第15話 初任務1
イスタロス大陸暦1124年。
どことも知れぬ地下室。神殿騎士団長にして永遠の安楽教団イドリア教区長こと、シャルルは何者かと対峙していた。
「自分が何者かわかるか?肉体の感覚はどうだ?」
血なまぐさい地下室に似つかわしくない豪奢な椅子に座り足を組んだシャルルの前に、ボロ布を纏った小柄な人物がひざまづいていた。
「私は……離反者。肉体には異常ありません。」
少女のような声。離反者とはつまり、死の摂理をもってみだりな殺人を行った者ということ。そして記憶を殺され、教団の手足となった者のことだ……
「よろしい。お前に名を与えよう……そうだな、今からお前はノッテだ。そう名乗るがいい。」
離反者はその記憶を殺した教区長より新たな名を賜り、初めて服従の儀は完成する。前回の離反者は、儀式のことを知ってか知らずか名づけるまえに逃げ出してしまったからな、とシャルルは内心苦笑する。
「ノッテ。……私の名前は、ノッテ。」
ノッテが顔を上げると、ボロ布のフードが外れ頭部が露になる。彼女の顔には、顔全体を覆う金属の仮面が着けられていた。
「……誰が顔を上げていいと言ったか?」
シャルルがそう言うと、ノッテは頭を勢いよく地面に擦り付ける。いや、あるいは何か見えない手に押さえつけられたようにも見えたが、ともかく教区長はそれを見て満足げである。
「よし、ではそのまま聞くがいい。お前に初任務を与えよう。」
シャルルは傍らに置いてあったグラスを呷ると、独り言のように語り始める。離反者ノッテ、その初任務の内容を…
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よく晴れた昼間。神殿騎士団の訓練生宿舎に併設された訓練場にて、アルトを含めた訓練生が訓練を行っていた。訓練場には入って奥側に全体を見渡せる広めの台が設置してあり、その上から教官が指示を出している。
「いいですか皆さん!貴方たちはあらゆる摂理から、教皇と巫女を命懸けで守らなければなりません!」
突然に発せられる教官の大声に、訓練生は視線を向ける。
「アルト坊、エミール。かの御仁は突然どうしたのだ?」
ベルンハルトがアルトたちに問う。もちろん、彼らにも分かるはずがないため、アルトとエミールは顔を見合わせて肩を竦めた。
「さぁ……?でも、どうせシャルル団長の指示ですから、ろくな事にならないのは確かでしょう。」
アルトは冷たく言い放つ。あのシャルルという男は、人が苦しむ様を見て快楽を得るサディストなのだ。異論は認めないし、本人以外から異論も出ないだろう、とアルトは思う。
「前振りが気になりますね……まさか、他の摂理の魔法を操る猛者を呼んで、その方に何か凄い魔法を撃ってもらおうとしているとかですかね?訓練と称して……」
エミールは青い顔で身震いする。彼の勘はよく当たるところがあるので、アルトとベルンハルトも何が起きてもいいように身構えるのだった。
「そこで本日は当代の火の剣、スルト殿に来ていただきました!貴方たちの仮想敵が、如何に強いかを再認識していただきたい!」
火の剣といえば、激情的な火の民の中で最も火の神に近い人物だ。五大元素の民は、神に見染められた者に神に挑戦する権利が得られる。そして、神に勝利した者が次の神になるのだ。
当代で最も火の摂理の扱いに長け、神となる可能性がある者。それが火の剣だ。
「友好国であるイドリア共和国の要請により参った、火の剣スルトだ。手加減はするなと頼まれているのでな、最大限の防御で臨んでほしい。」
さすがは何度もシャルルの虐待を乗り越えている訓練生たち。アルトたちも含めてスムーズに訓練場の中央に集まると、何重にも防御魔法を貼り重ねる。
「……素晴らしい連携だな。思わず見とれるほどスムーズだった。私も同胞に連携の戦術的価値を広めているのだが、彼らではこうはいかない。」
スルトが傍らの教官にそう語りかけると、教官は嬉しそうにはにかむ。
「であれば、次は耐久テストだな。建物がもてばいいが…」
そう言うと、スルトは右手を空に掲げ魔力を込める。少しして、訓練生たちの防御魔法の上空に火の玉のようなものが現れた。
「宿舎は心配なさらず。彼らよりもよほど場慣れした正規の神殿騎士たちが守っておりますから。」
よほどシャルルの虐待に場慣れした、とは言わなかったが、模擬戦等でスルトも神殿騎士の堅さは知っている。
「であれば、遠慮なく。」
スルトがそう言うと同時、火の玉は少しづつ大きくなり、やがて防御魔法に接触する。
「ハハハ!有り得ぬほどの圧力よ!今まで数々の魔獣に殴られ圧されてきたが、ここまでのものはおらなんだ!」
防御魔法の中心付近でベルンハルトが嬉しそうに怒鳴る。それほどに、凄まじい圧である。
だが、訓練生30名弱、より集めればこの程度の炎耐えられないことは無い。
「意外と善戦してる、かな?」
まだ余裕のありそうなエミールがそう言うと、応じる声がそこかしこから聞こえてくる。気弱で物理的な力のないエミールだったが、訓練生たちの中ではその知恵と魔法の才を認められ、馴染んでいた。
「……いや、まだまだですよ、エミールさん。」
だが、アルトは更なる圧力を予感していた。……いやむしろ、まだスルトの本気を感じていなかった。
「やはり、そよ風程度の火球では耐えるな。では、少し力を込めて、木々が揺れるほどの風ではどうか。」
そう言いながら、スルトは再び右腕を高くあげ、火球に魔力を送る。より大きく、より高い密度になるように。
「壇上まで熱が伝わってきますねぇ。」
その横で、教官は両腰に手を当てながら、まるで綺麗な景色でも見ているように呑気なことを言う。
対して訓練生たちと言えば。余裕がなくなり、言葉を発する者はいなくなっていた。腕同士を組み、互いの体を支えながら、なんとか火球に耐えていた。
「ほう……!訓練生の身でも、ここまで耐えられるのだな!では踏みしめるほどの強風ならばどうだ?」
想定以上に訓練生たちが耐えたため、スルトも少し興が乗ってきた様子。今度は両手で火球に魔力を込める。
「わあ、訓練場より大きいんじゃないですか、これ。熱だけで花壇が燃えてますよ…花が可哀想!」
教官は遠くまで見渡しながら、訓練生たちの様子を注意深く観察する。……まぁ、まだ大丈夫だろう。
「ええい、どこまで大きくなるのだ!我々を焼き殺すつもりか!?」
ベルンハルトの怒号。訓練生たちは、そんな叫ぶ余裕があるならもっと防御魔法に力を入れてくれと思ったが、敵わないので黙るしかない。
「大声出してないで集中してください!」
そんなベルンハルトに喝を入れるのは、アルト。入団試験の一件から、すっかり熊の飼育員の立場を確立していたのだった。
「坊よ!火の剣殿はこれが本気と思うか!?」
言われ、アルトは少し思案する。遠くに見えるスルトの表情は、余裕に満ちている。訓練生たちがどこまでやれるのか、知りたくて堪らないといった顔。まだまだ余力があるのが目に見えてわかる、そんな表情。
「……いえ、全く。あと6段階くらいは強くなりそうですかね。……殺す気がないならあと3段階くらいかもしれませんが。」
アルトの言葉に、訓練生たちのモチベーションが下がる。と同時、目の前に炎が通過したような熱さが一瞬襲った。気の緩みから、一瞬魔法が弱まったのだ。
「おい皆の者!気を緩めるな!……ええい、エミールよ、何か良い案は無いのか!?」
ベルンハルトの喝もありなんとか全員で立て直すと、ベルンハルトはエミールに問う。
彼はイドリアに常駐している知識院の学徒と仲が良く、様々な知識を聞いて交流を深めている。そのため、困難を脱却する情報も何か持っているかもしれない。
「ええと……圧力……防御魔法……強く……」
エミールは今ある条件から、何か打開策は無いかと熟考する。
「エミールさん!スルトさんが火球をさらに大きくしようとしてます!このままじゃまずい!」
アルトをはじめ、多くの訓練生が焦りの表情を見せる。明らかに押されていた。
「球…形…?……あああ!皆さん!合図を出しますので、僕の言うとおりに防御魔法を構築しなおしてください!」
「よろしい、では次で此度の訓練を終了としよう!岩も動かす暴風だ!」
スルトはより一層力を込める。アルトが言うところの三段階ほど。これ以上は、殺意を持たない相手に間違ってもむけられない、そんな領域になる。
それでも、尋常ではない威力の攻撃。それはスルトも理解している。なればこそ、防御魔法が突破された時にはすぐにでも魔法を解除できる準備はできていたのだが———思いがけず、その準備は杞憂となる。
「……おや、なにやら先ほどまでよりも安定して防御できていますね?」
頭のうえに上に手をかざし、眩しくないようにめを目を守っていた教官が訝しげに言う。その言葉の通り、今にも砕けそうだった防御魔法は、その形を変えてより安定感を増していたのだった。
「一般的なドーム状の魔法から、正三角錐状にしたのですね……。確かに、咄嗟に点の攻撃を防ぐ場合は範囲の広いドーム状は有効ですが、これだけ広い面積の攻撃で存分に準備できる環境の場合はこの形がいいか。
状況に応じて防御魔法の”形状”を変える、なるほど今まであまりなかった発想です!」
早口で呟く教官。その言葉を聞いて、スルトも同調する。
「ああ。戦いの中で思考し、新たな活路を切り拓く。今の訓練生にはそれが出来る者がいるようだ。そういう者は伸びるぞ。」
言いながら、左手を掲げ何かをすくい上げるような動作をすると、火球が一瞬のうちに消える。
「この上ない合格だ、教官殿。此度の訓練生たちは化けるぞ。」
それを合図に、訓練は最高の結果を残し終了したのだった……
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「大活躍だったようではないか、アルト訓練生。火の剣殿も褒めていたぞ。周りをまとめたベルンハルト、適切な分析をしたお前、咄嗟のアイデアで全員を救ったエミール。そしていきなりの指示に対応して完璧に防御魔法を張った訓練生全員をな。」
神殿騎士団団長執務室。口では褒めているが顔は不服そうなシャルルと、アルトは相対していた。
「お褒めに預かり光栄です、団長。」
アルトは内心してやったりという顔で返す。部屋のすぐ外には護衛の神殿騎士が控えているため、お互いに本音で話すことは出来ない。だが、互いの感情はその表情が雄弁に語っていたため、何も問題はなかった。
「それで、何のご用でしょうか団長。」
いつになくにこやかに、アルトが聞いてみせる。シャルルは一層嫌そうな顔で、机の上に置いてあった小さな羊皮紙をアルトに渡してきた。
「お前に初任務だ。と言ってももちろん、楽な仕事だがね。火の剣殿が自治区に帰るまで、従者兼護衛としてお仕えするのだ。」
当人が圧倒的に強い場合の護衛。圧倒的に楽な仕事だが、神殿騎士団内で実績を積むには良い機会だ。だが、羊皮紙には異なる内容が書かれていた。
こちらは教団員としての任務。どうやら、火の剣殿を狙う勢力がいるらしく、その敵対勢力を排除せよとの指令だ。
「この任務には、二人組であたってもらう。…ノッテ、入り給え。」
シャルルが入口に向かって話しかけると、仮面とフードをまとった神殿騎士が入ってきた。シルエットから、女性のようである。
シャルルを見ると、手のひらを返すような動きをしている。どうやら羊皮紙の裏を見ろということらしい。アルトは羊皮紙の裏を見て、目を見張った。
『こいつは離反者だ。相棒兼監視役としてお前に任せる』と、指令とは異なる走り書きで書いてあったのだ。
恐らく、教団の命令とは異なる教区長からの個人的な指令。だが、上司の命令である。従うほかない。
「うまくやり給えよ。お前が巫女の光になれるかどうか、その道筋の第一歩なのだからな。」
「委細承知いたしました。訓練生アルト、任務に着手します。」
右手を心臓の前に構える敬礼を行い、アルトは踵を返す。
「ええと…行きますよ、ノッテさん。」
アルトが声をかけると、ノッテは背後からアルトに抱き着きつつ言う。
「りょうかい。よろしくねぇアルトくん!」
突然の出来事に反応できないアルトはされるがまま。数瞬の後、状況を理解したアルトは、振り払うより先に背後のシャルルの方を首だけ振り返る。
「では、仲良くしたまえよ。」
彼がアルトに出す指令が、一筋縄でいくもののはずがないのだった…。
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