第6話 お揃いの指輪をつけて過ごしましょう
アレキサンダーが予約した宝飾品を取り扱う店は、城下町の一番街に構えていた。つまり、王国内でも屈指の高級宝飾品店である。ちなみに、ロアナのお気に入りのパン屋は三番街にあり、値段も人気も味すら非常に親しみの持てる店となっている。
そんな敷居の高い店の正面玄関に馬車を横付けし、アレキサンダーにエスコートを受けながら一歩一歩慎重に近づいていく。横付けした馬車のドアの真下から玄関まで真っ直ぐに伸びる赤い絨毯は、汚れ一つ付いていなかった。今日が晴天で本当に良かったと、ロアナは思わず下ろしたての黒いハイヒールに視線を落とした。
ドアマンからにこやかに会釈され、アレキサンダーもロアナも卒なく笑顔を返して開けられたドアの中へ入った。ロアナは背中に冷や汗をかきながら、こういう時に叩き込まれたマナーや教養というものは役に立つのだなと感心したのだった。
貴重な大理石を大胆に使った床に、センスの良い絵画や調度品に彩られた店内は、さながら美術館のようだった。素敵なところに連れてきてくれた美しい彫刻のような横顔をした男を見上げて、はたとロアナは思い出した。ここは紹介がないと買えない店だと、以前ロアナの母が苦笑しながら教えてくれたことを。
「ここのお店は、ロアナのお母様に紹介してもらったんだ」
「うっすら分かっていたわ」
衣装がかりにコートを預けると来客用の猫足のアンティークソファにゆっくりと腰掛け、二人はにこやかに担当者と会話を始めた。実はこの時、二人とも緊張しすぎて、いつも三倍ほど猫を被っていた。
ロアナの初デートの衣装は、繊細なレースでできた丸襟の黒いAラインの膝丈のワンピースである。上質なベルベット地の光沢が滑らかに輝き、左胸の上の方にサファイヤが美しいブローチが飾られていた。
その隣で座るアレキサンダーはこの後訓練が控えているので、時間短縮のために仕方なく見習い騎士の平服であった。平服と言っても準正装扱いなのでこの場にそぐわないわけではなかった。何よりこの騎士姿が様になっていたため、二人並ぶと深窓の令嬢と護衛騎士の戯曲のポスターのようだった。
そんなポーカーフェイスを極めた二人がはち切れそうな心情を表に出すことはなかったが、それゆえにお若いのになんて落ち着いた素敵なご夫婦なのだろうと店員たちの観心を買っていた(のちに、この二人が作った指輪がブランド化され店の代名詞として語り継がれることになるのだが、それをこの若い夫婦たちも店員たちも知る由もない)
ロアナにはミルクティー、アレキサンダーにはダージリンのストレートティーが何も言わなくても用意され、早速数点のジュエリーとオーダーメイド用のカタログが大理石でできたテーブルの上に広げられた。指輪たちはシンプルながらも細部に意匠が凝らされており、ロアナたちの目を楽しませた。
「本当に結婚したんだな、と感動して泣きそうだ……」
「アレクの表情筋は、本当に仕事しないのね」
ロアナの隣で静かに感極まっていたらしいアレクが、ちょっと涙目になっていた。アレキサンダーの積年の思いがつまった涙は、もう何が起きても動じないだろうと肝が座ったロアナによって、その宝石のように美しい瞳から溢れないうちにハンカチでそっと拭われていった。
そんな初々しい二人の様子に担当者が心臓を鷲掴みにされながら、オーダーメイドにかかる費用や完成までの時間などを分かりやすく説明していく。
アレキサンダーとロアナの希望を細かく聞き、素材や宝石を決めていき担当者が手元の上級紙にデザインを描き込んでいく。婚約指輪と対になるように結婚指輪を作り、話を進めていった。この二人、迷いがない(片方は長年温めていたデザインがあり、もう片方は好きなものがハッキリしていたため)ので非常にスムーズに指輪のデザインは出来上がった。
担当者が見積もりの概算と完成までの日にちを伝えると、アレキサンダーが目に見えて落ち込んだ。フルオーダーのものは時間がかかる。つまり、毎日つけたかったお揃いの指輪は、少なくとも三週間待たなければ出来上がらない予定となってしまったのだ。
戸惑う担当者に、ロアナが苦笑して事情を話すと、またしても心臓を鷲掴みにされた担当者が裏に引っ込んで、工房に事情を話したことで二週間に短縮された(この平の担当者は、一年後店長に大抜擢されることとなる)
「アレク……落ち込まないで。もう……本当に表情筋が仕事しないわね、あなたって」
「君に言われたくない……」
「それもそうね」
ふふっとロアナが笑うと、アレキサンダーが心の底から嬉しそうに甘やかな笑顔を向けた。一枚の絵画のような二人の様子に、店内にいた全ての店員が心を持って行かれた。
仕方ないとはいえ肩を落とすアレキサンダーに、化粧を直すから馬車で先に待つように言って担当者に休憩室まで案内してもらう。
その時、ロアナはこっそりアレキサンダーのためにピアスを購入した。
お揃いで購入するには手持ちがなく、初めて来た店でツケ払いなどできるはずもない。しかし、初めてのプレゼントという付加価値が付いた物ならば、きっとアレクなら喜んでくれるのではないかとロアナは考えたのだ。
それに、ピアスならば毎日つけられて、訓練の時に邪魔にもならないだろうと担当者にはにかみながら話すロアナは、本人が気がついていないだけで完全に恋する乙女だった。馬車の中ですぐにつけてもらいたいからとラッピングは最低限にしてもらい、とても大事そうにそれを両手で包み込んだロアナの真心に、担当者はちょっと泣いた。
最後に従業員全員でお見送りされてしまい、ロアナとアレキサンダーは驚いた。さらに、二人よりも御者がそれに驚いて手綱を取り落としそうになっていたことにも、驚いた。
馬車の中で物憂げに外を眺めるアレキサンダーに、ロアナが少しソワソワしながらコートのポケットから先ほど購入したピアスの入ったジュエリーボックスを取り出した。
目を丸くして驚くアレキサンダーから視線を外しながらロアナはパカッとそれを開けて、小さな一粒サファイヤが台座に座る非常にシンプルなピアスを差し出した。
「これなら、毎日つけても邪魔にならないでしょう?お揃いではないけれど、婚約してから初めてのプレゼントだから記念にはなると思って」
「す、好きだ!!ロアナが大好きだ!!」
「さすがに、気づいているわ」
大袈裟ねと笑いながら、そっとアレキサンダーに近づいて金の細いフープ状のピアスに触れた。
そのあまりに自然な触れ合いが嬉しくて、思わず肩を跳ねさせたアレキサンダーだったのだが、ロアナはさすがに無遠慮に接しすぎたと勘違いしてすぐに手と体を引っ込めた。そして、押し付けるようにアレキサンダーの右手にピアスの箱を握らせた。
人生最大の一大事が立て続けに起こった男は、この悲しい勘違いをすぐに解けぬまま三十秒ほど固まっていた。そんなに触られるのが嫌だったのかとオロオロと悩み始めたロアナの様子に気がつけるわけもなく、真っ白になった頭でアレキサンダーは何も考えずに力一杯華奢な彼女の体を抱きしめた。感無量であった。
「せ、先生に怒られちゃう!!」
「かまうもんか……!!」
「ダメだってば!」
ここで御者が、目的地よりも離れた場所に馬車を突然停めた。なぜなら彼は、くれぐれもよろしく頼む、とジャックロード家の執事からきつく言われていた。彼は職務に忠実なので、防音である車内の異変にいち早く気がつき、せっかくなので歩いてみてはどうでしょうか?と気を利かせたフリをして若い二人を三番街の道の中へ放り出したのだった。仕事のできる御者に、アレキサンダーは盛大に舌打ちし、ロアナは安堵の表情で礼を言う。そうして、そこそこの賑わいを見せる街の端っこで、二人は気を取り直して襟を正した。
歩き始める前に、アレキサンダーがおもむろに左耳のピアスを外し、ロアナからもらったピアスを一つ取り出すと早速身につけた。残りの一つは自分の耳に飾らず、そんなアレキサンダーをじっと見上げて待っていたロアナの右耳に触れ、そこにあった林檎を模した金細工のピアスを丁寧に抜き取った。
「やっぱり……お揃いがいいんだ」
「え?」
驚きすぎて固まったロアナをよそに、手際よくピアスをはめ、しれっと自分のポケットにロアナの林檎のピアスをしまったのだった。上機嫌で歩くアレキサンダーとほんのり頬を薄ピンクに染めて呆然と歩くロアナを、三番街を歩く人々が微笑ましげに見つめては通り過ぎていった。
仲良く手を繋いで着いた先は、ロアナのお気にいりのパン屋だった。
買い置き用のバゲットと、昼食用にそのバゲットを使ったサンドウィッチ、最後にミルクティーをいずれも二つ買うと店を後にした(この時、従業員の一人が失恋したという)
「夕方から訓練がなければ、もっといっぱいいられたのに」
「これ以上一緒にいたら、私の心臓がもたないわ」
「鍛えてくれ」
「どうやって?」
帰りの馬車の中。
今日は君の好きなものを知りたかったんだ、と笑ってサンドウィッチとミルクティーを味わうアレキサンダーを見ていたら、ロアナは好物のはずのそれらの味がまったくしなくなってしまったのだった。
その後アレキサンダーと穏便に別れ、寮に帰ってきたロアナを、イザベラが複雑な表情で待ち構えていた。
「ただいま」
そう口にしたロアナをあっという間に下着姿にまで剥いて、隅々まで確認すると、やっとイザベラはいつもの笑顔で出迎えた。
「おかえり」
そんな親友に、ロアナはアレキサンダーからほのかに感じている狂気と同じものを見たのだった。
このイザベラの行動理由は、彼女が恋人というものを世界で一番信用していて、それでいて男という生き物が一番信用できないと思っているからだった。
冷静に気を取り直して、素早く部屋着に着替えたロアナが、イザベラに初デートの話を始めた。ついでに、十箇条の件も軽く話した。というのも、学園で騒ぎになってしまったので、ロアナは寮部屋以外でアレキサンダーについての話をするのが怖くなってしまったからだった。学園の特に女生徒たちからの目や聞き耳は侮れない。ロアナの軽はずみな行動で指導室行きになっては申し訳ないと考え、寮部屋以外でアレキサンダーの名前を口にすることさえも悩んでいたのだ。
「考えすぎじゃない?ロアナらしいと言えばらしいけど」
そう笑って、イザベラも協力してくれることになった。親友のその笑顔に少し安心して、続いて明日の予定である衣装合わせの話を努めて明るく口にする。案の定、情報が詰まり過ぎて消化不良が起きそうだと、イザベラが一転して項垂れることになった。もう食傷気味のロアナからしてみれば、まだまだ序の口だと言いたかった。イザベラが散々に自分に聞かせてきた惚気話は約二年分なわけで……ロアナに関しては実質三日分みたいなものだった。
ロアナが怖い話をするようにそう言えば、まだ二ヶ月半もあるのかとイザベラが身震いした。
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