薬は毎日飲んでください”と菫の香りが漂う何かを母に手渡した。

 全部わかっていたはずの母は、“ありがとうございます”と綺麗に微笑んで…毎日それを飲み続けた。母の笑顔に、偽りはなかった。


『お祖父様たちは、流行病で亡くなってしまったのよね?』


『残念ながら…』


『………母は、苦しむのでしょうか?』


『いえ、おそらく、お二人と同じく眠るように逝かれるはずです』


 医者は、フランソワ王女にどんな秘密を握られていたのだろう?真実は分からないが、その流行病は【彼が作っていた】のだろうと思う。その医者を最後に、【その流行病】で亡くなった人はいなくなったのだから。


「嘘つきの菫の香りは、皆同じなのよ。だから、嘘をつく人の前では菫の砂糖漬けを齧ったわ、嘘の匂いが分からなくなるから、独特な強い香りで一回一回リセットするの。私が菫の砂糖漬けが好きだと思っている人たちは、みんな嘘つきなのよ。あなたが、夜会に誘ってくれないのは逆に助かったわ。母とは違って、私は香りの強いお酒でも飲まないと人と自然に話をしていられなくなるもの」


 悪童と噂の私にはドレスの一着も贈らないが、完璧な淑女である姉にはねだられるままにドレスを贈っていた。そうして、周りが黙認するのを良いことに、二人で連れ立って夜会へ繰り出していたのだ。

 物置部屋で寝起きする私になど、それを教えてくれるメイドなどがいないことをわかっていたから、騙せると思っていたのだろう。

 噂通りのはしたない教養の無い娘だと、完璧な姉の嘘をこの男は信じ切っていたのだから。なぜそれを知っているかって?ヴォンホード家では、その日一日の出来事を当主に報告するのが、執事長と侍女長の仕事だったのだ。

 伯爵家に真の忠誠を誓う彼らの報告に、嘘など一度もなかったのだから。

 姉は、顔も言葉も所作も全て完璧だった、その嘘さえも。騙されても仕方なかった。外見は母親に、外面の完璧さは父親に似たのだろう。私は外見も中身も、不器用な母に似てしまった。

【父親は同じ】だと言うのに、おかしなことだ。

 その時、他の誰かが中に入ってくる音がして、パッと辺りが明るくなった。

 独房の中の明かりを付けてくれた人が、コツリコツリとこちらに寄ってくる。目の前では、情けない顔で項垂れる婚約者だった者がいた。


「彼は、まごう事なくロイ・ヴェルガモット公爵令息だよ、


「あら、お名前とご身分は本当でしたのね。では、それを教えてくださった貴方は、件の幼馴染かしら?」


「ポプリは気に入らなかった?」


「気に入っていたのに、返してくれないのはソチラだわ」


 高貴な方だと知ってなお、軽口を返した。

 彼らは、フランソワ王女と父の秘密を知っていた。祖父母と母の死の真相も知っていた。

 そうして、彼らを愚鈍な王と妃もろとも引きずり下ろすために、ヴォンホード家を利用した。


「…口惜しいな、君たちを利用しないという約束がなければ、今すぐにでも檻から出したのに。これを計画したのは、僕だよ。彼をあんまり責めないでやってほしいな」


「今日の菫の香りは、一際芳しいのね…見苦しいから、貴方たちはこれ以上私の前で言葉を話さない方が良くってよ?」


「そうもいかない」


 項垂れたままだった彼が、ノロノロと顔をあげて殿下を見た。私は、居住まいを正すことなく言葉を待った。


「アルフレッド・クリケットを首謀者とし、共犯としてフランソワ・クリケットをヴォンホード伯爵家乗っ取りの容疑で逮捕起訴した。併せて、違法薬物の売買・所持・使用も摘発している。二人は、本日正午に縛首にて処刑済みだ。ロゼット・クリケットに関しては隣国の王の子であると偽証したため、不敬罪と詐欺罪で投獄。僕の従姉妹であることに偽りはないが、父親がアルフレッド・クリケットであることを隣国に隠していたことを悪質と見做し、本日正午に毒杯を賜っている。一連の責任を取る形で、僕の両親には退位していただいた。そのうち、流行病で亡くなる予定さ。なので、やっと僕が玉座に座ることができるよ」


(死人に口無し、ね。)


 菫の香りがしないことで、やっと肩の荷が降りた。

 祈るように手を組んで、深く深く頭を下げた。


「当家の執事長と侍女長には何ら咎はございません。どうか、二人だけは助けていただきとうございます」


「…君は、どうなんだい?」


「父のしていたことを全て知っていて、黙っていました。同罪です」


 そう答えた私に、やっとロイが動き始めた。


「私が、始めたことだ。ヴィー、君はそうなるように仕向けられただけだ、君に悪いところなんて何もない。それは、君だってよく分かっているはずだ!!レイフォード、頼むよ…私が、私が馬鹿だったんだっ…」


 そう情けなく叫ぶ彼に、ヨーゼフのはぐらかしていた答えを知った。

 最後まで、嘘ばかりだ。こんなにも嘘つきなのに、なのに…たまに本当のことを言うから不思議だった。

 あのリボンをくれた時、ロイ様は私に似合うと言った。霞草の花束を渡してくる時、君が好きだと思ったからだと言った。あのポプリを渡された時、私にもらってほしいのだと言った。

 私があのリボンを髪に編み込めば、嬉しそうに綺麗だと褒めてくれた。霞草をドライフラワーにして飾っていると、次は二人で霞草の花畑を見に行こうと誘ってくれた。菫の砂糖漬けを齧っていれば、嫁いだ後も好きなだけ食べれば良いと笑っていた。ウェディングドレスの生地を一緒に見に行こうって、続けて笑っていた。

 でも、一番不思議だったのは…彼のその本当の気持ちが、とても嬉しかったということだ。

 彼が、彼らが私を利用していると気が付いていた。だから、私もその計画にわざと乗った、ヴォンホード家の秘密を墓まで持っていくために。それだけだったはずなのだ、あの珍しく雪が降った日まではそう思っていた。


『私たち…嘘ばかりだったわね』


 彼の吐く菫(ウソ)の香りだけは、いつからか嫌いではなくなっていた。

 それがなぜなのかなんて、誰も教えてなんてくれないけれど。


「ヨーゼフさんのお喋りを聞くの、とても楽しかったわ」


 気がつけば、そう微笑んで彼を見つめていた。

 あなたがヨーゼフと名乗ったとき、また会えたことに胸が震えた。散々嘘をついて、私を嘘つき呼ばわりした最低な男のくせに……。どうしてかは分からないけれど、最後に嘘をつかれるのなら彼が良いと思ったのだ。


(あぁ…なんだか、分かった気がするわ。母様が、父様の瞳を愛した理由が)


 ヴォンホード伯爵家は、菫を愛した。

 その中に紛れていた【本物】に、心を救われながら生きてきたのだろう。

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