第3話 君が夢見た10のこと
ランチルームがかつてないほどに荒れたため、その場にいた教師たちに促される形で、ロアナたちのランチは早めの解散となった。
しかし、昨日の今日でこの騒ぎだったため、教師たちも流石に黙っていられなくなったようだ。その結果、仕方なくフォーリオ夫婦だけ、放課後に指導室へ呼び出される事態となってしまった。
(困ったわ……いつもなら解決策が一つや二つ思い浮かぶのに、これに関しては全く思い浮かばないわ)
ロアナが悶々と消化しきれない感情を抱えながら午後を過ごせば、あっという間に放課後になってしまった。
いまだに何も答えが浮かばないのだけれど、そもそも自分が何に対して悩んでいるのかが分からないでいた。この喉でつっかえているものの正体が掴めず、けれどそのもどかしい感情がどうしてだかアレキサンダーには向けられない。はっきり拒絶して仕舞えば簡単な話だが、ロアナはそこまで幼くはなれなかった。
『ロアナ嬢からすれば青天霹靂だったかもしれないが、アレクにとっては幼い頃から待ち望んでいた結婚だったんだ。君がとても聡明で優しい性分だということに甘えるようで申し訳ないが、どうかアレクの気持ちを少しずつで良いから知っていって欲しく思う』
昼間、王太子に言われた言葉が心の奥の方でコトリコトリと揺れていた。
この件に関してずっと我慢してきたという点においては、彼を凌ぐ者がいないことを知ってしまったからだろう。しかし、我慢の方向性がロアナにとって斜め上だったことは、一生触れないでおこうと思った。
「ロアナ、迎えにきた」
「ありがとう、アレク。じゃあ、行ってくるわ」
「色々、無理しないでね」
「ありがとう。先に帰っていて良いからね、寮で会いましょう」
「分かった、また後で聞かせてね」
昼にアレクと指導室まで一緒に行く約束をしていたため、イザベラと教室で別れて荷物を持って廊下へ出た。
アレクと一緒に並んで廊下を歩き始めると、ロアナは再び悶々と悩むことになった。
この調子でいけば、また周りが過剰に騒ぐ場面がたびたび出てくるに違いない。今回は指導室という場所に呼び出されたが、中身は現状の説明だった。ただし、これが今後本当に指導という形の呼び出しになってしまうと、無事に卒業できるか分からなくなる。
ロアナは別に成績にケチがついても問題無いが、アレキサンダーは違う。
彼の内定している勤め先は、誉ある近衛騎士団なのだ。しかも、幼い頃から実績を積んできたのと王太子と幼馴染という立場もあり、始めから王太子との同行を許されている異例中の異例の新人だ。いくら品行方正な近衛騎士団とはいえ、やはり嫉妬などで足をひっぱってくる者や出る杭を打つ者はいるだろう。そう考えれば、できるだけ今までのように問題を起こさずに学園を過ごした方が間違いなく安全だ。
ロアナと夫婦になったことで、アレキサンダーがどんな形であれ傷つくことは許せなかった。こんな奇天烈な婚約を経て婿に来てくれたのだ、そこは嫁としてしっかり守ってあげておきたかった。
そうなってくると、やはり放課後の教師たちへの説明には、なんらかの形で反省と対策は述べておきたかった。
「ねぇ、アレク。申し訳ないんだけど……卒業するまでは、今まで通りできるだけ接触しないというのが無難だと思うのよ」
今まで黙って二人で歩いていたが、ポツリと零したロアナの声をアレクは落とさず拾った。
そして、足を止めずに答えた。
「いやだ、無理だ、耐えられない。もうお嫁さんになったのに、また眺めているだけなんて……無理だ、タガが外れているんだ……今更、戻れないんだ鋼の理性に」
「そういう本音はね、進んで白状しちゃダメよ」
アレキサンダーが教室に迎えに行くと誘ってくれた時、心細くなっていたロアナはとてもありがたかった。だから、その誘いを感謝しながら受け入れて今がある。
だけれど、指導室までずっと手を絡めて繋いで歩くとは聞いていなかった。あまりに自然すぎて、ほどくに解けなかった。
その結果、女生徒たちの慟哭が廊下を進むたびに増えて響き渡っている。たまに、のぶとい叫び声も聞こえた。ロアナは、自分たちが指導室に着く頃には、失神した女生徒たちで保健室が溢れ返っているのではないかと青褪めた。そうなってくると、今日の説明が不十分であったなら、確実に明日も指導室に呼び出される可能性が高い。アレキサンダーの輝かしい未来が、確実に詰む。
「アレクが人気者なのは分かっていたけど、ここまでとは知らなかったの……。私としても卒業までにできる限り交流して、アレクのことを知っていきたいのだけどね……。もう籍も入れてしまっているし、いっそ退寮して王都のうちの屋敷で一緒に住んでみる?」
「正気か……!?」
「ダメかしら?昨日は確かに驚いたし、今日もアレクとは少しだけしか接していないけど……好きになれる気がしているの」
「それ、今いうことじゃないと思うんだが」
ぎゅっと手のひらを強く繋がれて、ロアナは何か不快な思いをさせてしまったのかと不安になった。
頭一つ分高いアレキサンダーを見上げると、そこには今まで見てきた涼しい顔をしたいつもの彼がいるだけだった。しかし、よく見れば髪の毛で隠れていない耳がほんのり赤くなっていた。
「ロアナ、騎士という男を甘く見てはダメだ。いま嫁が全力で誘惑してきているこの状況で、ロアナが手を繋がれているだけで済んでいるのは、君の婿が戦場で鍛え上げられた理性をギリギリで保っているからなんだぞ。十八歳の男を甘く見てはいけない」
「他人事のように話しているけど大丈夫?何か地雷を踏んだなら謝るわ……それと、私やっぱりバージンロードは言葉通り歩きたいわ」
「なんでも言葉通りに受け取るのは、君の魅力を損なうと思うんだ」
「(ややこしいわね、男心って)……バージンロードは胸を張って歩くわ」
手の力がちょっと緩んで、また戻った。
そのあと、また黙々と二人で大混乱の放課後の廊下を進み、やっとの思いで指導室に辿り着いた。
アレキサンダーがヤケクソ気味にノックをすれば、ノックが終わらないうちに扉が生徒指導教諭によって勢いよく開けられた。歓迎しているわけではないらしい。
「遅い!それに、どうして廊下を歩くだけでこんなにも騒ぎになるっ……手を離しなさい!それが原因でしょうが!!」
「いやです。あとこれ、今から三ヶ月の間に嫁とやりたいことの一覧表を作ってきました」
「いりませんけど!!?」
「聞いてませんけど!!?」
教諭とロアナが心の底から叫んだのは、ほぼ同時だった。
そこから小一時間、アレキサンダーの全ての夢が詰まった一覧表を、ロアナと生活指導教諭の二人で十個にまで削る地獄の時間が始まった。
アレキサンダーは、その間反省の意味も込めて、添削が終わるまで廊下で立たされていた。
ちなみに、一覧表の一つ目の項目は『毎日、寮の手前まで手を繋いで帰る』と書かれていた。
「フォワード先生……今更『文通したい』というのは、叶えてあげたほうがよろしいのでしょうか?」
「いやぁ……毎日話ができるようになったのだから必要ないんじゃないか?『手紙』にこだわっているのなら、アイツが騎士団の訓練に参加している時とかに差し入れと一緒にメッセージカードでも挟んでおいてやれ」
「ちょうど『訓練の時に差し入れを持って応援に来てもらいたい』という項目があるので、その案で行きます。それから、『一日一回お互いを褒める』とあるのですが……これは正直約束事にするようなことではない気がするのですが」
「『お嫁さんのことを常に思いやる』も別に約束事にするもんじゃないしな……『思いやり』に当てはまる項目は全部削除だ。お前ら、そういうの蔑ろにするタイプじゃないだろう?」
「………『八年間この婚約に対して無関心だった』という前科があります」
「それは事情が事情だったろう?今はこうして向き合ってるんだから、問題ないよ」
カリカリと忙しなくペンを動かしながら、二枚に渡って書かれた婿入り宣言?を生徒指導教諭であるフォワードとロアナが、勉強机を二つくっつけ合って座っている。
今二人は、アレキサンダーの数十個あった願望を必死で添削していた。どんだけあるんだよ、と思わないでもないが……彼の凡そ十数年分の恋心が詰まっていると考えると雑に扱いづらい。
この添削に入る前に、ロアナはフォワードから学園側の事情を説明されていた。
『まず始めに、今までロアナ嬢にだけ何も知らせずに、学園側がこの婚約に対応していたことを謝らせて欲しい』
この謝罪はジャックロード家と学園の総意だ、と言った。
つまり、学園がどう対策していたのかアレキサンダーたちは知っていたと言うことだ。それもそうだろう。命がかかっているのはジャックロード側だったわけで、諸々を秘密にされたことに対して不愉快に感じることはなかった。むしろ、今の謝罪でアレキサンダーがロアナのことを異常に知っていることに少しだけ納得いったくらいだった。
学園側については、本来皆を平等に扱うべき学園が、特定の生徒たちに全面的に協力したことは、特別な事情があったにせよ肩入れしすぎたことは否めない。けれど協力してもらっている立場で、そのことを非難する気は微塵も起きなかった。
しかも、そのことに対してクレームを入れてくる家があれば、その対応は全て学園側が誠意を持って対応してくれるというではないか。その際、フォーリオ家とジャックロード家の婚約に関する事情を詳らかにする必要があるため、そこは許してほしいというものだったが、そんな浅はかな貴族は国中探してもいないのではないかと思っている(ここは王立学園であるため、書面上だけであるが代々学園長は現職の国王が務めている)
いわく、学園にこの婚約が知らされたのは、ロアナとアレキサンダーの入学が無事に決定した翌日のことであったという。
公務が多忙なため入学式と卒業式にしか姿を見せない学園長が、直々に説明にやってきて頭を下げたのだ。
その場には、教職員だけではなく清掃員から庭師に至るまで学園に関わっている全ての者が集められていた。
『時代遅れのしきたりだと笑う者がほとんどだと思うが、それに一番翻弄されている当事者たちはまだほんの子どもだ。どうか、二人がこの婚約によって傷つけ合うことがないように助力願いたい』
そう深く頭を下げた国王の声音に深い優しさを感じ、一同が奮起したのだった。
ロアナは項垂れた。
自分の祖父とジャックロード前辺境伯が、いまだに孫二人への接触禁止を言い渡されていることに納得した(酔っ払いの悪ふざけが、一国王の首を垂れさせたとあっては……私刑に処してもいいくらいだ)
その後、婚約に関して当事者たちがどういう反応を見せているかも伝えられ、それを踏まえた上で学園の対応を決めたのだと。
「ロアナ嬢の反応が薄すぎて、アレキサンダー令息が正直不憫に思えたが……『ただ愚直に、初恋に燃えている』という国王陛下のお言葉が冗談じゃなかったと、これを見て痛感した」
「私の恥ずかしい勘違いじゃないと思いたいんですが……アレクって、私のこと…かなり好きですよね?なぜか」
「勘違いなわけあるか。あんだけアピールされて気が付かなかったら、道端の石につまづいて死ぬレベルで鈍いだろ。初恋の女の子がお嫁さんになったんだぞ?舞い上がってさらに気持ちが昂ってるのもあるんじゃないか?」
「良かった……でも、その…『初恋』ってどういうことですか?」
ロアナの疑問に、教諭は口を開いたが説明するのをやめてしまった。
とりあえず、一旦これをまとめてしまおうと時計を見ながら言われ、ロアナも納得して作業に移った。口を動かしながら手も動かしていた二人は、添削し終わった一覧を交互に確認し、ロアナが十個にまとめたそれらを上級紙へ清書していった。
全て書き終えた時、フォワードが上から二番目の項目を指差して意地悪く笑った。
「『せめて一回はデートをしましょう』ってあるだろう?そういうことは、直接本人に聞いてやるんだな」
「それも、そうですね……『毎日、お揃いの指輪をつける』というのも叶えてあげるために、今度の休日に出かけてきます」
「その調子で仲良くやれよ」
「はい」
清書した紙を丁寧にカバンの中にしまい、ロアナは満足そうに席を立った。同時にフォワードも席を立ち、二人でアレキサンダーが待ちぼうけている廊下へ視線を向けた。磨りガラスで廊下は見えないようになっているが、そこに伸びる人影に苦笑する。一度も座らずに真面目に反省している姿に、少し申し訳なくなったからだった。
「周りから、まだはっきりと『おめでとう』って言われていないだろう?」
「…両家から祝う手紙はいただきましたが、それ以外には残念ながら」
「悪い意味にとるんじゃないぞ。まだロアナ嬢の気持ちが追い付いていないだろうと配慮されているだけで、周りはいつでも祝う準備ができているからな」
「そうだったんですね……では、私もこの十個を叶えられたら先生たちにお知らせします。その時は、盛大に祝って下さいね」
照れくさそうに、けれど大真面目に答えたロアナに、フォワードは快活に笑いながら、一時間前と同じように勢いよく出入り口のドアを開けた。
そして、特に驚くでもなく視線を向けたアレキサンダーに向かい合うと、厳しい指導を言い渡した。
「不純異性交友禁止!!」
「なんでだよ」
俺の一覧表の意味は?と言う悲痛な声に、ロアナが無言で先程丁寧に仕舞い込んだ一覧表(改)をアレキサンダーに手渡した。
改められた十ヶ条に目を通し、ロアナとフォワードを二度見し、もう一度読み直したアレキサンダーは喜んでいいのか悲しめばいいのか分からなかった。この十ヶ条は、見事なまでに彼の願望を綺麗にまとめ上げていた、一分の隙もないほどに。
彼が悲しんだのは、用紙の右下にフォワードによって書き足された二つ目の注意事項だった。
※但し、上記の全ての項目は、卒業までに完遂することとする。
※これ以上学園に混乱を招かないためにも、上記項目に当てはまらない不純な身体的接触を禁ずる。但し、卒業後は好きにしろ。
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