第4話 毎日、寮の手前まで手を繋いで帰りましょう
二人の婚姻が成立する一週間前。
ロアナの父であるフィリオ・フォーリオは、二通の手紙を認めていた。
一通は、きっとこの手紙を読む事で困惑するであろう愛娘へ。
もう一通は、年の差はあれど大切に付き合ってきた文通相手へ。
どちらも内容は似ているが、一方は義務的に、もう一方は親愛を含ませる。
手紙を書き終えたフィリオは、疲れを滲ませたため息を短く吐いて、その後やり切ったように大きく深呼吸をした。長い長いこの問題しかなかった婚約期間が終わる、つまり自分の父親がやらかした今世紀最大のやらかしの後始末がようやっとつくのだ。
明日、日時を指定して出す二通の手紙には、文章にこそしていないが万感の思いが込められていた。
この十八年間を振り返ってみて、一番の後悔は娘ロアナに厳しく接しすぎたことだった。
フォーリオ夫妻は、政略結婚ではあったが二人とも仲睦まじく穏やかな結婚生活を送ってきた。そんな二人の娘が無事に生まれた日、彼は妻と一緒に泣いて喜んだ。というのも、フォーリオ伯爵夫妻はなかなか子宝に恵まれなかったのだ。
待望の後継に伯爵領全体が喜びに沸いたが、伯爵夫妻は後継問題は脇に置いて、ただただ二人の元にやってきてくれた小さな天使に感謝していた。
年齢的に、なにより妻の健康的にも二人目は望んでいなかった。そのため、この愛らしい宝物を多少甘やかしてでも、大事に大事に育てようと二人で泣きながら誓い合ったのだった。
しかし、フィリオの父親がやらかした……辺境伯家を巻き込んで。
このやらかしによって、伯爵領全てを焼き尽くさんとばかりに怒ったのは、彼の最愛の妻であった。
ロアナには隠しているが、彼の妻ジャクリーヌが乳飲み子のロアナを連れて実家に帰ったのは一度や二度の話ではない。離婚の話すら何度もされた。
その度に、フィリオは何度も床に頭を擦り付けて許しを乞うた。
やらかした本人が少し偏屈な爺さんだったために、何度もジャクリーヌの地雷を踏み抜いていたのも響いていた。
『ロアナが私の実家のサンリオットの家名を名乗れば、この婚約はそもそも前提が破綻するのではないかしら?契約書には“フィリオ・フォーリオの子”とあるんですもの、あなたの籍から二人で抜けて“ジャクリーヌ・サンリオット子爵令嬢の長子”に変われば解決ですわ』
あの時の燃えるよな怒りのこもった妻の瞳を、フィリオは忘れられなかった。
ロアナが生まれたその日のうちに父親を出禁にし、隠居先である領地の片隅の別荘に押し込んだ。それでも、接触しようとしてきたので、ジャクリーヌとロアナが許すと言うまで絶縁すると絶縁状を叩きつけた。
甘やかしてのびのび育てて、最後は優秀な婿を探し出して一生何も心配のいらない人生を歩ませるつもりだったのに、全てが狂ったのだ。
その数ヶ月後のジャックロード家の慶事に、申し訳ないが夫婦揃って項垂れた。もう逃げられなかった。
『君は跡取りだから、たくさんお勉強をしなくてはいけないんだ。我慢させてごめんね』
『わたし、お勉強すきよ?でも……お父様達ともっといっしょに遊びたくて、さみしいの……』
まだ幼い娘の婚約者がどういう男に育つのか分からない以上、娘の未来を盤石にさせるために隙のない跡取り教育をすることは必須であった。
あの辺境伯の下で育つのにとんでもない放蕩息子になるとは思わないが、万が一ということもある。そして、そんな不安を抱えているなど格上の家に悟られてもいけなかった。
寂しいとメソメソ泣くロアナを抱っこして宥めていると、そんなフィリオを殺してやるとばかりに彼の愛妻が睨みつける。フィリオも泣きたかった。
しかし、事態はフィリオにとって好転する。
ロアナが四歳を過ぎた頃、ジャックロード辺境伯から一通の手紙が届いた。
ロアナの婚約者であるアレキサンダーに、二人の娘がどういう子なのか教えてあげてほしいというのだ。
婚約に対して前向きな手紙の内容に、妻と二人で驚いた。なぜなら、この婚約の謝罪にお互いの領地に当主同士が赴いたきり、ほとんど関係を持っていなかったからだ。なんだったらフィリオたちは、あわよくば向こうから何かトンチを効かせて婚約解消を言い出してくれないだろうかと毎日祈っていたくらいだ。
幼いロアナは連れていけないため乳母に預け、夫妻は数日間領を空けて未来の婿殿に会いに行った。
そこで、彫刻のように美しい顔立ちの少年に出会い、その少年が嬉しそうに自分たちの愛娘を知ろうとする姿に衝撃を受けた。特にジャクリーヌが、アレキサンダーのあまりに純真な恋心に胸を打たれたのだ。
この少年が青年になった時、まだ同じように娘のことを想ってくれているかは分からない。けれど、この幼い初恋が消えて無くなるまでは、自分たちも婚約に対して誠実に向き合っていこうと考えを改めたのだ。
あっという間に絆された二人は、どうやってロアナに特別な関心を持たせずに婚約のことを伝えるべきか悩むことになった。
それはそれ、これはこれである。
なんといっても、一番に考えるのは『この婚約で、ロアナが傷ついてほしくない』ということだった。
情に厚いところがある娘に、あまり幼いうちに説明しては、恐らくアレコレ考えて落ち込んでいくのは目に見えていた。しかし、思春期どん真ん中で伝えるには博打が過ぎる。だからと婚姻直前まで隠し通すのは、娘に対してあまりに不誠実だ。
一番避けたいのは、ロアナが他の誰かに恋をしてしまい、問題が積み重なることだった。
悩みに悩んで、アレキサンダーと同じ学園に通うことになったら、話そうと決めた。
それまでは社交を一切させず、異性と極力関わらせないように育てた。もちろん、最悪の未来を想定したままなので、教育の手も抜かない。
結果、とんでもなく冷静でタフな深窓の令嬢が出来上がったというわけである。
『ロアナ嬢と話せるのを、とても楽しみにしています』
文通相手からの一番新しい手紙は、とても綺麗な文字でそう締めくくられていた。結局すべてが杞憂に終わったことに、フィリオは苦笑した。
だからこその後悔だった。
「……まだ父様たちといっしょに遊んでくれるかなぁ」
寮に入ってから、年に一度しか帰省してくれなくなった娘を想って、寂しい独り言が重厚な書斎のカーテンに染み込んでいった。心を鬼にして寮になんて入れなければ良かった、こんなにも早く親の手から離れていってしまうのなら。
跡取り娘だからずっと一緒にいられるからと、妻と何度も話し合って決めたはずの決断に目頭が熱くなった。
次に直接会えるのは卒業式だ。ロアナから会いたいと言ってこない限りは、あえて会いに行かない決断をした。そんな無責任なことをと思われるかもしれないが、まずは、当事者同士で話し合ってほしかった。
夫婦なのだから。
※※
「君の誕生日を毎年祝っていた。誕生日プレゼントも毎年買いたかったんだが、両親たちに十八歳のロアナがそれを好きかどうか分からないのだからやめておけ、と止められてしまって……花の一本も贈れず申し訳無い」
「いえ、気にしていないわ。ただ、その理解が追いついていないのだけど、私の誕生日を……私のいないところで……祝ってくれていたということ?」
「そうだ。生まれてきてくれて、ありがとう会は毎年恒例化して、最近では辺境伯領内でのみ祝日扱いされている」
「どう受け止めたらいいのか分からないわ」
「ありのまま受け止めてもらってかまわないんだが。それから、この十ヶ条なんだが、注意事項を含めると俺たちは卒業するまでは、手を繋ぐのとダンスの時しか触れ合えないということか?」
「そうね。そんなことより、あなたが他にどんなことをやらかしているのか話して」
フィリオが望んだ通り、若い夫婦は仲良く手を繋いで、女子寮までの道のりを夕暮れの中歩いていた。
夫婦になって、まだ二日。
しかし、とんでもなく濃い二日間をロアナは過ごしていた。今だって、この調子で話していては、いつまで経ってもデートまで漕ぎ着けない気がしてきていた。
「いえ、やっぱり話題を変えるわ。今週末空いているかしら?その、デートをしてみたいのだけど」
「空いている。デートプランは任せてくれ、明日またこうやって話そう」
「話が早くて助かるわ……」
アレキサンダーのしてみたかったデートプランの中で、選りすぐりのものが出てくるに違いなかった。
「君を送り届けた後、急いで帰って週末までに準備しておかないといけないな」
「楽しみだわ。そういえば、アレクは近衛騎士団の寮に住んでいるの?」
「いや、フォーリオ家の王都の屋敷に半年前から住まわせてもらっている」
「あなたと話すと新鮮な驚きだらけだわ……なんでウチ?」
「フィリオ様とずっと文通していて、その中でそういう流れになったんだ」
とうとうロアナはむせ返ったのだった。
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