確かに、私たちは婚約しておりますが。

くくり

プロローグ 〜確かに、私たちは婚約しておりますが〜

 今日も広いランチルームが、たくさんの学生で賑わっている。一人で昼食を食べ終えた私は、壁際の目立たない席で、周りに座るさまざまな女生徒たちのおしゃべりを聞き流していた。


「今日も、王太子殿下たちは麗しいですわね」


「私は、線の細い殿方より、ジャックロード様のように逞しい方のほうがときめきますわぁ!」


「さすが辺境伯のご子息ですわ。精悍な顔立ちにあの長身、鍛えてらっしゃるのが一目で分かる体躯…素敵ですわ」


「殿下の近衛部隊に入隊が決まっていらっしゃるらしいですわよ。今度、夜会でお会いできたらダンスに誘ってみようかしら」


「あら!どんな誘いにも乗ってくださらない、つれない方と有名よ?」


「なら、卒業式までに何がなんでも仲良くなっておかないと!」


 昼食後の紅茶を飲みながら、その噂の人物たちに視線を向ける。今日も麗しい一行は、王族の為に設けられた一段高い特別席に陣取って、優雅な昼食を楽しんでいた。

 同学年であるロッシュ王太子殿下は、眉目秀麗でありながら朗らかな性格で有名だ。その婚約者であるローズガーデン侯爵令嬢も、淑女の鑑であり品行方正な佳人であると太鼓判を押されている。

 その二人を護るように取り囲む将来の側近候補たちの中に、一際人気の彼も澄ました顔でカトラリーを操っていた。ジャックロード辺境伯の次男である彼が、女生徒たちの会話に上らない日はない。真っ黒い艶のある髪は短く清潔に切り込まれており、綺麗な青い瞳はいつでも涼やかだ。そんないつ見ても惚れ惚れする精悍な顔立ちと、鍛えられた長躯が目を惹いた。

 その輪の中になんとか滑り込んだ女生徒が数名いるが、彼女たちに熱心に口説かれているのに、彼が全く相手にしていないことが遠目からでもよく分かった。

 学園に入学してからのランチ時の光景と周りの噂話に変わり映えはなく、紅茶も飲み終わったのでランチルームを後にした。


(私には関係のない世界だわ)


 関係無いとは思ってはいるが、実はジャックロード令息とは関係がある。

 あると言って良いのか分からないくらい交流も面識もない、十八歳になる今日(こんにち)まで会話もした事がないのに関係があるのだ。


どうやら私たちは、生まれる前から婚約していたらしい。


 十歳の頃、学園に入る前に両親からその婚約を一度だけ聞かされたが、それから最終学年までの八年間、私たちの間には本当に何もなかった。

 クラスが同じになるどころか、廊下ですらすれ違ったことがない。さらに、両親から交流を持つようにと一度も注意されたことがなかったため、格上の令息に気軽に話しかける勇気が一介の伯爵令嬢にあるわけもなかった。その上、何かと多忙なジャックロード令息から話しかけてくることもなかったので、きっと私が知らないうちに解消になったのだと思う。

 うちのような中庸な伯爵家と由緒正しい辺境伯家の奇妙な縁組が、なぜ成立していたのか。それは、うちのお祖父様と辺境伯の先代が、学生時代からの親友だった事を縁に結ばれたのだとか。しかし、孫たちにしてみればとんでもない話である。今時、政略結婚でも本人たちの意思が多少なり確認されているものだ。

 自分自身この八年間誰にもこの話をしたことはなかった。したところで、信じてもらえず笑われるのがオチだろう、自分でも実感が湧かなかったのだから。 

 そんなことを考えながら教室にのんびり戻っている途中、いつも一緒に昼食を摂っている親友が後ろから小走りでやってきた。


「ロアナ!お昼ごめんね。卒業まで後少しなのに、ちっとも一緒にいられないわ!」


 親友であるイザベラ・ハーネット伯爵令嬢。同じ伯爵位ではあるが、イザベラの家の方が家格は上だが、入学して以来、寮が相部屋で性格も馬が合ったためいつも一緒に過ごしていた。自分とは違って華やかな顔立ちに頭脳明晰な彼女は、生徒会に所属していた。(彼女も一つ年上の婚約者がいるが、二人は三年間のお付き合いを経ての成立なので、私たちとは違って順風満帆だ)


「仕方ないわよ、新生徒会のお手伝いなんでしょう?」


 卒業式の後に行われる卒業パーティーの準備などのフォローのために、一緒に昼を摂れなかったことを謝られた。さらに何か言いかけて止めたイザベラが、珍しく困惑しているような表情で私を見つめてきた。


「どうかしたの?困りごと?」


「う、ううん!なんてことないわ。卒業パーティーの出席者名簿を作っていたのだけど、一部確認がどうしても取れなくて困ってたの。それだけ」


「そう…力になれることがあれば言ってね?」


「うん…いつもありがとう。卒業しても、ずっと友達でいてね」


「やだ、どうしたの急に。そんな当たり前なこと聞かないでよ」


 そう呆れたように返すと、イザベラはローズピンクの瞳をまん丸にした後、嬉しそうに微笑んだ。私は、親友のこの顔が一番好きだった。このイザベラにさえ、あの摩訶不思議な婚約話は打ち明けたことはなかったが、もう卒業まで三ヶ月を切っているので笑い話として教えても良いだろう。


「今だから打ち明けるんだけど、私、婚約者がいたみたいなのよね」


「へ?」


「とっくの昔に解消されているみたいなんだけどね。信じられないのよ?私のお祖父様」


 今までの婚約期間のことを笑いながら話す、もちろん相手の名前は伏せて。全て話し終える頃には教室に着いていた。


「次の授業の準備をしましょう。ねえ?…イザベラ、そんな悲痛な顔しないで。私の中じゃ笑い話にもならないんだから」


「笑い話じゃないのよ…ロアナ」


「ん?」


 挙動不審になってしまったイザベラに、悪いことをしたなと反省しつつ、次の移動教室の準備を始めた。

 次は麗しのご一行が在籍している3−1クラスと合同で授業のため、少し離れた広い講堂まで移動しなければならない。のろのろ動くイザベラの手を引きながら、歩き慣れた校舎の中をすいすい進んでいくと、あっという間に到着した。今から二時間眠たくなる講話を聞かなければならないほうが、私としてはさっきの婚約話より憂鬱だった。

 居眠りしても目立たない席が空いていないか探していると、イザベラが泣きそうな震える声で話しかけてきた。


「ねぇ、ロアナ知ってる?」


「何を?」


「ジャックロード辺境伯家はしきたりがあるのよ。一部では有名なそのしきたりのせいで、代々花嫁探しが難航するの」


「どうしたの、急に…今まで辺境伯家の話なんてしたことないじゃない?」


「いいえ、いいえ…ロアナ、あなた私にまだ教えてくれてないわ、を」


 核心に迫った言い方に、驚いてイザベラに振り返った。


「ジャックロード家の男たちは、結婚するまで許嫁と口を利いてはいけないの。そうすることで、一生必ず戦から帰って来られるっていう願掛けみたいなものらしいのだけど。それからね…私たちが、確認したかったこともそれなのよ…!」


「え?え?何言ってるの?イザベラ?」


 顔面蒼白のイザベラの背中を優しく撫でながら、講堂の出入り口近くの席まで移動した。

 そこから重く口を閉ざしたイザベラの横で、つまらない講話を右から左に聞き流しながら、私もだんだん血の気が失せていくのが分かった。これが最後の授業で良かった、早く寮へ帰って眠ってしまいたかった。

 授業が終わり、騒がしく講堂から出ていく皆の背に、イザベラと手を繋いで付いていく。行きとは逆に、イザベラが私の手を引いて歩いていく。小さな子どもみたいだが、今はこうして手を繋いでくれていないと、足が前に進みそうになかった。


「ロアナ…名簿でね、一つ確認が取れていない事があるの…ジャックロード令息の家名に誤りがあったの」


 前を向いたまま話すイザベラの声が、妙にはっきりと聞こえた。

 お祖父様は、『とても良い家柄の婿を取ることができたわい!』っていつもニコニコと笑っていたのよ。


(ダメよ、まさかそんな。そんな馬鹿な話があるもんですか)


 一昨日は、私の十八歳の誕生日だった。

 思わずイザベラの手を離して、立ち止まってしまった。

 イザベラが、驚いた顔で振り返った。同時に、唐突に後ろから誰かに抱きしめられて、体がふわりと宙に浮いた。

 驚愕したイザベラの顔が一瞬で見えなくなった代わりに、目の前にはいつも遠くから眺めていた麗しい殿下と侯爵令嬢のお二人の呆気にとられたご尊顔。

 その時、初めて聞いた男らしい爽やかな声が、父親譲りの茶色い髪を撫でるように私の耳元に届いた。



「殿下、俺の嫁です」

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