とても醜いもの。

雨世界

1 すごく安心できる場所。

 とても醜いもの。


 すごく安心できる場所。


 なんだか、変な形をしていること。それは普通のことなのだ。みんな型から生まれてくるわけではないのだから。ぶかっこうなことが普通のことなのだ。


 中学二年生の十四歳の女の子、大葉繭は今日、はじめて蜘蛛が蝶を捕食する瞬間を見た。知識としては、もちろん、そういうことは知っていた。(生態系というやつだ)でも、実際に見るのは初めてだった。観測していたとか、興味があったというわけじゃない。『たまたま見たのだ』。家の玄関のわきにある木のところに蜘蛛は巣を張っていたらしい。どこかから美しい蝶が飛んできて、その蝶はふわふわと空の中を自由に飛びながら、ふとまるで運命に導かれるようにして、蜘蛛の巣にあっけなく引っかかった。(びっくりした)そのあとで、すぐにどこかに隠れていたのか、蜘蛛は急いでやってきて、その蝶を補足してばたばたとあがいている蝶に抱き着くと、すぐに蝶はぴたりと動くことをやめてしまった。

 そのあとで、蜘蛛と蝶がどうなったのかは、繭にはわからなかった。もう続きが見たくなくなったので、すぐに家の中に入ってしまったからだ。

 最初は本当にこんなことがあるんだ。と思った。でも、なんだかだんだんとそわそわとしてきた。どきどきして、なんだかずっと落ち着かなかった。

 こういうことが『自然と毎日、地球のいたるところでおこなわれていることは知識としては知っている』。……、でも、はじめてみた。はじめてみて、すごくびっくりしたのだ。

 自然の中には人間の世界にある法による規制などはない。映像だって、音声だって、未成年が見るには不適切だっていって、途中で途切れたり、(あるいは最初から見られなかったり)しなかった。映像をほかの映像にかえることもできないので、すいせいは逃げることしかできなかった。現実の光景から。それは自然界の中では、とても普通の行為であるというのに。


 まるで聖域でも求めるように、繭は自分の部屋の中にはいった。そこで丸い鏡を見て、自分の顔を映してみる。

 ……たいしてかわいくもない。いつものようにそう思う。

 自分はたいしてかわいくないのだと思った。いろんな映像で見る人たちは美しい、あるいはかっこいい人たちばかりだった。(もちろん、そうじゃない人もいるけど、ほとんどはそうだった)そんな映像を見て、繭は自分がたいしてかわいくないのだとわかった。(残念だけど、まあしょうがないと思った)もしかしたらこれからすごくかわいくなるかもしれないし、胸とかお尻とかも、もっと大きくなるかもしれないと言い訳をしてみたけど、むなしいだけだった。(本気でなるとも思ってないし)なんだか人生は残酷だと思った。繭は十四歳にして、自分が『かわいくない女の子』であることを知ってしまったのだった。

 繭は鏡を見るのをやめると、それから中学校の制服から着替えもせずに、(ばたんと倒れ込んで)ベットの上で横になった。

「私は毎日、毎日、なにをしているのだろう?」とそんな独り言を言った。

 繭は目をつぶった。とりあえず眠ろうと思ったのだ。でも、眠れなかった。だから眠ることをあきらめると、繭は真っ暗闇の中で、担任の先生の言葉を思い出した。

 担任の先生はよく、「未来には無限の可能性があります。道は、あるいは可能性はたくさん分岐していて、どんな選択肢でも選ぶことができます。行き止まりはありません。なんどでも、やり直すことができます」と言っていた。

 繭はその担任の先生の言葉をきいて、それはきれいごとの嘘だと思った。(生徒たちに向けた先生の言葉としては正しいのかもしれないけど……)


 それは繭の実体験にもとづいた思いだった。繭の道は行き止まりになっていた。先などどこにもなかった。だから行き止まりの道の上でずっと立ち尽くしている繭は担任の先生の言葉を聞いて、それは嘘なのだとすぐに理解することができた。(先生は、とてもいい先生だけど、それはそれとして、嘘は嘘だと思った)

 勉強をしようかと思ったけど、起き上がれなかった。勉強しても、いったいなんの役に立つのだろうと思った。(実際にはとても役に立つのだろうけど、どうしてもやるきがおきなかった)だって私の道はもう行き止まりなのに。勉強しても意味がないだろうと思った。部活動にもはいっていないし、(やりたい部活動はなにもなかった)創作活動のようなこともしていない。趣味もない。繭にはなんにもなかった。自分が社会のお荷物であることはずいぶんと前にわかっていた。体が弾けるような経験も、なにもかもを捨てられるような恋も、したことがなかった。心がどきどきするような作品にであったこともなかった。そんなものに出会ってみたいと思った。

 ……、心がどきどきする、というところで、繭はさっき見たばかりの蜘蛛が蝶を捕食する瞬間を思い出した。

 びくっとした繭は、目をぱっとあけた。するとそこには自分の部屋のみなれた(くたびれた色をしている)古い天井があった。


 次の日、家の玄関の横には蜘蛛の巣だけがあった。蜘蛛も蝶もいなかった。繭は少し悩んだのだけど、蜘蛛の巣を掃除して綺麗にとってしまった。するとそこにはなにもない、ただの日常の平穏な風景だけが残った。これでよかったのだ、と繭は思った。(掃除はとてもよいことだし)繭は「いってきます」と言って中学校に登校した。それから、いつものように、がんばって勉強して「ただいま」と家に帰ってくるときにも、玄関は綺麗なままだった。蜘蛛も蝶もどこにもいなかった。昨日あったできごとは、実は、もうあんまり覚えていない。(昨日はあんなに、ずっと頭の中に残っていたのに……)きっともうすぐ私は蜘蛛が蝶を捕食した瞬間を見てびっくりしたことを生活の中でいつの間にか忘れてしまうのだろうと思った。でも、それでいいのかもしれない。

 私は今日も元気だった。若くて、健康だし、生きることにはなんの問題はない。だから忘れてしまっていいのだと思った。(昨日は、ちょっとだけびっくりしただけなんだ)

 それから繭は私が大人になって、もしどこかで昨日のような風景をたまたま見たとしたら、そのとき私はどんなことを思うのだろう? と思った。十四歳の中学生のころの真っ青な空と、大きな白い雲と、照り付ける眩しい太陽の日差しと、汗だくになっている私がいる、とても熱い夏の日のことを思い出すのだろうか? ……、蜘蛛と蝶の思い出と一緒に。

 そのときの私はいったい世界のどこにいるのだろう? 私はそのとき、ちゃんとなにかの夢を見つけて、幸せに暮らしているのだろうか? ちゃんと毎日、笑っているのだろうか? とそんなことを繭は玄関のドアを開けるときに思った。


 とても醜いもの。 終わり

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