付記
梗概
時系列や互いの関係が不明瞭な八つの断章によって構成される。各章では、以下のような話が展開される。
物語は脈絡なく始まる。挨拶や前置きは必要であるとしつつ、勿体ぶった回りくどい語りが続く。話し尽くされた話をこうして話そうというのは、その話が話し尽くされてきたからにほかならない。「聞き飽きた」と茶々を入れられつつも、同じ話をひたすら繰り返す。「そんな話は聞き飽きた」と言われたいから。
化石はどのように化石になったのかを考える。実は化石になり損ねた化石は今もまだ生き続けており、それらは集まってその化石の元となったはずの生物の姿を映像で復元しようとする。しかしその姿に関する論争が起き、やがて復元活動は打ち捨てられる。残されたのは、頭部に十字架を突き立てられたなんらかの生物の映像だった。
同じ文章を読むことは二度とない。なぜなら、その文章を読むことで、読み手は不可逆に変化してしまうから。文章を構成する部品を並び替え、修正していくことで好みの文章を作成する。あるいは、好みの文章を修正することで、より好みに合う文章を作成する。しかし、実は元の文章は既に手が加えられた後のものである。好みの文章となるように調整された文章にしか出会えないとしても、まだ出会いと別れの言葉は残されていた。
文字は癌に冒されていると主張する老人は、文字を甲斐甲斐しく世話するが、その苦労も虚しく文字は次々に死んでいく。しかし、文字は死んでも老人を訪ねることがあると言う。文字が真に消えるのは、読まれなくなったときである。文字との語らいについて老人が語ろうとした丁度そのとき、文字は消失し、老人もまた消失した。
猿がキーボードを叩いた結果ではないという。喫茶店のマスターは、猿とキーボードと文字列に関する文言を延々と繰り返す。
人はみな帰ってこられると思って旅立つが、結局誰も帰ってこれないという。自己同一性について、故人となった知り合いに会ったり、かつての知り合いを覚えていないという事態が紹介される。自分と他人が入れ替わることもあるが、それはミドルネームをもらうようなものだ。
自身のものだと思っていたものの中に、到底自分のものとは思えないものが含まれているということに気付く。自分と自分以外を切り離すことでその存在は自立するが、その代わりに、かつて自分であった自分以外のものに対して発するための言葉を失っていた。
始点と終点が定まるならば、その間に実現される物語は一意である。しかし、物語が一意であっても、読み手が揺らぐことで、結果的に物語には無数の差分が生じる。
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