Ⅵ 帰還

 誰もがいつかは帰ってこられると考えて旅立つが、帰ってきたものは誰もいない。


 帰ってくることを考えないで発つものは、帰ってこられると考えないがゆえに、帰ってこられる。

 順不同でまた述べる。

 誰もがいつかは天国へ帰ると想像するが、それは自明のことで誰もがいつまでも地上に留まるとは考えない。

 そこで、誰もが帰還者となる、ということになる。

「腹を壊しただけだったよ」と首を振る。「まあ、タイミングは悪かったね」

 首を振ることを利用して、自由に姿を消したりまた現れたりする。これは簡単な仕掛けで、金属製の突起を上手に屈曲させておくというだけのことだ。

 外界もまた同じように。

 だから、自分の姿は全く消えていることを自覚するが、相手には自分が見える。

「ああ、姿が自分と似ているものは、君もいないんでしょう」と首を振る死者は笑ってみせる。

「見えるし……音だってする」

 とこちらは同種に言う。

「おや、不思議だ」と死者は呟く。

「だって、やっぱりあなたみたいにどうかしているんだろう」

 と言い、先を急いだりもしない。


 死者はわざと死んだのではない。その意味として仕事が忙しすぎたからというくらいなものだ。

「忙しすぎて、死ぬ暇を逸した」ということになる。

 この視点は「死とは忙しいものだ」という具合に受け取られるのが常だ。

「必要以上に忙しくされたことが、帰ってくる条件だった」と死者は言う。

「受動的ってことですか」と問うと、「そうだ」と首を振る。

「どうして受動的なんですか」

「だって、その必要があったから」

「原型みたいなものがいたってことじゃないですか」と問うと、「そうとは限らない」と首を振る。

「だって、あなたがそう」と故人は言う。

「ああ、そういうこと」とこちらは理解してみせる。


 自分がかつて存在していた、と理解を示すことはやや勇気が要る。

 死んだはずの誰かに出会ったとき、「その人は今もどこかで生きている」という解釈をとるのは楽で楽で仕方がない。この世は広く、生きているだけでも色々と大変で、自分が昔その人の知り合いだったことを知らないまま暮らすことだってありえる。

 なので、この解釈が定かであるのかどうか、死んでからでないと不明ということになり、死者たちはどうにかして以前の自分と出会う。

 なにしろ自分なのである。

 仲良くなった相手に「やっぱり私、どこかで会ったことがあるんですか」と問うてみると、話は膨らみ、つきあいは長く続いたりする。ただし、テンプレートにはどの相手にも出会う。

 誰かにとってのかつての自分は、誰かにとっての自分の相手なのである。

 このようなテンプレの例は枚挙に暇がない。


 自分と相手は入れ替わっている。

 そんなことを言われても、お互い別の場所に暮らす別の人間だったはずであって、そんなことは認められるわけがない。

「自分なんですから」と死者は言う。

「自分の中の自分です」と相槌を打つ。「ミドルネームをもらったようなものです」と死者は最大限の理解を示す。

 ところでこれは、自分の中で別の自分が会話を交わす現象を利用したわけではない。

 他人同士の中で生じている現象がこちらへ見えるようになり、あちらから見えるようになったということだ。

「あちらへ帰るとそちらからこちらが見える。こちらへ帰ってみるとそちらからあちらが見える」と言い、「なんだかどこかに穴があいてしまったみたいな感じがします」と死者は言う。「されど、こちらの世界をあちらから見ることができるんです」と言い、「かの地のことはそちらへ帰ってみたらわかります」と言い、「どこだって帰ることはできるんです」と言い、「あちらとこちらの間にあるのは、たった一つ」といいかけ言葉を失って首を振る。


 そのようにして故人は帰ってきた。

 というよりも死者は、故人の姿を借りて戻ってきたということだろう。

 故人がその場にいるわけではない。

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