第2話 三つの袋と三本の矢

(婚姻か……まだ私にはまだ早いよ……)


 父との会話を終えた桃千代は、城内園庭が一望出来る縁側に座り、困惑していた。


(それに、正室とか言われてもよくわからないよ……)


 婚姻し正室になる――その事自体は桃千代も漠然とは理解していた。しかし、肝心の正室と言うものがなんなのか? という具体的な事はほぼわかっていない様子。

 

(まあ為せば成るよね? とりあえず竹馬でもしようかな?)


 うじうじと悩まない、切り替えが早いのは桃千代の長所でもあった。だがそれは、楽観的で深く考えないという短所にもなりえる紙一重であった。


「桃千代」

「え? あ、はい父上様? まだ何か?」


 話を終えたはずの父荻野式尾が再び背後から桃千代に声をかけた。


「このあと明日に備えて、侍女のお松から話を聞くんだ」

「え? 今からですか」

「さようじゃ。正室としてのいろはを徹底的に聞いて頭に叩きこむのだぞ」

「は、はい……」

(竹馬……)


◇◆◇◆◇◆◇◆


「桃千代様。毛利元就様はご存知ですか?」


 桃千代は城内にある小部屋で、侍女のお松からの問いに返答をしていた。


「うん。父上様の親友でもあり戦友でもあるって聞いた事ある」

「その毛利元就様は兵士達に三つの袋を腰に掛けさせ、一日に一袋ずつ食べる様に命じた――つまり兵糧配分を平等に行い、戦を勝利に導きました」

「そうなんだ」

「もう一つ有名な三本の矢の話はご存知でございますか?」

「うん。父上様から聞いた」

「桃千代様はご存知ないかと存じますが、同じように男性にも三つの大切な袋があります」

「そうなの?」

「一つ目はお手玉袋、二つ目はいなり袋、そして最後は巾着袋――全て腰から下にあります」

「え? どれがどこにあるの?」

「更に男性には大切な矢があるのです」

「矢もあるの?」

「さようです。竿、棒、鰻。これらも腰から下にあります」

「だから、どこに?」

「正室になるという事は桃千代様は夫に成り代わり城主としての重責が待ち構えているのです」

「……袋と矢の話の続きは? あと正室のいろはの話も――」

「さあ、明日は大事な日です。今日はゆっくりとお休みになる事です」

「……う、うん」


 とてもためになる一方的な話を聞き終えた桃千代は、夕食後すぐに床に入った。

 運命の日が明日に迫り眠れない事も予想されたが、得体のしれない疲労感が彼女を襲い、瞬時に入眠したのであった。無論父からの書の事は忘却の彼方に消し飛んでいた。


 翌日は豪雨。

 横なぐり、祝福と困惑の雨が容赦なく荻野城全体及び、桃千代の心を叩きつける。

 そんなあいにくの空模様の中、城内の特別室である亀甲の間で、桃千代と伊達家の婿候補である一人馬之助は、たどたどしい形式的な挨拶を交わしたあと談笑していた。


「う、馬之助様。東北の地は赤味噌や伊達政宗様が考案された、ずんだ餅というのが美味しゅうとお聞きしましたが」

「桃千代殿。こういう話がある。男には三つの大事な袋がある」

「は、はい……」

(一体なんですの? お松といい、なんで私の話を聞いてくれないの?)

「巾着袋、お手玉袋、もう一つはなんだかご存知か?」

(あ、昨日お松が話していた事だ!)

「あ、はい! いなり袋!」

「違う! 堪忍袋だ」

「…………」

(…………)

「それと他に男には三つの大事な矢がある。竿、棒、もう一つは?」

「えっと……うな……ぎ?」

「違うな。希望だ」

「…………」

(泣いていいかな?)

「それと、好いてる女子といると、すぐにたってしまう物は何かご存知か?」

「え? それは……」

「時だ。時がたつのだ」

「え?」

「桃千代殿といると時の流れが疾風の如く経過する。これがそれがしの気持ちだ。ありがたく受け取っておいてくれ」

「結構です!」

 桃千代は昨日からの出来事――楽しんでいた蹴鞠の中断、突然の縁談話、竹馬遊びを阻止された事、お松と目の前にいる男が自分の問いに答えてくれず会話が成り立たない、腰から下にある三つの袋と矢がなんなのか解消されないと言う昨日からの心労、困惑、疑問に耐えていた堪忍袋の尾が切れた。

「なんですの? 揃いも揃って訳のわからない御託を並べて! いい加減にして下さい! お引き取り下さい!」

 桃千代は身に付けていた手ぬぐい、座布団を振りかざし馬之助に投げつけた。

「桃千代殿! どうしたであろうぞ? 落ち着いてくだされ! 誰か! であえ!」

 騒ぎを聞きつけ侍女数名と家来の者が興奮する桃千代を取り囲み、亀甲の間から退散させた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「桃千代。先ほどの醜態はなんなのじゃ?」

「……は、はい。申し訳ありません父上様……」

 荻野城本丸にて、正座する桃千代の眼前で腕を組み仁王立ちする父。そして落ち着きを取り戻し意気消沈する桃千代。

「わしの顔に泥を塗ったのじゃぞ? わかっておるな桃千代?」

「は、はい……申し開きのしようがありません。私が悪うございました」

「まあよい。取り急ぎ、馬之助殿にはわしから詫びをいれ帰路についてもらった」

「…………」

(え? いいの?)

「まあ、急な縁談話で心が乱れていたのであろう。わしも鬼ではない。過ぎた事は許そう」

「あ、ありがたきお言葉です……」

(良かった……怒ってないよ!)

「次の馬次郎殿との顔合わせには、当家自慢の手練れ侍十と九人衆を同席させる。何かあれば切り捨てるように命じたからな」

「は、はい……」

(鬼だよ……それに相当お怒り……)


 その直後、父荻野式尾は見せしめとばかりに本丸に飾ってあった掛軸を愛刀でばっさりと切り捨て、桃千代に圧をかけた。


(…………)

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