第14話 招かれざる者

「リアンさん、起きてください!学長が貴方を会議に出席させろとうるさいんですから!」

第九学徒寮の一室にて、太陽もてっぺんに昇ろうかという時間にも関わらず寝続ける男を、クレイドルは無理矢理起こしていた。

「……ソフィアに伝えてくれー、いいから俺を帰らせろって……」


毎日のようにこれの繰り返しだ。伝えることは伝えたから帰らせろと。

知識院へ他国が攻め込んできたのは、数十年ぶりのことだという。前回の侵攻時に教授だった者は、片手で数えるほどしかいない。

だからこそ、知識院の機密情報を知っているこのリアンという男に、ソフィア学長は手助けを期待しているのだが。


リアンはリアンで何か目的があるらしく、頻繁にシャドランへ帰ろうとする。頑なに理由は教えようとしないが、何か大切なことらしい。少なくともクレイドルは、リアンの様子からそれを察していた。

「素直に協力すれば、それだけ早く帰れるかも知れませんよ?理由は教えてくれませんけど、大切な理由なんでしょう?」


リアンがこんな駄々をこねる子供のようになってしまっている一端は、ソフィア学長にある。彼女はセファロンの信徒であれば誰にでも憑依できるのをいい事に、一日中リアンを監視し逃げ出そうとしようものならすぐ拘束しているからだ。

ここまで先行きを潰されては、不貞腐れるのも無理はない。


だが、クレイドルが真に自分のことを案じているのが伝わったのか、リアンはベッドの上で遂に体を起こす。

「……確かに、ここでこうしていても仕方ない、か。」

リアンはそう呟くと、勢いよくベッドから降りた。

「ソフィア!どうせクレイドルくん越しに今も見ているんだろ。会議に出てやるから、その分早く帰してくれよ!」


『ようやく観念したか。クレイドルくん、彼をはじまりの教室棟まで案内したまえ!』

ソフィア学長はこうなる事が分かっていたかのようにスムーズに、クレイドルの体を使って高らかにそう告げた。



様々な建物に覆われ、真昼だというのに薄暗い木造の建物。場所は知っていても初めて訪れるその場所に、クレイドルは緊張していた。

「おお、思い出してきた。懐かしいな、ここ。確かソフィアが最初に建てた本の保管所じゃないか。」

リアンははじまりの教室棟の外観を見ながらそう語る。クレイドルはコーデックスと繋がっているというのに、そんな情報は初めて聞いた。セファロンの信徒たちが築いたとしか……

学長が否定しないところを見ると、やはりこの男は只者では無いようだ。


『今じゃ本の保管所は図書館と言うんだよ、爺さん。……本のみならず知識を求める人が集まってからは、私が知識集積の拠点として利用するようになって、今日の教室棟となったワケだね。』

もはやなんの断りもなくクレイドルの肉体を使用するソフィア学長。ソフィア学長曰く、憑依の切り替えがこんなにスムーズにいく学徒はほとんどおらず、ついつい楽だからクレイドルを使ってしまうらしい。

だが実を言うと、自身にこれといった強みが無いと考えているクレイドルにとっては、密かな自慢だった。


「じゃあ、お連れしましたので。僕は授業がありますので、これで失礼しますね。」

対策会議の会場であるはじまりの教室棟。クレイドルはリアンをそこに送り届けると、すぐに帰ろうとする。

リアンが訪れてからも幾分か時期が経っていた。その間に、知識院の周辺に住む非セファロンの信徒の子供を集め、試験的に授業を実施するまでに準備が進んだのだ。


『おっと、そうはいかないよ。リアンと僕がスムーズに会話するために、キミにはいてもらわないと。』

なんだか嫌な予感があってすぐに帰ろうとしたクレイドルだったが、その予感が的中した。

教授でもないのに、国防の要となる機密情報を握るなんてとんでもない……

『大丈夫大丈夫、そこは万事問題ないようにやるから!』


クレイドルの思考を読んで回答するソフィア学長。クレイドルは苦い顔をする。

「平然と人の思考を読まないでください……。」

2人のやり取りは聞こえていないはずだが、リアンはその内容を把握しているようだ。そして、優しい笑顔でクレイドルに話しかける。

「クレイドル君。この数日間で君が誠実でデキる男だというのがわかった。ともすれば、我々に思いもよらぬ妙案を出してくれるかもしれない、なんて期待を持ってしまうくらいにね。」


リアンはクレイドルの肩に手を置き、続ける。

「それにさぁ……セファロンの信徒ってソフィアみたいに細かいことをグチグチグチグチと言ってくる奴らばっかりだろ…?

君みたいな柔軟なヤツなかなかいないからさ、後生だから1人にしないでくれよ……」

どちらかと言えば後者の願いの方が本心のような気もしたが、クレイドルはため息を一つ吐いて渋々同意した。授業が準備不足になるという思いに、後ろ髪を引かれながら……

—————————————————————

「クレイドル君?なぜ君がここにいるんだね?」

当然と言うべきか、教授陣が出席する会議にはミュラー教授やリーリカ教授も出席している。リアンを伴って教室棟に入ってくるクレイドルを見て、困惑の表情だ。

『客人と私のコミュニケーションを円滑にするために呼んだのさ。彼はなかなかに便利でね。』

またしてもなんの断りもなくクレイドルの体を使い、そのままセファロンの民にのみ見える形で現れるソフィア学長。

そのままなんとも言えない表情で学長を眺めるクレイドルを見て、ミュラー教授は驚いた様子である。


「これは……学長に憑依された後に体に影響がないとは、よほど波長が合うのでしょうな。」

そうなのである。クレイドルは特に何ともないため自覚は無いのだが、ソフィアに憑依されるということは普通大事なのである。

良くても10分程度の昏倒、悪いと数時間気絶し続ける者もいる。別人の意識が無理やり入り込んでくるのだから、無理からぬことだ。


そんな危険なことを何度もされていたのかと思うと同時、さらに自己肯定感を上げるクレイドルだった。

「さて、事情説明も済んだところで、早速だが会議の音頭をとらせてもらうよ。」

先ほどまで嫌がっていたとは思えぬほど積極的に、リアンは教授陣の囲む教室棟中心の壇上へと躍り出た。ソフィア学長の友人ということもあり、教授陣からこれといった反論もない。リアンは言葉を続けた。


「まずはじめに。貴方たちセファロンの信徒は、やれ根拠だの説得力だのうるさいからな。俺が何者かを教えておきたい。

……原初の生アルディスは一般に信徒を持たぬとされている。それは、生きとし生ける全ての者は、おしなべて彼の信徒とされているからだ。」

クレイドルは、突然に始まったリアンの講義にうんうんと頷いていた。全ての生命はすでに、生を司る原初の生から命を与えられている。だからこそ、摂理を操る特定の信徒はいない。少なくともそれが通説だ。


「だが実際は異なる。原初の生も信徒を極小数ながら抱えている。自ら見初めた者に、刻印まで施してな。」

そう言って、リアンは手のひらの刺繍……いや、刻印を見せる。樹に光が差しているような意匠。

それを見た教授陣からはどよめきが起きるが、クレイドルはまだ何がなにやらだ。


「操るは不死身の摂理。自分に受けた傷やら老いやら病やらを、跡形もなく一瞬で治し、死ぬことも出来ない制御不能の摂理だ。

……ここまでは、コーデックスの閲覧制限区画に記載があると聞いている。故にこそ、俺の正体とこれからの言葉の重みはわかってもらえたと思う。」

先ほどのどよめきは、教授陣が原初の生の信徒の実物を初めて見たことによるものだった。

対してクレイドルは自身の知らぬ神話の情報を前に、ただより一層教授になりたいと思った。彼もまた、純粋なる知識院の学徒なればこそ。


『私に実体があった頃、共に旅をした事もあるんだ。君たちよりよっぽど爺さんだからね、貴重な意見が聞けると思うよ。』

ソフィア学長に体を使われながら、クレイドルは既にリアンに聞きたいアレコレを精査し始めていた。

クレイドルの内心が読めるソフィア学長は、こんな時まで知識欲を抑えられない同胞に、内心で慈愛を込めた苦笑いを浮かべる。


ざわめきが治まりはじめると、リアンは手を叩いて教授陣の注目を集めた。

「さて、本題だ。今回攻めてくる奴らの詳細を話そう。」

教授陣もさすがのもので、自身の知識欲を理性で押さえつけて一瞬で静かになる。授業を受けている皆にもこれができたらどれだけ楽か、とクレイドルは自身の小さな生徒たちを思い小さくため息をついた。


「攻めてくるのはシャドランを治める三大勢力が一つ、黒蛇組。狙いはソフィアが作ってる本——コーデックスだ。」

『まぁ本に見えるだけで、実態は図書館なんだけど。』

すかさず補足を入れるソフィア学長。

「そう……まあとにかくそれだ。理由は知識の習得による健全な国家運営のため…だったらまだ救いはあったんだけどな。実際のところ違う。」

クレイドルはこの話を聞いてがっかりする。彼なりにこの数日間、シャドランと争わずに和平を結ぶ方法を考えていたのだ。

その際の結論が、シャドランに知識院の人材を派遣し、国家運営が安定したら利用料を後払いにするというものだったからだ。

国家運営を安定させることが目的でないのなら、その前提は崩れる。


「そのためにまず、シャドランの国家体制について説明しておこう。

建国の長であるシャドランは、ガギアと同じく元は理外の民だった。そこで摂理を持つ者から多くを盗み、境遇を同じくする理外の民にそれらを分け与えていた。”盗み分け与える”ことこそシャドランの本質。そこに集った理外の民によって国が形成されていったのだ。」


クレイドルは急いで懐から紙と万年筆を出し、もの凄い勢いでメモをしていく。

この携帯用の万年筆は、知識院の人間になくてはならない必需品だ。今のように唐突に訪れた貴重な知識を、自らのために残しておく事が出来るようになるのだから。

創造の神アドキアに感謝するクレイドルだった。

「シャドラン亡き後、その子が代々王として国を治め、代が継がれる中で次第に”分け与える”文化は廃れた。

そうして何代かの王が任期を全うし、先代の王。彼が面倒な遺言を遺していたんだ。

彼には子が3人いた。白狐のヴェリナ、黄鴉のラザル、そして黒蛇のサイラス。意見が対立するこの3名のせいで、今やシャドランの内政は……悲惨だ。」


シャドランの内部情勢が酷い有様だということは、神話ばかりにかまけているクレイドルでさえ聞き及んでいた。

先王死後の混乱を、国内の力のみで解決しようと動いた長女、白狐のヴェリナ。国外に頼り解決を図った長男、黄鴉のラザル。そしてさっさと王権を手にし、領土を広げるため各国に侵攻しようと企む次男、黒蛇のサイラス。

三者の対立で国家運営は疎かになり、今や国のあちこちでスラム街が形成されているという。

クレイドルが話を聞いたのも、シャドランから知識院の周辺集落へと亡命してきた家族からだった。


「王権を獲得し、他国への領土侵攻によって国を豊かにしようとするサイラス……そして彼の率いる黒蛇組が、此度の侵攻者だ。」

黒蛇組は、その理念も相まって最も戦闘経験に長け、資材や人材は他国から盗んでくればいいと考えている。彼らにコーデックスが渡れば、薪として有効活用してくれるだろう。自分たちで操れる必要はないのだから。


『なんて野蛮なんだ!蛇なんて害獣、駆除するに限るね』

説明を聞いてなお、ソフィア学長は余裕を見せている。事は急を用しているというのに……とクレイドルは内心冷や汗をかきながら、他の教授陣はどうかと周りを見渡す。

すると意外なことに、教授陣も特に焦った様子は無いのだった。


「誰が侵攻者であろうと構いません。此度も以前までと同様の策を取りましょう。」

リアンの説明が終わったと見て発言するのは、最古参かつ最高齢の教授であるエルドリヒ教授。齢は80を越えようかというのに、今なお現役で教授業を続ける傑物だ。

彼は前回の侵攻を知っているはずで、今の発言からすると教授陣は皆知っている方法のようだ。彼らの間で合意が取れているなら、寧ろ知りたくないと一歩引くクレイドルだった。


『クレイドルくんのことは気にせず、濁さずに言ってくれて構わないよ。』

だがそんなクレイドルの思考をもちろん知っているはずなのに、わざわざそう言ってみせるソフィア学長。なぜここまで自分を関与させたがるのかわからないが、本当に勘弁してほしいとクレイドルは胃をキリキリさせながら思った。

「では申し上げますが…要するには、我々知識院の持つ唯一の攻撃魔法、『記憶消去魔法』の使用を提言いたします。」


記憶消去魔法。クレイドルは初めて聞く単語であった。そもそも、戦闘能力においてはほとんど理外の民と変わらないと言っていい知識院に、攻撃魔法が存在したとは。

「……やっぱり、記憶消去魔法だったんだな。」

そう、妙に合点の言った様子のリアンが発言する。察するに、歴史上あったはずの「知識院侵攻」という事件の悉くが、多くの人々の記憶から失われていることから察しはついていたのだろう。


『記憶消去、とは正確じゃないけどね。私の所有する別の本に、封じたい記憶を持つ者の記憶を奪って保管してるだけさ。』

つまりは、今までの侵攻の記憶も、その記憶を持つ者全てから奪っていると。

「……ですが、なぜそんな事をするのですか?」

クレイドルはいてもたってもいられず、ここに来て初めて発言する。侵攻する側の知識を奪って侵攻する気を無くさせるのは、まだわかる。

だが、その記憶を持つ者全てから奪う理由が、クレイドルにはまだわかっていなかった。


「クレイドル君はさ、手がつけられている料理と誰も食べていない料理、同じメニューならどっちを選ぶ?」

そんなクレイドルに、リアンは唐突な質問を投げかける。

「あるいはもう使ってある雑巾と綺麗な布とか……まぁ、なんでもいいんだけどさ。

シンプルに言えば、攻める旨みがあってよく攻められる国と、誰も攻め込んでいない国。どちらの方が侵攻に際する心理的な障害が低いかという話さ。」


『今や多くの国が知識院の知識を必要としている。だからこそ、どこかが知識院に攻め込んだら、各国から総叩きにされる……と、周りの国は思い込んでいる。

ウチが一度も攻め込まれたことが無い事実と、各国に派遣してきた学徒たちによる印象操作がそうしてくれているんだ。』

なるほど、納得はできる話だ。だが、今までが大丈夫だったからと言って、今回も大丈夫な保証はない。


「リアンさんの記憶が残っているように、他の人の記憶も消えないということはありえないんですか?」

そうだ。そんな魔法があるのならば、リアンの記憶が消えていないのはおかしい。だが、リアンはひらひらと手を振って答える。

「魔法の干渉による記憶消去を……俺の体は傷だと思って治しちゃうんだよね。だからまぁ、敵が原初の生の信徒じゃない限りは大丈夫。

知識院が始まって数百年、この魔法を破って知識院侵攻を成し遂げた奴らを見たことないからね。対策しようにも、何が起きたかも何をされたかも覚えてないと来たもんだ。」


それでも、とクレイドルは歯痒い思いを飲み込む。教授陣は既にソフィア学長主導で決議を始めていた。

体をソフィア学長に委ねつつ、クレイドルは決意していた。もし記憶消去魔法が上手くいかなかった時の二の矢三の矢は、この機密情報である魔法の存在を知り、危機感を持っている自分だけでやらなければならないと。


そして、決議によって記憶消去魔法の使用と、詳細の公表を伏せることが決まったのであった。

—————————————————————

「すまなかったね、クレイドル君。……あ、これはどこに置けばいい?」

第九学徒寮の倉庫にて、クレイドルとリアンは倉庫整理を行っていた。

会議の後上の空で授業を終えたクレイドルに、リアンが何か手伝わせてくれとせがんだからだ。


「それはその棚の上に……何がですか?」

対するクレイドルの頭の中は、大事にせずどのように対策するかということでいっぱいだった。ゆえにこそ、リアンが何に対して謝っているのか考えている余裕がなかった。

「そりゃ…さっきの会議だよ。君の言うことももっともさ。数百年大丈夫だったからと言って、今回も大丈夫だとは限らない。そんなのは俺が一番よくわかってるのに、早く話をつけて帰りたいがために君の意見を無視した。」

リアンはそう言うと、しっかりと頭を下げる。数千年生きていて、大した力もない陰気な学生に頭を下げられるのだから、このリアンという人物はその永き生をもってしても曲げることのできない実直さをもった男なのだろう。クレイドルは素直に感心していた。


「全然、気にしてないですよ。…それよりどう秘密裏に対策したものかと、考えるだけで頭がいっぱいです。」

苦笑いで答えるクレイドル。リアンは顔を上げると、そうだなぁと思案しながら倉庫をふらつき始める。

「避難経路だったり避難所みたいなものを作っておくのはどうかな?どうせそういうの、無いんだろう?」

確かに、とクレイドルは思う。他のきちんとした国と違い、知識院には「要人」というものがいない。唯一要人と呼べる方は実体を持っていないし、避難経路などは今まで必要なかったのだ。


「それほど猶予はないですからそこまで大それたものは作れないかも知れませんけど…アドキアの信徒の方や建築の知識がある学徒に聞いてみるのもいいかもしれませんね…」

クレイドルは知識院の外のことをあまり知らないため、その発想はなかった。他国では普通のことなのだろうが。亀の甲より年の功という訳だ。

「…おっ、それともう一つ。いいことを思いついたぞ!」

リアンは言いながら、埃をかぶった箱の中から古めかしい水晶玉を取りだした。

「俺が一つ、君の運命を占ってあげよう!」



「あの、本当に占いなんかできるんですか?」

倉庫の整理を一通り終えた2人は、学徒寮の机を挟んで向かい合って座っていた。

リアンは水晶玉を机の上に置きながら、クレイドルの質問に返答する。

「長生きして身につけた唯一の特技でね。フォロー出来なかったお詫びと、今日まで世話してくれたお礼を兼ねてさ、ここはいっちょジジイに任せておきな。」

占い師として占いが出来るほどに運命の流れを見ることが出来るかは、生まれつきの才能によるところが大きい。

嗅覚が人より優れているとか声が大きいとか、そういった類の能力だ。基本的には後天的に身につけることはほとんど出来ない。

だがリアンほど……彼自身も何年生きたか分からなくなるほど途方もない時間、人の運命を見続けていれば話は違う。

何度も聞いた歌の歌詞を自然と覚えてしまうように、あるいは毎日見る街の風景が目を閉じたら浮かんでくるように。長きに渡り人の運命を見続けたせいで、運命の流れが見えるようになったのだ。


「ま、外れても悪いことはないしさ。気楽にね。」

自分にも言い聞かせるようにリアンはそう言うと、水晶玉に意識を集中する。

占いをしてもらうのが初めてだったクレイドルは、知的好奇心から水晶玉を覗き込む。当然と言うべきか中には何も見えない。クレイドルには占いの才は無いようだ。

「……ああ、これはね、水晶玉を使ってきみの君の周りの運命の流れを閉じ込めてるんだよ。眼鏡のレンズみたいなものさ。」

眼鏡とは、ここ数十年でアドキアの民によって生み出された道具だ。レンズで実際の視界を映像として閉じ込め、かけているものの頭に直接見せる道具。

視力が低い者や盲目のものを助けることとなった大発明である。

それと同じということは、運命の流れを切り抜いているというような事なのだろうか。論文の必要な部分のみの写本のようなものか、とクレイドルは納得する。


「……嘘だろ?クソ、ソフィアのヤツめそういうことか……」

リアンはクレイドルの方を少し睨んでそう言う。何やら不安になる発言だ。

「……な、何か悪い結果が出たんですか?」

クレイドルは恐る恐る尋ねた。リアンの様子は尋常ではない。しかし、リアンはクレイドルを見るとにこやかな顔に戻る。

「いやいや、悪い結果という訳じゃないよ。ただそうだね……僕から言えることとしては……

何があっても、落ち着いて行動してくれって事だけかな。」


占い師に分かるのは、主に感情。何が起きるかという事象は、推測やよほど強烈な出来事でなければその詳細を読むことは出来ない。

とにかく、リアンには少し未来のクレイドルが、落ち着きのない行動で負の感情を得ることを予見したのだろう。

「はい……肝に銘じます。」

クレイドルがそう答えると、リアンは再びにこやかに笑った。

—————————————————————

そして、数刻の後。リアンはシャドランへと旅立つ。

立ち会うのはクレイドルとノーマンの2人、そしてソフィアだ。

「むだに無駄に長々と世話になったな。誰かさんのせいで。」

リアンは誰を見ながら言ったら良いのかもわからず、どこかにいるはずのソフィアにむかって言う。

『君が素直に協力していれば良かったんだ。私に隠すってことは、帰りたい理由は女だろ?』


クレイドルに憑依したソフィアがそう言うと、リアンは露骨に嫌な顔をする。

『全く何度も何度も。懲りないねぇ色ボケジジイ。』

「……覚えてねぇよ。」

不機嫌そうにそれだけ言うと、リアンはノーマンに視線を移す。

「ノーマン君、君にも大分世話になった!リーリカ教授と上手くやれよ!」

いたずらっぽい笑顔でからかわれると、先ほどのリアンのような顔でノーマンもぶっきらぼうに答える。

「……そういうんじゃないっす。おっさんも、レディの扱いには気をつけろよ。大分年の差あるだろうからな!」


この2人は、別れ際まで憎まれ口を叩きあって。生まれた時代が違えば、気の合う友人だっただろう。

「うるせえ!……クレイドル君も、シャドランへの対策頑張れよ。俺も出来るだけのことはしてみるから。」

また、優しげでどこか寂しげな笑みを浮かべて、リアンはクレイドルに告げる。

クレイドルは戸惑いながらもはいと返事をすると、懐から水晶玉を取り出し、リアンに手渡した。


「餞別です。シャドランに向かうにも路銀がいるでしょうから、売るなり占いをするなりに使ってください。

倉庫に眠らせておいてももったいないですから。」

リアンは少し迷うが、クレイドルから水晶玉を受け取る。

「……それじゃ、俺は急ぐよ。本当に世話になった!また会おう若者たちよ!」


そう言ってシャドランの方向へ歩いていくリアン。途中まで馬車を出すと言ったが、何やら交通手段があるらしい。

少しして、クレイドルとノーマンは学徒寮へ戻っていく。しかし、風にたなびくリアンのマントが見えなくなるまで、ソフィアはその後ろ姿を見守っていた……

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