第11話 泣かせないように努力しましょう
幼い頃からの宝物のように大切に抱きしめてくれるアレキサンダーを、ロアナは見つめた。
「おかえりなさい……ところで、いま……キスした?」
「した」
「……プロポーズの時に、ファーストキスをあげるつもりだったのに」
「もったいないことしたな……先走った、ごめん」
謝っているのに、ずっと嬉しそうな顔でロアナを見つめ続けるアレキサンダーに、ロアナの今までのやるせなさは全部吹き飛んでいってしまった。十ヶ条は全て叶えてあげられそうだと、やっと彼女の華奢な両肩から力が抜けた。
正直な話、もうアレキサンダーは自分のところには戻ってこないかもしれないとロアナは少し考えていた。
アレキサンダーに落ち度は無いとはいえ、国と国がここまで拗れる問題に発展してしまったからだ。一番深刻だったのは、友好関係の象徴でもあった大海峡の大橋が落ちたことだろう。あれは、両国挙げての共同事業で完成まで二十年かかっている。本当に戦争が起きる一歩手前まで来ていた、そのまま何も解決していなければ王太子一行はおそらく捕縛されて交渉材料として人質になっていてもおかしくなかった。もはや離婚どころの話ではなかったのだ。
「新婚早々に未亡人になるかと思ったの」
「それは……ちょっとエロいな」
「本当に信じられない……!」
ロアナが、たまらずアレキサンダーの綺麗な額を左手で軽く叩いた。彼は、その仕打ちを甘んじて受け入れた後、やはり幸せそうにそのロアナの左手を取ると、輝く薬指の指輪にキスをした。ずっと幸せそうなアレキサンダーの様子に、ロアナの方が参ってしまい右手だけで頭を抱えた。
そんな二人の様子をずっと見せつけられていた令嬢二人は、顎が外れるのではないかというくらい大口を開けて絶句していた。
誰と誰が離婚するですって?と一連の様子をじっと耐えて見守っていたイザベラは、隣で赤面して蹲っている自身の婚約者の頭を撫でていた。ちなみに、この騒動は皆が見て見ぬ振りしてくれているので、卒業パーティーの進行は問題なく順調に進んでいる。
「あああ、ありえないわっ!アレキサンダー様は、いつだって冷たくてそこが痺れるほど格好良かったんだから!!?」
「高貴なる私たちが話しかけても、殿下の護衛として任務に忠実でっ一言も喋ってくれなくて!!!」
二人のパーティーにそぐわない金切り声に、それはもう答えを自分たちで答えているようなものなのでは?と苦笑する者たちもいれば、二人の言葉が胸に刺さってコソコソと身を縮こませる者たちもいた。
アレキサンダーと時を同じくして会場に到着していた王太子も、自身の婚約者へ一番に駆け寄り、熱い抱擁を交わしていた。アレキサンダーたちの様子を伺い頃合いを見て、あのかしましく目障りな幼馴染たちの声に負けないくらい強く大きく二回手を打った。
途端に、会場に流れていた音楽がワルツに変わった。
ダンスの時間が始まったのだ。
「まぁ!アレキサンダー様、ぜひ私と一曲踊ってくださらない?」
「やだ、私が先よ!!」
さっきまでの醜悪な表情を一瞬で忘れて恋する乙女のそれに変貌した二人に、さすがのロアナとアレキサンダーもドン引いた。王太子に至っては真顔になって、目線だけで警備していた騎士たちに幼馴染たち二名を拘束させた。もちろん、猿轡を噛ませて。最後まで、当事者二人に揉め事を揉ませないまま、全てが終わろうとしていた。
屈強な男たちの肩に担がれて広間から連れ出されていくライバル?二人を、困ったように見ていたロアナだったが、まだ自分のことを恨みがましく見てくる視線が他にもあることに気付いていた。
やはり、とんでもなくモテる男を婿に取ってしまったと改めて頭を抱えた。そんなロアナの苦悩など知らずに、十年以上思い続けた女を嫁にできた男は、幸せそうにその嫁をエスコートしながら、広間の中央へ進んでいく。
絢爛豪華なシャンデリアの光に照らされながら、ロアナは今までの結婚生活を振り返っていた。実質一週間くらいしか過ごしていないため、あっという間に振り返れた。
けれど、もう隣にアレキサンダーがいない未来は想像できなかった。
甘えることが下手くそで両親からの愛情をいまだにどこか疑っている、人を愛し愛されることに鈍感なロアナに、極上の男が全力で自分に恋してくれている。
恋なのかな?彼のこれは?とやっぱりちょっと疑っているロアナであったが、先ほどの騒動で自分自身の気持ちにようやっと気がついたのだ。
「君が綺麗すぎて、泣きそうだ」
「今は涙を拭いてあげられないから、我慢して」
「君の前だと涙脆くなるみたいだ、俺は」
「気にしないわ、あなたの涙綺麗だもの」
ポロリと宝石みたいな一粒の涙を溢したアレキサンダーと、それに優しく微笑んだロアナが、静かにワルツを踊り始めた。
初めて二人で踊ったとは思えないほど、ぴたりと息が合っていた。
それをうっとりと眺める者たちの中に、諦めきれずに睨みつけている令嬢も片手では収まらないくらいには残っていた。それをロアナは確認しながら、楽しそうに踊るアレキサンダーに話しかけた。
「ねぇ、アレク」
「どうした」
「アレクは……もう私のものよね?」
ロアナのその言葉に、アレキサンダーが息を呑んだ。
それを聞いていたであろう令嬢たちは、はしたない言い方に顔を顰めた。けれど、ロアナはさらに挑発するように笑って、アレキサンダーを見せびらかすようにターンを決めた。
(ものだなんて、ほんと失礼よね。でも、お行儀良くしていたら、あなたたちみたいなお行儀の悪い人たちが取り上げにくるのでしょう?だったら……もう誰にも遠慮なんかしないわ)
もうロアナは、大きな声で『大好きだからあげたくない』と叫ぶのだって躊躇わないと決めた。それでアレキサンダーが喜んでくれて、自分以外の誰かに目移りしないのであれば安いものだ。十数年間ロアナだけを見てきたのだから、今更別の者に視線を向けることは許さない。誰よりも彼を幸せにするのは、自分だけでいい。そんな強烈な感情が自分の中にあったことにロアナ自身驚いたが、理性に勝るその熱はどこか心地よかった。
(これが、恋なのかしら?まぁ…悪くないわね)
ロアナは、今までずっと優等生で過ごしてきた。煩わしい事が嫌いだった、だから、全てをちょうどよく熟してきた。誰にも嫌われたくなかったし、嫌いたくもなかったから。
だけれど、目の前の人物には嫌われても構わないと思えた。
気持ちを隠して好かれるくらいなら、ロアナの全てを曝け出した上で嫌われたかった。この好きという気持ちが正しく伝わらずに終わるより、ずっと良い。
「もう卒業したから、優等生はやめるわ……多少、お行儀が悪くても許してよね?旦那様」
そうクスリと初めて見る顔で笑うロアナに、アレキサンダーが動揺して少しステップが乱れた。アレキサンダーを翻弄できたことに満足して、ロアナは牽制するように周りに視線を流した。悔しげに唇を噛んでいるものや、ショックを隠せずにうなだれる者を見ても、もう心は乱れない。
ロアナは、アレキサンダーを受け入れた。この結婚に、不安などかけらも残っていなかった。
「目の前で笑う君は、肖像画の君と比にならないな」
「待って、肖像画って何?」
今度はロアナのステップが乱れたのだった。
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