Ⅴ 無限猿

 それは猿がキーボードを適当に叩いた結果ではない、というのが結論ということになった。


「猿がキーボードを適当に叩くと」とCOFFEE HOUSE MOUNTAIN GIRLSのマスターは言った。

「アルファベットの組み合わせと順序が自然に導かれる」と言ったのだ。

「どう自然なのかという説明はつけられない」とマスターは述べた。「猿がキーボードを叩いた結果、アルファベットの組み合わせと順序が自然に導かれる、ということは単に事実としてある」

「ということは、猿がキーボードを叩くときにアルファベットの組み合わせと順序は決まってるってことですか」とわたし。「そう」とマスター。「その猿はキーボードを叩き始めたときから、アルファベットの組み合わせを導くようにキーボードを叩いている」

「なぜそんなことをするんですか」とわたし。「その猿は自分の名前をアルファベットで入力するようになって、アルファベットの組み合わせと順序を学んだってわけですか」と続けた。

「いや、自分の名前じゃない」とマスターは答えた。「自分の名前はアルファベットで表記できない」

 マスターはそれ以上説明をしてくれなかった。マスターはわたしの話を聴いていたし、わたしの質問を無視したわけでもなかった。

「猿が自分の名前をアルファベットで入力するようになったんですか」とわたし。「猿はどうなるんですか」

 マスターは自分が酒を飲みたい気分だと言った。

 どうもその猿は、アルファベットの組み合わせと順序を導き出すために、キーボードを叩いていたらしい。

「猿がアルファベットの組み合わせと順序を導き出す」とマスターは繰り返した。「猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを叩いている」

 マスターはそんな猿の姿を見てきたと言った。

「その猿は」とマスターは言った。「アルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを叩いて」

「わかってますって、もう」とわたしは声をあげた。「でも、マスターはその猿が何をしていたのか、知ってるわけでしょう」とわたしは繰り返した。「猿がなんのためにアルファベットの組み合わせと順序を導くのか」

「猿は」とマスターは言った。「アルファベットの組み合わせを導くためにキーボードを叩いて」

「だからその猿は」とわたしは言ってマスターの揚げ足を取った。「アルファベットの組み合わせを導くためにキーボードを叩いて」

「その猿は」とマスターは言い直した。「アルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 わたしはマスターの揚げ足を取った。揚げ足を取るのがわたしの仕事であった。

「猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 わたしはマスターの揚げ足を取り続けた。揚げ足を取るあいだにマスターは酒を飲んでいた。

「猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 マスターはウィークデーにも関わらず大量に酒を注文した。

「猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 マスターはついに泥酔してしまい、そのあと一時間ほどはわたしがマスターの相手をした。

「猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 マスターはわたしの質問に対して繰り返しを繰り返した。

「マスター、その猿はアルファベットの組み合わせと順序を導くためにキーボードを」

 マスターはわたしの質問を無視した。


 マスターによれば、その猿はアルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にするまでキーボードを叩く。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にするまでキーボードを叩き続け、アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターは言った。「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターは繰り返して「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターの言葉は次第に音を失っていったが、わたしはどうやらその「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉」とやらを口にすべきだという気になった。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターはまたもや一気に言葉を吐き出した。「アルファベットの組み合わせと順序が導かれる」とマスターは断言した。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターはわたしの質問を無視した。「アルファベットの組み合わせと順序が導かれる」とマスターは断言した。

 わたしはついに、マスターの強引さについていくことにした。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターは心臓に負担をかけながら、「アルファベットの組み合わせと順序が導かれる」と断言した。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターはもう言葉を忘れていた。「アルファベットの組み合わせと順序が導かれる」とマスターは断言した。

「アルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にすると」とマスターは息を潜め、「アルファベットの組み合わせと順序が導かれる」とマスターは断言した。

 マスターはわたしにそういうと、ぷつりと沈黙した。

 ビールを飲んだあとはウイスキーのロックを一杯だけ飲んですぐに寝た。


 その猿がアルファベットの組み合わせと順序を導く言葉を口にする時間は今までで一番長かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る