第1話 まずは【お名前の確認】をさせてください

 あのあと講堂内は阿鼻叫喚の嵐になった。

 その渦中で真っ白になって怯えているロアナは、呼吸の仕方すら忘れそうな様子だった。

 可哀想に…そんなに驚いたのか?と労るように腕の中へ囲い入れて頭を優しく撫でるアレキサンダーをどついたのは、彼の唯一無二の親友であり忠誠を誓った未来の君主でもある王太子だった。

 一回何も考えずに寮まで逃げなさい、と放心状態のロアナを逃したのはその婚約者。

 私が帰るまで、鍵を開けちゃダメよ、そう言い含めたのは心の底から同情したイザベラだった。

 三人はロアナが教員に付き添われてこの場から安全に逃げ出したのを見届けると、一様にアレキサンダーを睨め付けた。何も分かっていないこの男に、何から説明しようか?


「とりあえず皆様……場所を移動しませんか?」


 卒業式よりも記憶に残るイベントが起きてしまった。

 イザベラは、口から出そうになった憂鬱を呑み込んで、貼り付けた笑顔で尊い方々を生徒会室へと案内することにした。


 ※※


 コードアート王立学園の生徒会室からは、コードアート王城がそれは美しく望める。というのも、この学園を設立したヴェルーナ三世が、第一級河川であるコードアート河を挟んだこの景色をいたく気に入り、美しい王城がいつでも眺められるようにと、城と向かい合わせで校舎を建てたのだ。

 王城の真っ白な城壁と対になるようにデザインされた学舎は、コの字型の三階建てになっており、生徒会室は職員室の次に見晴らしの良い場所に設置されていた。

 その校舎の後ろ側に建てられ学生寮と講堂は、二百年ほど後に建てられたものだ。時代が移り変わるにつれて、上流階級の学舎だった学園の門徒は広がり、今では優秀であれば平民でさえも入学できる大らかさを持つようになった。

 しかし、そうなってくると通学の問題が浮上した。城下内で別邸を持つ上位貴族や裕福な商家などは問題はない。そこで、そうではない学生達のために学生寮が建てられた。学生寮の利用は全生徒の三割ほどで、概ね評判も良く、中には自立を促すために敢えて子どもを寮暮らしさせる上流階級の親もいる。実際、ロアナやイザベラも敢えて寮住まいを経験させられている一人だった。ちなみに、寮で問題を起こすと、問答無用で退学になるので馬鹿な真似をする者はそうそう出なかった。

 講堂に関しては、特に面白い逸話があるわけではない。在籍人数が増えたため一度に全校生徒を収容できる建物がないと困る、と何代か前の生徒会の訴えにより増設されたものだ。


 イザベラ・ハーネットとロアナ・フォーリオが初めて顔を合わせたのは、入寮したその日だった。

 入学式が終わり、イザベラは両親と別れの挨拶を笑顔で済ませた。しかし、入学式の案内と一緒に渡された寮部屋の鍵を握りしめて歩いているうちに、涙が出てきてしまったのだ。拭っても拭っても溢れてくるそれに、とうとう嗚咽が混じってしまい足が止まった。そんな彼女を入寮する新入生たち(中には同じように泣いている子もいた)が、どんどん追い抜いていく。

 早く行って部屋が同じ子に挨拶をしなくてはいけない、それにこの夜には先輩たちの用意してくれた歓迎会もある。楽しいことがたくさん待っているのに、分かっているのに動けなくなってしまい、ついには誰もいなくなった学生寮の渡り廊下で座り込んでしまった。


『大丈夫ですか?私は、ロアナ・フォーリオと申します。もしかして、あなたはイザベラ・ハーネットさん?』


 そんなイザベラに話しかけたのは茶色いフワフワとした髪の毛と眠たそうにも見える垂れ目が印象的な少女だった。しかし、声は凛と張っており、幼い声質だがとても温かみがある落ち着いた話し方である。名前を言われて泣き顔を上げ頷けば、彼女は安心したように笑い、真新しい制服のポケットからハンカチを取り出した。優しくそれでイザベラの涙を拭いながら、ロアナも視線を合わせるようにその場に座り込んだ。


『あなたと今日から同じ部屋で過ごすロアナよ。早く会いたくて探しにきたの』


『あ、ありがとう。私は、イザベラ・ハーネットよ。心細くなって…それで…』


 きっと迷子になっていないか心配で探しに来たはずなのに、ロアナの言い回しの優しさに彼女はまた涙が溢れてきて言葉が詰まった。


『お部屋でゆっくり話ましょう。手を繋いでも良い?』


 イザベラは泣きじゃくりながら、差し出された白い可愛い手をぎゅっと握った。彼女はふわりと微笑むと、イザベラを引っ張り上げるように立ち上がり、ゆっくり歩き始めた。

 当時のことを思うと、イザベラはいまだに恥ずかしくて顔が赤くなるが、ロアナは“そんなことあったかしら?”ととぼけた顔で笑うだけだった。恥ずかしがる彼女に気をつかってそう言っているのだろうが、彼女のそんな優しい性分がその時からイザベラは大好きだった。

 一度寮部屋が一緒になると、希望を出さない限りはペアが解消されることはない。(相性の良し悪しはどうしてもあるため、問題になる前に希望を出せる仕組みになっている)イザベラたちは、最終学年になる今年まで一度も変わることなく、八年間を一緒に過ごしてきた。ここまでくると、疑う余地もなく自他ともに認める親友である。


 中等部に上がり、イザベラに初めて恋人ができた。

 彼が生徒会に入って忙しくしているのを見ていると、イザベラもなんだか生徒会活動に参加してみたくなった。本音は、少しでも多く彼と会いたかったからだ。なぜ生徒会に入ったのか、ロアナは親友の不純な理由も知っている。


『私、生徒会に入って、先輩のお手伝いがしたいの!!ていうか、もっと先輩に会いたい!』


『最後の本音は、先輩以外には隠したほうが良いと思うの。生徒会は大変だと思うけど、頑張って。私も、できるだけフォローするわ』


 生徒会への入会試験は希望者が多いためとても難しいのだが、必死で勉強するイザベラをロアナが一生懸命応援した。例えば、授業中疲れてうたた寝してしまったイザベラの代わりにノートをとったり、生徒会の過去の活動記録を調べて面接の対策をたてたりした。ロアナの生徒会入試対策は完璧で、生徒会の先輩らがどう対策したのかイザベラに話を聞くほどだった。


『正直、フォーリオ嬢にも入会してほしかった』


『先輩たち、それは私も誘ったんですけど、きっぱりさっぱり断られましたわ』


 イザベラは生徒会であったことや家のこと、ホワイトホース伯爵家嫡男であるヴァゼットと婚約するまで、ロアナには全て包み隠さず相談した。そのおかげなのか、彼女の学生生活は特になんの障害もなく幸せに過ごせたと言っても過言ではない。

 しかし、イザベラの色々な相談にはのるが、ロアナ自身はあまり相談らしい相談をイザベラにすることは少なかった。気になって一度なぜなのか聞くと、“今まで、困るほどの問題になったことがない”という、なんとも彼女らしい答えが返ってきただけだった。その時からイザベラは、ロアナに関して悩むことをやめた。ロアナという人間は裏表が全くないということを、その言葉で確信したからだった。

 しかし、優秀で見た目が可愛らしい彼女を、周りが放ってはおかない。何度か彼女を紹介をしてほしいという人もいたのでロアナにそのことを話してみると、“もしも、そういう人がこれからもいたら、その場で丁重に断ってもらえない?”とあまり見ない困った顔でお願いされてしまった。困らせてしまったショックより、初めてされたお願いが嬉しくて、恋人であるヴァゼットにも協力してもらい彼女に近づく虫は徹底的に排除した。(なんでもそつなく熟すロアナの数少ないお願い事に、イザベラは過剰なくらい張り切る)


『まるで、お前がフォーリオ嬢の恋人みたいだな』


『なんでですか?私の恋人は先輩です』


『お前のそういうところが、フォーリオ嬢も可愛いんだろうなぁ。はぁ…卒業したくない…』


 寂しがる恋人が卒業し、なんだかんだ慌ただしく過ごすうちに、イザベラたちは最終学年に上がった。イザベラは、結局生徒会活動にほとんどの情熱を注ぐことになったが、忙しくも充実した時間だった。

 そんなイザベラの集大成である最後の仕事で、最大の難問がやってきた。その日は、向かいの王城で毎年開催される卒業パーティーの、最終チェックをしていたときだった。昼休み返上で、行儀悪くサンドイッチを片手間につまみながら生徒会室で一緒に確認作業をしていた後輩が、困った顔でイザベラに一枚の申込書を差し出した。


『先輩、これの氏名欄なんですけど…』


『あら、あのジャックロード令息じゃないの…え?』


『そうなんです…家名が変わってるんです…!』


 卒業パーティーまでに、住所や家名の変更があることは特段珍しいことではない。ひと足先に就職したり、結婚や養子縁組をするものが多いからだ。その場合、旧新両方の情報を書いて申込するようになる。

 しかし、ジャックロード辺境伯一族の家名の変更となると珍しい。なぜなら、彼らは婿養子以外で家名を変えることがないのだ。その知る人ぞ知る背景には同情するものが多いが、彼らは一様に優秀かつ容姿端麗なため、彼らの家名が変わると多くの女生徒が卒業パーティーまで、なんならその後も泣きながら過ごすことになる。


『また電撃結婚なの、ね?…ん?……【フォーリオ】って、今、高等部に在籍しているのは…三人よね』


『そのうち女性で成人しているのは、一人です。先輩、何か聞いてないんですか?』


『聞いたことないわ…、それに、うちの在学生に限った話でもないでしょう?まぁ、念の為ジャックロード令息にお相手の確認をとっておきましょう、学園の外の人なら卒業パーティーの招待状を送らなければならないもの』


 そこで一旦作業を中止して、それぞれの教室へ戻ることになった。イザベラが生徒会室から自分の教室へ戻る途中、たまたまロアナの背中を見つけた。いつものように話しかけて、いつものように気安く心地よい会話を繋げていく。イザベラが、先ほどの名簿の件を頭から追い出そうとした時だった。


『今だから打ち明けるんだけど、私、婚約者がいたみたいなのよね』


『へ?』


『とっくの昔に解消されているみたいなんだけどね。信じられないのよ?私のお祖父様』


 笑えない冗談だと思った。

 おめでとう!と祝う気持ちより、冗談が下手ね!という茶化したい不安や焦りに似た気持ちが喉元まで迫り上がっていた。イザベラの隣から突然ロアナが取り上げられた時の絶望感を、どうやれば目の前の男に伝えることができるだろうかと真剣に考えるが何も思い浮かばなかった。


 ※※



「殿下、ハーネット嬢の話が初めから終わりまで羨ましいです」


「アレク…今の話を最後まで聞いて、嫁とお前の熱量の違いを感じないのか?」


「熱量…?つまり、早く家に帰って、お互いを知るために話し合いをしたほうが良いということでしょうか?」


「前向きな結婚生活に、涙が出るよ…」


 まだロアナは、退寮していませんが?とイザベラが口を挟みそうになったが、殿下が何も言うなと力無く首を横に振った。これ以上脱線してはいつまでも仕事が片付かないので、彼女は本題に入った。


「では、まずお名前の確認をさせていただきます」


「アレキサンダー・フォーリオだ。妻は、ロアナ・フォーリオ」 


「真顔で浮かれるな、ややこしい」


 イザベラ・ハーネットは、目の前で自慢げに言い切った男に優しく笑いかけた。

 見かけによらず、大概アホらしい。ロアナが不憫だ。

 そうして、生徒会室の窓から見える学園自慢の景色に視線を移す。彼女は、その素晴らしい景色に心の中で問うてみた。誰が突然親友に婿ができると思うよ?本人も知らんのに。と。


「…とりあえず、もう少しあなたの奥様についてお話でもしましょうか」


 難しいことを考えるのはやめて、世間話をすることにした。

 今頃寮の自室で頭を抱えているであろう親友が、少しの間だけでも心の中を整理する時間を作ってあげたかったからだ。

 結婚おめでとう、その一言を心から言えるのはまだ少し先になりそうだなとため息をついた。

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