第2話 夫のことを何も知りませんでした
ロアナは、籠城したベッドの中で真剣に悩んでいた。
ちなみ、部屋には速達で両親から婚姻の成立を知らせる旨の手紙とジャックロード家側から近日中に王都の屋敷で挨拶と結婚式などの打ち合わせがしたい旨の手紙が届いていた。
ロアナは、二通ともきっちり最後まで目を通し、叫び出したいのと丸めて捨てたいのを我慢して、そっと引き出しにしまった。
今まで十八年生きてきた中で、こんなにも悩んだことはなかった。昔からおっとりした見た目のわりに、なんでもそつ無くこなす。それが自他ともに認める自己評価だった。跡取り娘だからと少し厳しい教育を受けていたのもあるのかもしれないが、そのくらいのことでめげるようなメンタルは物心ついた頃から持ち合わせていなかった。この学園を受験する時だって緊張することはなかったし、卒業した後の跡取りとしての重責に気が重くなったこともない。ロアナは、いつだって冷静で強かった。
そんなロアナが、精神的に追い込まれている。はっきり言って、異常事態だった。
(情報が多すぎる……いえ、少なすぎるの?)
アレキサンダー・ジャックロード
あの男は、どうしてあんなにもあっさりと自分のことを『嫁』だと受け入れているのか。受け入れているというより、あの時ちらりと見えた表情は……控えめに言って蕩けるように甘かった。自意識過剰かもしれないが、ロアナはあのような表情をイザベラがよくするから知っていた。
あれは、完全に恋をしている顔だった。
相手は、勘違いでなければ『嫁』である自分だろう。
なおさら意味が分からない。なんで?なんで??
婚約期間?を何十回と振り返ってみたが、本当に会話もしたことがなければ、廊下ですれ違ったことすらないのだ。正直に言えば、郊外のお気に入りのパン屋の主人さえ道端ですれ違ったことがあるのにだ。
恋のしようが無いだろう?特にロアナたちは、両家からも言い含められていたはずだ。接触は厳禁と。
そこでロアナは、はたと思い至った。
「接触はできなくても……情報収集くらいはしても良かったの?」
動揺しすぎて、大きな独り言になっていた。しかし、その言葉にロアナはサッと血の気が引いた。
あの『お婿さん』は、婿入りするにあたって、この理不尽な婚約に真面目に向き合ってきたのではないだろうかと気がついたからだった。
だから、何も交流が持てない中で、この婚約に無関心だった嫁の情報を健気に集めてくれていたのかもしれなかった。一途が過ぎるだろう、少しはよそ見をしても許された。
その嫁は、両親の『あまり深く考えなくて良い。接触しない、それだけ忘れなければ』という言葉をそのままの意味で受け取っていたのに。
これはロアナの両親も悪い。娘の性格上こうなることは軽く予想できていたのに、それ以降一切ジャックロード家に関する会話をしなかったのだ。もはや、確信していた節すらあるのが腹立たしかった。
ロアナは幼い頃から跡取り教育もあり、多忙だった。この婚約の説明をされた時も、マナー講師からの無理難題をどう克服するかで頭の中がいっぱいだったのだ。
よくよく考えれば、ロアナはいつもちょっとだけ多忙だった。
学園に入ってからも、ある時は学級委員長であったし、ある時は何かの委員会の委員長だった。郊外から出ても、領地から出てこられない両親に代わってお遣いやなんらかの手続きをしに行かなければならない時もあった。
彼女は分かっていた、これらが全て言い訳だということも。
ロアナは、あまりにも恋愛に疎すぎたのだ。
(そうだ……話をしよう)
一番始めに両親に連絡を取って状況を整理しようとしたが、考え直した。
よく分からないが、予定通り夫婦になったのだ。まず始めに話し合うとしたら、夫である彼とだろう。そうでなければ、この婚約を知らされてからの八年間分の不誠実さが、彼を傷付けるような気がした。
ロアナは、出した結論をまずは親友に話してみようと思った。
そうして、明日のランチにいつも眺めていたあの特等席へ、勇気を出して歩いていくことに決めた。一緒にランチをどうですか?そう誘って断られたとしても、頑張って約束を取り付けようと思った。
その時、ちょうどイザベラが帰ってきた音がした。出迎えるために、ノロノロとベッドから起き上がりルームシューズを履く。あんな話をした後で、あんなことが起きて、どんな顔をするのが正解なのかは分からないが、きっとイザベラなら全て受け止めてくれるだろうと思った。
「おかえり、イザベラ」
「ただいま、ロアナ。あいつ、ヤバい」
「は?」
自分以上にげっそりした表情で帰ってきたイザベラからの言葉に、ロアナの動きが止まった。
「ロアナ、明日ランチルームで昼食を一緒に摂ろうですって。安心して、王太子殿下とローズガーデン様もご一緒だから。私も同席する許可をいただいてきたわ」
「情報が多過ぎるわ」
「そうね……私も、この話に至るまでのことをまとめる自信はないの。本当に、ごめんね……スリーサイズは言ってないから」
「ねぇ!!?何があったの!?」
「うちの二歳の甥っ子ですら、あんなに質問してこない……」
「イザベラが、押しの強さで負けた……!?」
とにかく明日よ。
そう言い切って、イザベラは十分後にはベッドで眠りについていた。疲れ切ってお風呂にも入らずに眠ってしまった親友に、とてつもない不安を感じながらもロアナはベッドに静かに戻った。
そうして、二人は仲良く今日という一日を最速で過去にした。
※※※
いつも通りの賑わいを見せるランチルームであったが、すれ違う生徒たちとやたらと目が合った。イザベラと並んで中に入れば、心なしざわめきが静かになったように思えた。
いつもなら楽しくおしゃべりしながら学食を選ぶのだが、今日は事前に打ち合わせしていた通り一番食べやすいリゾットセットにした。これなら、緊張していても喉につっかえないと考えたからだった。正直、二人ともプリンだけで済ませたかったのだが、それでは失礼すぎると改めたのだ。
食事の載ったプレートを持って、ゆっくり特別席へ向かう。近づくにつれ、ランチルームから会話が減っていっているようだった。
「まずは、自己紹介からだ。いいか、いいな?」
「はい」
「いくら大好きだからって、先走ってはダメよ?」
「はい」
憧れの特等席には件の三人しかいなかった。しかし、恐る恐る近づくにつれ聞こえてくる話し声は、おおよそ十八才のする会話ではない。よく見れば、三人が選んでいるランチもリゾットセットだった。そのことに、イザベラとロアナの肩から少しだけ力が抜けた。
「失礼いたします。お約束通り、ロアナ・フォーリオをお連れしました」
「昨日は、大変失礼いたしました」
そうかしこまる二人に、ロッシュ王太子がにこやかに笑った。
「イザベラ嬢ご苦労だった、それから二人とも堅苦しいのは無しだ。今から我々は、このバカのせいで礼義だとか小難しいことは吹き飛ぶことになるからな」
「イザベラ様にフォーリオ様、昨日はよく眠れましたか?……フォーリオ様、このおバカさんがややこしいことになるので家名ではなく、お名前でお呼びしてもよろしくて?私のことも、ディアと呼んでちょうだい」
とりあえず一旦、尊い三人と戸惑う二人で向かい合って座ることにした。バカバカ呼ばれている一番の問題児がなぜかいつも通り取り澄ました近衛騎士でいるので、ロアナたちはゆっくりとリゾットを食べ進めながらジャックロード家側の事情と昨日のあの惨劇にまつわるあれこれを王太子からざっと聞かされた。
ロアナは一通りの説明を受けて納得…しなくもなかったが、昨日導き出した答えが概ね合っていたことに複雑に胸を痛めていた。
そうして、アレキサンダーに向き直り、やっと自己紹介をしたのだった。
「ロアナ・フォーリオと申します。どうぞ、ロアナとお呼びください。急な婚姻となりましたが、これから良き伴侶となれるように努めてまいりますので、よろしくお願いします」
「アレキサンダー・フォーリオです。アレクと呼んでください。近衛騎士として城に詰めることが多くなると思いますが、できる限り貴女を支えられるように努力します」
昨日の騒ぎを起こした男とは思えない落ち着きぶりに、ロアナとイザベラは思わず王太子たちに視線を向けた。
「大丈夫だ、今だけだ」
それの何が大丈夫なんだ、と二人が顔を引き攣らせた。
「ロアナ嬢…できれば、敬語はなしにしてもらいたい。私自身、いろいろボロが出そうで」
始めからボロボロだよ、と皆が優しいので言わなかった。
「呼び捨てていただいてかまいません。そうですね……じゃあ、敬語はやめてお話ししましょう」
「ロアナ……可愛いな、全部が。ずっと君のことだけを考えて生きてきた、本当に生きていて良かった」
「アレクさん、ほぼ初対面の人間を真顔で積極的に口説くのは、ちょっとだけ控えてほしいの」
「本当に可愛い。大好きだ」
「違うの、真顔がダメなんじゃないの。そんな甘い笑顔に切り替えたら許されるとかじゃないの」
初々しい夫婦の交流は、またしても女生徒たちの色々な感情が爆発した悲鳴とともに幕を開けたのだった。
五人は、やはりリゾットにしておいて良かったと思ったらしい。
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