第5話 せめて一回はデートをしましょう(夫が多忙です)

 ロアナが帰ると、先に帰っていたはずのイザベラは寮部屋には居なかった。しかし、不思議に思うことはなく、二人であらかじめ決めている書き置きボードまで歩いて行く。案の定、生徒会の仕事が立て込んでしばらく夕食をいっしょにできないというメッセージカードが貼られていた。了承した意味でメッセージを剥がして、朝の登校はいっしょに行こうとメッセージを貼っておいた。ロアナは、この一見面倒臭いやり取りが案外気に入っていた。


 自室に入り部屋着に着替えると、部屋に買い置きしていたバゲットを適当に口に放り込んで軽めの夕食を済ませた。イザベラや両親によく注意を受けるのだが、ロアナは食事に関心が薄かった。元々食が細かったこともあり、お腹が満たされて、不味くなければそれで良かった。好物であるミルクティーに、お気に入りのパン屋で買うこのバゲットがあれば生きていけると思っている。適当に作ったミルクティーを勉強机に置いて、引き出しから例の手紙を二通取り出した。

 今から返事を書くのに、どう返事をしたものかとしばらく悩んだ。ミルクティーが半分に減ったところで、まず父親への返信を恨み言半分、ジャックロード家へはお祝いに対する感謝を込めた定型文を半分くらいで書き進めた。

 そして、ふと思いついて両方の手紙に今日取り決めた十ヶ条を書き記しておいた。そして、全然違うニュアンスで書いた二つの手紙の締めくくりに、同じ文章を書き添えた。


 “この十ヶ条を叶え終えるまでは、どうか見守っておいてほしい”


 アレキサンダーや王太子、果ては学園から怒涛のように聞かされた自分を取り巻いていた状況に、正直まだ実感が伴っていなかった。頭では理解しているが、心がどこか現実を疑っていた。

 あんなに綺麗な顔をした文武両道で有名な男の子が、自分のお婿さんになってくれた?冗談でしょう?そう笑い出したいのに、なぜか笑えない。

 アレキサンダーが自分の父親と文通していたと知った時、少しだけ苛立ってしまった事もそうだ。自分に黙って勝手なことばかりして!と怒って見せても良かったはずなのに、それができなかった。

 物分かりのいいふりをして、自分の本心を見せるのを躊躇っている。明日になればこの小さな苛立ちは晴れるのか?そう投げ出しても、きっと明日の自分はまた新しい小さな靄に心を乱されるのだと気がついていた。

 このジリジリとした苛立ちを、ロアナは過去にも抱いていたことがあったからだ。そして、その幼い頃の苛立ちをいまだにうまく消化できずにいる。


『父様たちは、わたくしの気持ちなんてどうでもいいんだわ。わたくしの好きって言葉を、大切にしてくれないんだもの』


 両親は、幼いロアナが欲しいものは何でも買ってくれた。けれど、それをロアナといっしょに買いに行ってくれることは少なかった。あの時は、欲しいものが手に入ったのに悲しかった気持ちが分からなくて、生まれて初めて癇癪を起こした。ほとほと困りきった顔をする両親に、もっと悲しくなって大泣きした。

 そんな自分の気持ちを唯一分かってくれたのは、乳母だった。


『お嬢様は、ご主人様や奥様といっしょにお出かけしたかったのですよね。欲しいものなんか何でもよくて、好きな人といっしょにいたいから、ずっと何かが欲しいといっしょにいられる理由を見つけていらしたのではありませんか?』


 そう慰められて、自分でも気がついていなかった自分の本心に驚いて涙が止まったことを鮮明に覚えている。ロアナは、一生懸命考えた。今はロアナよりロアナの気持ちに詳しい乳母がいないのだ、自分でこの苛立ちの正体を見つけなくてはいけない。

 そうしないと、週末のデートであの日のように癇癪を起こしてしまいそうで恐ろしかった。


『ごめんね、ロアナ』


『次は、いっしょに買いに行きましょうね』


 違う、そうではなかった。次を求めていたわけではなかったのだ。

 幼いロアナは、大好きな両親が何かを買ってくれなくても一緒にいてくれさえすればそれで良かった。

 今、力一杯に二人でロアナを抱きしめてくれれば、それで満ち足りた。そして、ロアナもそう口にすれば良かったのに……小さなロアナは『甘えること』をそこでやめてしまった。

 それ以上我儘を言って、嫌われたくなかったから。


(……なんか、今、答えが見えた気がしたような……?)


 アレキサンダーにまつわるこのわずかな苛立ちの正体に少し近づけた気がしたが、ミルクティーが空っぽになってしまったので眠ることにした。

 書き上げた手紙に蝋で封をして、忘れないように鞄の中へしまった。次に、シャワーを浴びて寝支度を整え、さっさとベッドの中へ入った。今まで感じた事のない高揚感を胸に、初めてするデートについて考えてみた。

 準備があるって何なんだろか?

 どこに連れて行ってくれるのだろうか?

 どんな話を聞かせてくれるのだろうか?

 イザベラから聞いたデートの話も思い出しながら色々と考えていたら、いつの間にか眠っていたのだった。


 ※※


 あれから週末。

 迎えた記念すべき第一回目のデートの日。

 秋晴れの青空に見守られながら、イザベラに相談しながら初めてしたオシャレに緊張していた。

 ロアナは、アレクに指定された日時と場所に、これまた指定されたお気に入りの深緑のダッフルコートを着て行った。

 指定された場所は学園の正面玄関で、時間の十分前に着くともうすでにアレクと一台の立派な馬車が待っていた。


「待たせたかしら、ごめんなさい。あら……お揃いね、コートの色?似合っているわ」


「待ってないよ、今日は一段と可愛いな。コートのことは、ハーネット嬢に教えてもらった。どうしても、お揃いのものを身につけて出かけたかったんだ」


 ロアナは、一昨日げっそりした顔で帰ってきたイザベラを思い出した。そういえば、何をどこまで話したのか聞くのを忘れていた。

 あえて軽く流して、アレキサンダーのエスコートを受けながら用意されていた馬車に乗り込む。内装が小洒落ていて、防寒防音な上に座面のクッションが今まで座ったことがないくらい柔らかかった。


「どうしたの、この馬車?」


「これは、ジャックロード家の所有物だ。気兼ねせずに乗り心地を楽しんでくれ」


(気兼ねしかないのよ……)


 ジャックロード家の馬車は、ジャックロード辺境伯領に数名の名工が工房を構えておりフルオーダーメイドで作られているのは有名な話だった。王家御用達でもある。

 もう実家の馬車には戻れないな、とロアナは絶望した。


「気に入ったなら、その、婿入り道具として持ってこようか?」


「あ、ありがたい……じゃない、それこそ気にしないで」


「いや、俺がそうしたいんだ」


 そう照れ臭そうに言い切ったアレキサンダーの顔に、ロアナが息を呑んだ。幼い自分が持てなかった素直さを、そこに見たからだった。

 この人は、怖いものがないのだろうか?そう疑問に思って、ロアナは自分がアレキサンダーに本気で興味を持ったことに気がついた。


「それでな……ロアナに、一生忘れられないようなロマンチックなプロポーズがしたいと思っているんだ。協力してくれないか?」


「(協力?)今この瞬間、すでに忘れることができないプロポーズとなっているけれど……?」


 初デートの序盤も序盤である。

 おそらく自分たちはすでに結婚しているから許されているのであって、普通のカップルならあまりの重さに別れているとロアナは思った。


「実は、殿下にサプライズでやりたいから城の大広間を貸してもらえないか相談したら、サプライズ含めて根こそぎ却下されてしまって……、『まずロアナ嬢がサプライズに抵抗がないか確認するのが先だ』と一時間くらいローズガーデン様と二人がかりで説教された。だから、まず俺の計画を聞いてほしいんだ」


「いくらでも聞きましょう」


 王太子殿下たちが必死で止めてくれたのだ、聞くだけでいいのならいくらでも聞こう。国の未来は明るい、ロアナは一臣下として誇らしい気持ちになった。反対に、このデートの先行きが不安すぎる。


「お揃いの婚約指輪を毎日つけて、卒業パーティーの日にお揃いの衣装を着てダンスを踊った後に、お城の庭園の噴水の前でお互いの指に結婚指輪を嵌めながら、改めてプロポーズしたいと思っている」


「…………とりあえず、今日は婚約指輪と結婚指輪を見に行きましょう」


「実は、もう店を貸切にしてある」


「本当に聞くだけだったわ…でもまぁ、異存ないわ。でも、アレク……あなた忙しいんではないの?今日だって、午後から訓練が入っているのでしょう?ジャックロード家からの手紙にあなたの卒業までのスケジュールが入れられていたのだけど、明後日から近衛騎士団の訓練に三週間参加するのよね?指輪はいいとして、ドレスやタキシードもフルオーダーになると、結構ギリギリになると思うのだけど……」


 そう心配するロアナに、アレキサンダーは悔しそうに俯いた。

 しかもその次の月は、王太子が隣国の王女の結婚式に招かれているため二週間同行する予定となっていた。ちなみに訓練と隣国への同行までの一週間の間に卒業試験がある。帰国してから四週間後には卒業式だ。どう考えてもドレスとタキシードをデザインから相談してフルオーダーする時間は、ロアナは取れないように思ったのだ。


「三週間、いっしょに下校できないことが悔しすぎる。スケジュールのことだが、ドレスとタキシードのデザインは俺がして、もう仮縫いまで仕上げてもらっているので問題ない。申し訳ないが詳細なサイズが分からなかったので、試着は必ずしてほしいんだ」


 スリーサイズのくだりはここか!

 謎が一つ解けて、ロアナの心のとばりが一つ取れた。


「でも、アレクはあまり時間が取れないでしょう?別々に…」


「大丈夫だ。明日、学校が終わった後にフォーリオ邸に出張してきてもらえるように手配してある。だから、ロアナは明日朝イチで外出届を出しておいてほしい」


「あなたがそんななのに、王太子の側に置いてもらえている理由が垣間見えたわ……」


 鬼のような過密スケジュールを組んでいる目の前の男に、ロアナは身震いした。もしアレクが将来近衛騎士団の団長にでもなってしまったら、とんでもない集団に変貌するような気がした。

 今日のデートが、過密スケジュールでは無いことをロアナは祈ったのだった。

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