Ⅷ 変分原理
はじめがあり、おわりがある。そこに横たわるものは、ただひとつでしかありえない。
時系列順に並べられ、一枚の絵となる。
これが世界の姿であるらしく、誰からの指摘もなく誰の中にも疑問はない。
絵は完成された状態であり、そこにあらわれているのが最も美しい姿であると誰もが認めているからこそ、人々は眼を決して離さない。
わたしの辿ってきた道を、古来より人々は勝手に語ってきた。その語りが下手だと感じられることはない。必要な言葉のみが選ばれ、無駄なディテールは省略される。わたしの選択は物語であり、手順を追って記述される以上、そこに選択があったことは疑いようがないし、また繰り返していくつもの選択をしてきたのも疑いようがない。
人はわたしの選択を繰り返し、己の物語として語っていく。
わたしは生まれ落ちた。
誕生はいわば一瞬の出来事で、その生は一瞬の閃光として誰かの中に残されるだけなものと思われた。
それでも、どこか自分に記憶の隅に残る感触はあって、「わたし」の生は「誕生」と同義であるとわたしは思っている。
あるいは、誕生ではなくて、「誕生」ではじめて「わたし」は誕生したと言ってもいい。
これはわたしの台本にはない展開である。
わたしは一瞬の閃光として、誰かの胸に刻まれる。
わたしが誰の胸に刻まれるのかはわからない。
わかりはしないが、あらゆる誰かの胸の内にわたしの姿があらわれる。
現われるのは、「わたし」と記された一枚の絵であり、残された誰かは「わたし」を眺めることになるのだが、わたしの姿は誰にも見えない。
わたしは姿を消し、名前だけが誰かの胸に、一篇の物語として残されるのだ。
歴史の束は重なり、古来の人々の視線の束へと姿をかえ、束ねられていく。
束ねられた視線は「わたし」の姿を記録し、未来へ向けて解き放つ。
そうして、束ねられた視線の束は束の中からほどかれる。その束の中に「わたし」の姿は刻まれ、やがて、束がほどかれるたびに「わたし」は誰かの胸に刻まれる。
「わたし」がはじめてその姿を誰かに目撃されたとき、その誰かはいつの間にかわたしを「わたし」として認めている。
誰かの胸に刻まれた「わたし」は、誰かの胸に刻まれたわたしとなる。
「わたし」の姿はどこにでもある。わたしたちの誰かの胸の中にあり、わたしたちの誰かの胸の中にあり、わたしたちの誰かの胸の中にある。
「わたし」の姿は、どこかに束になってまとめられているというわけではない。
「わたし」の姿は無限に増殖し、それらを束にしようという試みは放棄されるに至る。
「わたし」の物語は終焉を迎え、年表の最後にわたしの名前が記される。
わたしの名前が記されることではじまりを迎え、わたしの名前が記された年表は無限に増えていく。
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