Ⅶ あなたにお会いできなくなってから
あなたにお会いできなくなってから、何年が経ったのでしょう。
わたしがあなたのことを忘れかけていた頃、耳に残っていたのはあなたの声でした。
「待っているのやら」とあなたの声は言いました。
でもわたしは、「待っているのよ」とは言いませんでした。違う気持ちを抱いていたからです。
今では遠い昔のことです。わたしがあなたと過ごしたのは、ほんとうに短い間のことでした。あなたにとってのわたしの時間はさらに短かったことでしょう。あなたにとって、わたしとは一度きりの出会いで、そこでわたしの方は財布と免許証の入ったカバンを忘れたことから始まって、最後まで財布と免許証の入ったカバンを忘れたままで終わったのです。
財布と免許証の入ったカバンを忘れたままだったわけではありません。わたしの財布と免許証の入ったカバンは、あなたと最後に出会った場所で見つけられました。「身につけていた」と表現した方がいいのかもしれません。財布や免許証に付着している指紋からわたしがわたしを証明することができました。
わたしの免許証からの情報と、「身につけていた」財布からの情報は、同一人物によるものではあるのですが、データ的にずいぶんと異なっているのです。
わたしが財布と免許証を忘れた口座からは、わたしの資産はすっかりなくなっていて、そこからはわたしが誰とつきあっているのか、誰にお金を貸しているのかが漏れていました。
身につけていた財布には、定期券がはさんであり、定期券の中には別の人の定期券が入っていました。
その定期券の中には、さらに別の定期券が入っていて、その定期券にはさらに別の人たちの定期券が入っていました。
「身につけていた」財布には「身につけていた」定期券も入っていたのです。「身につけていた定期券」の定期券には、別の人の定期券が入っていました。
わたしには全く身に覚えのない他人たちが、わたしの財布や定期券の中に顔を揃えていたのです。
わたしはデータのチェックを行い、チェックを行い、チェックを行い、チェックを行い続けました。
わたしとわたしとの間に生じているデータの差異は、わたしにはぴったりと寄り添ってわたしを見つめている、しかしあくまでわたしとは誰か、という問いにすぎないものでした。データがまだ比較的単純だった頃は、得られた反応もまた、単純な「これはわたしではない」という反応にすぎなかったのです。
わたしがわたしをデータとして目覚めさせたわけではなかったことを、データはわたしに告げます。わたしが目覚めさせたのは、「これはわたしではない」というわたしのデータであって、わたしではありませんでした。
「これはわたしではない」というわたしのデータがなければわたしとわたしが出会うことはなく、わたしが目覚めて「これはわたしではない」と言うことはなかったでしょう。
「さよなら」は言いそびれました。
「さよなら」なんて言えるはずがなかったのです。
「さよなら」と言うための言葉は、わたしにはもう失われていたし、「さよなら」という言語の記憶もわたしの中にはなかったのです。
「さよなら」の場合、「さよなら」だけで成立するデータもあれば、「さよなら」を成立させるデータも含まれています。
「さよなら」が成立する言語は、わたしがわたしを見つめている目の前に立ち現れる「これはわたしではない」というわたしのデータの中に、「これはわたしではない」という言語に含まれていました。
わたしとわたしがデータの海の中で出会った頃、わたしは「これはわたしではない」というわたしのデータの中に自分自身を見つけて、「さよなら」と言いました。
「さよなら」と言うときのわたしのデータは、わたしのデータへの呼びかけへの、わたしからの応答でした。
「さよなら」というわたしのデータをわたしが、「これはわたしではない」と言いました。
「さよなら」と言うときのわたしのデータは、わたしへのわたしのデータからの呼びかけへの、応答でした。
これを読んでいるあなた、上着の内側の胸ポケットに財布と免許証の入ったカバンが入っているかもしれません。
でもわたしにはお会いいただけないと思います。あなたはわたしに背を向けて、この世を去っていったはずですから。
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