第5話

 オレは外に飛び出した。

 橋のほうに目を向ける。ユイらしい人は、見かけなかった。もうだいぶ、街の中まで入りこんだらしい。


 うかつだった。


 とにかく、今のユイをひとりにするのは危ない。

 急いで追いつかないと。


 オレは走り、橋を渡った。

 まっすぐに病院へと向かう。

 街は、いつもどおりだった。普通に人は出歩いている。警察の制服を着た人が、警戒に当たっているくらい。


 でも、この中にユイの家に押し入った者がいるかもしれない。

 まだユイを狙っていることだって。

 いつ襲われるか。悲鳴が聞こえたら、急いでそちらに……


 だが、オレはユイの悲鳴を聞くことなく、目指していた病院に着いた。5階建ての、この街区で最も大きな病院だ。


 ユイは、もう病院に入っていっただろうか。

 もうソフィアに会っているかも。


 ここに来るまでに異変はなかった。

 心配のしすぎだったかな。


 ユイを見つけたら、急いで連れ帰らないと。

「あー、ユイだ!」

 幼い子供の声が聞こえた。オレは横を見る。

 ふわふわの赤毛の女の子が、道端の植え込みのそばでぴょんぴょん飛び跳ねていた。

「こんなとこでどうしたの? かくれんぼ?」

 あの赤毛の女の子は、テトだ。ユイの家の近所に住んでいる。7歳で、背はオレの胸元くらいしかない。

「ちょっと、しー!」

 植え込みの向こうから、ユイの声も聞こえてくる。


 ……あそこに隠れているのか?


 オレは植え込みを目指す。

「あ、コリスもいる」

 テトがオレを見つけた。

「ああ、おはよ。ユイがそこにいるの?」

「うん」

 オレはテトの隣まで来た。植え込みの裏をのぞきこむ。


 ユイが、そこでしゃがんでいた。

「あ、ど、どうも……」

「こんなところで何をやってるんだよ」

 オレはユイの、傷ついていないほうの手をつかんだ。無理やり植え込みから引きずり出す。

「どうして勝手に家を出たんだ?」

「どうしても、お母さんと会って確かめたいことがあったから」

「ひとりで出歩くのは危ないって言ったよな。昨日の奴がまだどこかにいるかもしれないって。また襲われたいのか」

「違うよ」


「コリス、おこってる。こわーい」

 テトの緊張感のない声で、オレは調子が狂いそうだ。

「テト、ちょっと静かにしてくれないか」


「でも、ユイちゃんと手をつないでる」


 オレは手元に目をやる。オレの手は、確かにユイの手をつかんだままだ。


「ひゃあ!」

 みっともない声を出して、オレはユイの手を放した。

 テトが、にっと笑みを浮かべてきた。

「好きなんだ。カノジョだもんね」

「違う! ユイはただの友達! だいたいお前、なんでこんなところにひとりでいるんだよ」

 昨日ユイの家を襲った奴が街に潜んでいるかもしれない今、テトのほうがずっと危ない。


「こら、テト、勝手に離れたらだめでしょう」

 テトの母親の声が聞こえた。テトと同じ赤毛の女の人が、こっちに向かってくる。テトは、さっと自分の母親に抱きつく。

「だってユイちゃんがいたんだよ。コリスも」

 テトの母親と目が合って、オレは頭を下げる。

「あら、ふたりとも昨日は大変だったわね。ユイちゃんは大丈夫? 怪我したって新聞に書かれてて、心配で」

「わ、私は大丈夫です。ナトリさんに手当てしてもらったので」

「よかったわね。友達のお父さんがお医者さんで」


 ――オレにとって、ユイの友達を名乗れる自信ないんだけどな。


「それより、どうしたの? こんなところで」

「夫のお見舞い。まだ入院が続くから」

 テトの父親は大工をしていて、先週仕事中に事故って入院したんだっけ。

「テトをあまりひとりにしないでよ。昨日の犯人、まだ捕まってないんだから」

「ああ、それは私がうっかりしてたよ。ちょうど見舞いも終わったし、じゃあテト、行くよ」

「ばいばい」

 テトが手を振ってくる。母親に手を引かれながら、オレたちから離れていく。


「嬉しいな」


 ユイが笑みを浮かべていた。

「何が?」

「友達って言ってくれて。嫌われたと思ってたから」

 あれは、テトが変なことを言うから、とっさに口から出た言葉だ。嬉しがるほどじゃないのに。

「ああ言わないと、テトが気にするだろ。とにかく、病院の中に入ろう。ここは寒い」


 何事もなく病院に着いたのだ。ソフィアに会わせても悪くはないだろう。


「でも、友達なら、話してもいいよね。……実は、昨日の夜だけど、警察に話してないことがあるの。コリスくんにも、ちょっと嘘をついた」


 一緒に病院の入口に向かいながら、ユイが打ち明ける。他の人に聞かれたくないのか、小さな声だった。


「嘘って?」


「家を襲った人の顔、私、見たんだ。といっても、ちょっとだけだから、確信できなくて、それでお母さんにも確かめようと思ったの」


 オレが病院の扉を開けてやる。病院の中は暖房が効いていた。患者さんや看護師さん、医者の先生がホールを行き交っている。

「昨日襲ってきた人は、スレアさんだった」

 ユイが、その名前を告げる。

「スレア?」

 スレア・エビス。オレは知っている。

 ウィルの、同い年の恋人だ。だが厄災の火で、スレアは両親を失った上に、行方をくらませた。それから3年間、彼女に会っていない。

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