第8話 誤解を招く行動は控えましょう
あのバックハグ事変からキッチリ一週間後。
フォーリオ伯爵家から嘆願書(という抗議もとい惚気)が正式に王太子の元へ届けられた。直訴では無いだけマシだろう。それを王太子は一人自室の執務卓で二度ほど目を通し、物憂げにため息を吐いた。
嘆願書が届いた経緯を聞いたローズガーデン侯爵令嬢から、『くれぐれもご配慮を』と厳しく諌められてしまったのだ。飄々としている彼だが、惚れた弱みで婚約者の言うことには素直に従ってしまう所があった。その事すら彼女から諌められているのだけれど。
(そもそも、なぜ先代の辺境伯とフォーリオ伯爵が仲良くなれたのか、という所から説明がいるようだな)
あの後、アレキサンダーの行動に呆然とした幼馴染は、一拍置いて火山が噴火したように怒り狂った。
取り巻きすら戸惑うほどのひどい罵詈雑言をロアナに浴びせたため、公爵令嬢としてあまりに品位に欠けると注意をし、反省を促すためにその可憐な口を即席の猿轡で縛り上げて、あらかじめ呼びつけておいた公爵家の馬車に蹴り込んで帰宅させたのだった。
これでもし公爵家から厳重な抗議が来たとしても、この一連の出来事を控えていた行政官に一字一句メモさせていたので、それを抗議文とともに送り返してやる腹積りである。
この日、王太子が学園に来ていたのは、立派な公務だった。公務内容は、学園側との卒業式と卒業パーティーの打ち合わせだった。ただ卒業生たちに秘密にしたい打ち合わせもあったため、表向きは来月隣国への訪問の件で教師を緊急招集したということになっている。
つまり、公爵令嬢は公務を妨害したと言える(多少、強引なのは否めない)
「公爵家は、一体どんな教育をしているんだ」
まぁ、あの親にしてこの子ありを体現している一家ではある。兄である現国王に下剋上したくとも賢い頭も強い体も人望もなかった人間(王太子から見て叔父)が、父親なのだ。爵位にしか目が向かない価値観と知識しかなくても仕方ないのかもしれない。そして、困ったことにこういう残念な貴族がもう一家いるということだ。こっちは、父親の妹(王太子から見れば叔母)が由緒ある子爵家に嫁いだのだが、その娘もアレキサンダーに執着しているらしい。面倒臭いことこの上ない親族である。
(どこまで愚かなんだ……ちょっと考えれば分かるだろうに)
この国で領地を持たせてもらえていない下位の貴族たちが、この婚約に疑問を持つのは仕方ない。とはいえ、高位の貴族になれば、別段奇妙に思うような取り合わせでも無い婚約だったからだ。
隣国との国境を守るジャックロード家は、常に兵糧を備蓄も含めて必要としていた。
長い間広大な土地を国から預かり治めているとはいえ、穀物の取れ高が常に安定しているかというと、基本的に寒冷地であるためそうではなかった。そこで、国は農業が盛んな南部の貴族に声をかけ、国に収める税を安くする代わりに辺境伯家にその年に穫れた穀物の三割を安値で下すように頼んだ。それに対して四家が承諾し、辺境伯家の食糧事情は安定することになった。
その四家の一つが、フォーリオ伯爵家だった。どんどん工業化が進む中、このまま農業一本でいくのは正直不安だった伯爵家にとって、この国からの申し出は涙が出るほど有り難かったのだ。
そういう事情があり、たまたま同じ年同じ学園に入学した先代ジャックロード辺境伯と先代フォーリオ伯爵が、意気投合するのは別に何ら不思議なことではない。
まぁ、まさかあのいわく付きの婚約を孫にさせるほど仲が良かったとは誰も思わなかったが、別に家同士の事情で考えてみればよくある関係だった。その証拠に、ロアナの母は上記のジャックロード家に穀物を卸している四家の内の一つである子爵家出身だ。
隣り合っていた子爵家と伯爵家が政略結婚したことで、ジャックロード家へ卸す穀物をより安定化させ、税金の浮いた一部を併せて鉄道事業に投資したのだ。これが当たって、南部でも両家は有数のお金持ちになっている。そして、その利益の一部を国を通じてジャックロード家の軍事資金に充ててもらっている。
表立って話すことではないため、有名なお家事情として高位貴族間では共有されていたりするのだ。ちなみに、ハーネット伯爵家は武具と軍馬の名産地である。
「馬鹿な人間ほどつるむんだよなぁ……」
王太子は嫌な予感がしていた、そして彼の直感は善い悪いに限らず必ず当たった。
彼は、あの二人に限って愚か者に遅れを取るとは思っていなかった。だが、知略も何もなく真正面から特攻をかまされた場合、とばっちりで優秀な者たちに醜聞が立つのは宜しくない。社交界は常にスキャンダルに飢えている。まだ成人したての子どもだからと甘く見てくれるわけもなく、油断すればすぐに足元を掬われる。
そっとしておくのが無難であることは分かっているが、あの二人の婚約は王家が認めたものであるとさりげなくアピールしておいて損はないだろうと王太子は考えていた。
正直、先の公爵家と子爵家においては馬に蹴られて死なないかなと願っていた。
『だからって、面白がるんじゃありません!』
それはそれとして、ローズガーデン侯爵令嬢が叱りつけたわけなのだが、彼は懲りていなかった。唐突に何かを思いついた顔をして、彼は眉間に皺を寄せるのを止め、機嫌よく一枚便箋を取り出すと流れるようにペンを走らせたのだった。
※※
場所は変わって、王城内の近衛騎士専用の訓練場。
三百人ほどの精鋭が集まった近衛騎士団は、通常何年か衛兵や地方騎士の下積みを経て上官から推薦をもらい入団する。しかし今年、異例の新人としてアレクの入団が決まった。親の七光りだと影で嗤われていたが、本人はカケラも気にしていない。
少数精鋭で普段の業務が多忙であるゆえに、年に一回一ヶ月使って短期集中型の厳しい合宿訓練を王城の訓練所で行っている。入団した新人への洗礼でもあった。ここで、まず入団した半分が脱落していくからだ。
前半の地獄の体力作りを乗り越えたあと、真剣を使った実践訓練、対テロ対策、籠城時の対応、いつ使うかわからない法学の座学などなどを叩き込まれる。指導におけるパワハラなんてクソ喰らえ状態の極限状態を乗り越えた男たちは、面構えが違った。
訓練の内容が内容なので、基本この訓練期間は部外者は立ち入れないようになっていた。
そんな厳しい男所帯(風紀が乱れるという理由で男しかいない)に、彼らの身内だけは一度だけ差し入れを渡すことを許可されていた。たまに、この差し入れを持って行った帰りに自分の息子や旦那を渡されて帰る者もいる。
さて、そんなところに差し入れを持っていく勇気がロアナにあるだろうか?いやない。
『死にそうになっているから、どうか差し入れを持って行ってやってくれ』
なぜか嘆願書に嘆願書を返されて、ロアナは泣く泣く一人で祝日の訓練場の入り口までやってきていた。
今の時間帯は、ロアナ以外に他の者の身内は来ていなかった。
シンプルな若葉色のワンピースに身を包み、来る前に寄った伯爵家の料理長から持たされたアレキサンダーの好物のチョコレートブラウニーが十二ピース入った、小さなバスケットと彼の着替えを持っている。
どうしてこんなことに……と困りに困った顔で、受付の門番に声をかけた。
「お勤めご苦労様です。あの……主人へ差し入れを持ってきたのですが」
「ありがとうございます。どなたへ取り継ぎましょう?」
「アレキサンダー・フォーリオです」
そう告げた瞬間、門番の顔が驚愕に変わった。
ロアナの判断は早かった。
「ア、アレキサンダーの新妻が来てくださったぞぉおおおおおお!!!!」
門番がそう叫ぶのと、ロアナが荷物をそっと地面に置いて、来た道を全速力で走り出すのはほぼ同時。
淑女が走ってはいけないのは、屋敷の中だけだ。そう屁理屈を捏ねて、馬車まで走った。
一応門番の名誉を守るために言っておきたいのは、門番はこの時だけこんな呼び出し方をしたわけではない。これが、この訓練期間における、差入れが届いた時の正式な呼び出し方なのだ。
(慣れないことはするもんじゃないわ……今度は、はっきりとした抗議文を王太子に送ってやる!)
ロアナは、出来上がった婚約指輪をそのバスケットの中にメッセージカードとともに入れていた。
アレキサンダーが合宿訓練中に出来上がった婚約指輪と結婚指輪を、訓練場に来る前に彼には秘密で一人で受け取りに行っていたのだ。そして、受け取ったその場で左手の薬指に指輪をはめていた。(右耳にはあの日からずっとサファイアのピアスが飾られている)
ことピアスに関しては、アレキサンダーも毎日つけており、ロアナから拝借したピアスはまだ返していない。
王太子から半ば強制の機会だったのだが、折角ならもっと驚かせてやろうと思っての行動だった。しかし、アレキサンダーがそれを喜んで受け取ってくれたかどうかは、結局確認できなかった。こんなことになったから。
ロアナもロアナで、もう一度訓練所まで引き返す勇気はなかった。
ちなみに、結婚指輪は両方ともロアナがまだ持っている。理由は、プロポーズの時にアレキサンダーに渡すと決めていたからだ。
そうして、無事に逃げ帰ったロアナだったが、門番の知らせにその場から飛び出していったアレクを全員が微笑ましく送り出していた。差入れが届いた時、大体の騎士がこうなるのを知っていたからだ。
その後、意気消沈しながらもバスケットの中に指輪を見つけて幸せそうに訓練場へ帰ってきたアレクを見て、他の騎士団員たちもそれぞれパートナーを恋しがった。そんな団員たちに騎士団長はすぐ様一喝し、訓練の内容が過激になったのだが……例年より一日だけ訓練が早く終わったのだった。
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