第10話 困ったことが起きたら相談しましょう

 王城の中央大ホールのどこまでも高いドーム型の天井に、弦楽器のカルテットが高らかに鳴り響いていた。

 午前中に卒業式が恙無く終わり、その夕方から王城の中央大ホールを貸し切って学園名物の卒業パーティーが始まっていた。今日ために用意した衣装を身にまとった約三百人の卒業生たちが、初めて味わう最高級の煌びやかな時間を少しの緊張感と非現実を楽しむ高揚感を頭の中で混ぜ合わせながら過ごしていた。


(間に合わなかったわね)


 結局、あの後王太子たちは帰ってこられなかった。

 まず、戴冠式は一週間後に執り行われ、無事王太女が女王となった。その場に立ち会った友好条約を結んでいた六つの国が、優秀な女王の誕生を喜んだ。みんなが大団円だ万歳と、帰国しようとした。ここまでは良かった。

 本当の災難は、ここからだった。


『橋の一部が落ちました』


 コードアート王太子一行が帰国の際に使う予定にしていた隣国トレス共和国とコードアート王国の大海峡を繋ぐ橋が、老朽化により壊れたというのだ。

 この橋を渡ることが最短ルートだったため、こうなっては遠回りして帰ってこなければならなくなった。その遠回りのルートが雪の深い山間部を通るものに変更されたのだが、暖冬の影響で雪崩が起きており道の復旧にまた時間がかかることになった。この時点で帰国が二週間は延びていた。悪いことは重なるというが、ここまでくると祟られた勢いだ。

 何も北の海に沈めなくても良かったんじゃないのか?とロアナは思ったが、王太子たちは『そっちがその気なら、地獄の底まで追って滅してやるわ』の精神で、実はしぶとく生きていたロクデナシたちをひょんなことから見つけ出し、半殺しにした上で雪山の頂上に磔にした。のちにトレス共和国の調査で判明したのだが、老朽化していた橋が壊れたのも直接の原因はこのロクデナシたちの手引きだったようだ。トレス共和国が、先百年はコードアート王国に頭が上がらなくなったのは言うまでもない。

 そこまでしてアレキサンダーを国へ帰したくなかった第二王女の執念に、ロアナはだいぶ引いた。

 そういうわけで、王太子たちは未だに帰国できていない。

 一応、今日帰ってくる予定のようだが、もう誰も期待していなかった。


(十ヶ条は…叶えられないわね)


 それぞれがパートナーと語らう中、ロアナは一人壁の花になっていた。

 ベースメイクは最低限で、眠たそうに見える垂れ目の瞼にグレーのアイシャドウを乗せて、アイラインはあえて引かずに下瞼にバーガンディで強めに色を引いていた。ペールオレンジを中心にグラデーションを作った唇は、グロスを厚めに塗ったことでぽってりと色気が増している。前髪を今日は大人っぽく見えるように大胆にポンパドールにし、ふわふわと踊る長い髪は綺麗に結い上げて、繊細な刺繍が美しい真っ黒なベロアのリボンで飾っている。

 アレキサンダーがデザインに携わったという今日のために用意されたドレスは、黒を基調としたエンパイアドレスだった。身長が高いわけではないロアナでもスラリと縦長に見えて、いつもより随分大人っぽく見える。


『ロアナは、大人っぽい黒も似合うって思ってたんだ』


 ロアナは普段ミントグリーンを基調としたプリンセスラインばかり着ていたので、仮縫いの試着をした時正直着るのを少し躊躇った。けれど、アレキサンダーが本当に嬉しそうに褒めてくれるから、次からは少し大人っぽいデザインの服も増やしていこうと思った。

 ドレスの差し色の落ち着いたオレンジ色に合わせて、両耳の大ぶりのピアスと大胆に開いた胸元を埋める大振りの三連ネックレスの宝石はマデイラシトリンだ。これは、アレキサンダーのカフスとお揃いにしてあった。

 アレキサンダーが着るはずだった黒いタキシードは、ドレスと生地が同じもので仕立てられていて、胸元のハンカチーフの差し色は落ち着いたオレンジ、蝶ネクタイはロアナの髪を飾るリボンと同じもので作られていた。お揃いと言っても、子どもっぽくならないように控えめに主張したようだ。しかし、それに悦に浸っていた本人が不在のため、この衣装の魅力は半減してた。

 一応持ってきていた結婚指輪は、ロアナのドレスの胸元に縫い付けられた小さな内ポケットに隠してあった。きっとダメだろうと思いながらも、アレキサンダーの理想のプロポーズを叶えてあげることを諦めきれなかったのだ。

 なんだかやりきれなくなって、ロアナは静かに誰もいないバルコニーへ逃げ出した。壁の花に徹していても、最後の記念にとダンスに誘ってくる者たちがいたからだ。ロアナが踊りたいのは、一人だけだった。

 物憂げにバルコニーに両手をかけ、そこから見えるライトアップされた幻想的な庭園を眺めた。真ん中に大きな噴水が見える、そこが忘れられないプロポーズの舞台になるはずだった。


「見つけたわ、この泥棒猫が!!?」


「なんて見窄らしい女なのかしら!高貴な血が流れる私たちのアレキサンダー様が、こんな女に掠め取られたなんて信じられませんわ!!!」


「勘弁してください」


 悪いことは重なるものである。

 感傷に浸っていたロアナに挨拶のマナーも何もなく無遠慮に近づいて、静かな庭園に響き渡りそうな金切り声で絡んできたのは噂の公爵令嬢と子爵令嬢だった。ロアナは、もう二人の家名を思い出すのも面倒くさくて、通す礼儀もかなぐり捨てたくなった。そっちがその気なら、こっちも人としての尊厳をすり潰すつもりで応戦してやろうか?とここにきて初めて心の中で悪態をついた。ロアナは、とても疲れていた。


「アレキサンダー様をどこに隠したのよ!!?さっさと連れてきてよ!!あばずれ!」


「もしかして本当に捨てられたんじゃない?お姉様!だって、こんな頭でっかちで可愛げのない女、誰も好きになるはずないじゃありませんか!?」


「そうよねぇ!でも、そうなるとやっぱり屋敷に閉じ込めているのよ!逃したくなくて」


「まぁ、そんな野蛮で見苦しい真似、尊き血の流れる麗しい私たちにはできませんわぁ!!?」


 春先に鳴く練習をする鶯の声のほうが、まだ聞いていられた。

 頭にガンガン響く二人の五月蝿い罵りに、こめかみを揉みながらロアナはどう切り抜けるか考えた。

 そこで、しょんぼりした顔を作り、ロアナの悪口を夢中で話す二人から徐々に距離を取ることにした。いくらでも罵られるので、ドレスだけは汚されたくなかったのだ。二人が意味ありげにシャンパングラスを片手に持っていたので、最悪を想定して逃げ道を確保しておきたかった。

 もう少しでホールの中に駆け込める距離まできたロアナは、心の中で三つ数えたら振り返って中に駆け込もうと決めた。ここまで移動したのに気がつかないとは、さすがあの王弟と王妹の子どもたちである。多分、近いうちに何か取り返しのつかないことをやらかすのだろうな……と少し哀れんだ時だった。


「ただいま」


 唐突に、後ろから抱きしめられた。

 驚いて見上げると、アレキサンダーがいつものように優しくロアナに微笑んでいた。


「ダンス、踊ってくれるんだろう?」


 アレキサンダーは本当に嬉しそうに笑って、ロアナの唇に軽くキスをした。

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