その夏、一瞬の恋、永遠の恋

Tempp @ぷかぷか

第1話 その夏、一瞬の恋、永遠の恋

 その日はちょうど良く晴れていた。人通りの多い交差点で大きな声に振り返れば知らない男が奇声を上げながらこちらに走りこんでいた。その手元が太陽にキラリと反射して、包丁だとわかったときはもう目の前。高校2年の夏。バド部のインハイが終わってちょっと遅めの夏を満喫するために街に遊びに来ててって……これってきっと走馬灯だよねと呑気に思いつつ、包丁が刺さりそうになってギュッと目を閉じた。

 けど、どこも痛くならなかった。包丁はまっすぐお腹に向かっていたのに。だから本当は夢でも見ているのかなって思った。

「大丈夫か!」

 その声に恐る恐る目を開ければ至近距離にスーツの知らないおじさんの顔があって、多分三十代後半くらいでさ、ちょっと垂れ目がちな顔が私を心配そうに見おろしてて、その人は私と通り魔の丁度間にいたんだけどさ、それで押さえていた通り魔の腕を捻り上げてあっという間に地面に押さえつけたんだ。その一連の鮮やかな動きにすっかり驚いた私はピクリとも動くことができなくて。

 その直後、おじさんは手早く通り魔を取り押さえて通り魔のネクタイで腕を縛り上げて、警察を呼んでくるって言って人混みに紛れた。

 突然のことにポカンとしてた私はお礼も何も言えずにいた。

「なんていうか、凄いかっこよく見えたんだよ。なんか全体的にキリッとしてて賢そうでさ」

果子かこ、それ吊り橋効果ってやつじゃないの?」

 私がこの話を始めると武流たけるはいつも面倒くさそうにそう呟く。武流は家も隣で教室の席も隣の幼馴染だ。秋になっても夏みたいな日差しは続き、ベランダ際の席の武流にだけ太陽が燦々と照りつける教室の窓際で、ぐったりした武流とそんな話をするのがなんだか日課になっていた。だから武流にとってこの話は耳タコで、きっとすごくつまらない話。

「とにかくその時、そのおじさんが運命の相手だと思ったわけ」

「おじさんねぇ。でもどんな顔だかも覚えてないんだろ?」

「いやだからめっちゃかっこよくって」

「かっこいいじゃわかんないし」


 実のところ、武流がいうとおりその人の顔っていうのははっきり覚えていないかもしれない。そのあと何度か警察の事情聴取ってやつであのおじさんについて聞かれて、警察でも探してるらしいけど、あのおじさんが誰だかはわからないらしい。おじさんを至近距離で見たのは私だけだった。通り魔の方はよくわかんないけどなんだかムシャクシャしてやったとか言ってるらしい。でも私にとって大事なのはそのおじさんの方で。

「ハァ……」

「立派な恋煩いだねぇ。お前がおじさん好きとは知らなかったよ」

「や、そんなんじゃないってば」

 武流は読んでいた本をパタリと閉じて、つまらなさそうに私の方を向く。

「でもどこの誰だかわかんなきゃ、どうしようもないだろ」

「そうなんだよね」

「あきらめなよ」

「それができればねぇ」

 本当にどうしようもない話。どこのだれだかもわからない人。

「だから私決めたの! タイムマシンを作ってあの時に行って、おじさんが誰だか見つけるんだ!」

「ハァ?」

 武流は信じられないとでも言うようにぽかんと口を開けたけれど、あのおじさんがいなかったら私は多分生きてないだろう。だからお礼したいっていうのは変なことじゃないと思うんだ。それにもう1回会いたかったし。


 そんなわけで私はそこからすっごく勉強して、絶対無理って言われてた神津こうづ大学の理学部に入った。

 当然のように武流も入学した。武流はなんだかんだ頭が良い。神津大学はこのへんで一番の偏差値の大学だ。タイムマシンを作るのに何学部がいいのかわからなかったけど、神津大学の理学部は1年時は共用科目で関連しそうな講義を取っていい研究室があるか吟味できるって聞いたから。武流から。

「なあ果子。そのおっさんって30後半くらいだったんだろ?」

「うん、ぱっと見だけど多分」

「今40くらいとして、年倍じゃん。結婚して子どもとかいるんじゃね」

 武流はやっぱり面倒くさそうにそう呟く。

「その時はお礼だけ言えばいいし……」


 それは私も少し前から思っていたことで、指摘されるとちょっともやもやとした気分になる。私はそのおじさんに一目惚れをした。高2の当時はなんだか浮かれていたけれど、2年も経てばちょっとは落ち着いてくる。どんな人だろうって考えて、今私は20だけどおじさんが40になってたとして、年齢だって倍じゃん。

 冷静に考えてこの年齢差で付き合う男の人とかちょっとどうなのかとか、思わなくない。だからおじさんを見つけても付き合ったりはできないんじゃないかと思っていた。でもせめてお礼だけは言いたい。最近私の大部分を占めるのはそんな気持ち、ということで納得しようとしてた。

 でも本当は最初に会ったときから、私にはあの人以外にいないんだっていう妙な確信があったんだ。

「だからさ、その、果子、俺と付き合わない?」

「はぁ? なんで武流と」

「や、ごめん、冗談だし。その、20も年上よりはってさ」

 その小さくなる語尾に顔を上げれば武流はなんだかとても、居心地の悪そうに目をそらした。幼馴染だけど、こんな武流を見るのは初めてかもしれないことに思い至る。

「え、まじな話?」

「……うん」

 武流は小さな声で視線をそらす。

 周りを見渡せばたくさんの人間がざわめいていたけれど、こちらを気にする人間がいないことにホッと胸をなでおろす。急にドキドキしてきた。急すぎる。これまで武流にそんな素振りなんてあったっけ? 思い返してもよくわからない。

「学食でカレー食べながらコクる? 普通」

「や、タイミングがよくわかんなくてさ」

「ごめん。今はちょっと考えられない、かな」

「そのおじさん見たのって、一瞬だろ?」

 その語気は、武流にしては珍しく強かった。

 確かに見たのは一瞬なんだけど、でも好きになったんだよ。もう大丈夫だってすごく安心できてさ。自分でもなんか変だと思うけど、それって一目惚れなんだと思う。

「それにすぐいなくなっちゃったんだろ? それってやっぱ」

「それ以上言わないで!」

 無意識に私の語尾も強くなる。なんとなく決心がグラつきそうだったから。


 武流の言いたいことはわかる。結局のところ、あの人はあの現場から逃げたんだ。警察が来る前に逃げたってことはひょっとしたらヤバい人、警察に見つかっちゃ駄目な人なのかなって。少しそう思った。でもあの人がどんな人なのかは結局わかんないし、考えたって意味がないじゃん。会って、お礼をいってそれから考えれば良いことで。

「ごめん、あの人にお礼を言わないと、他のことは考えられない」

「そっか……でもまあ、タイムマシンができたら区切りがつくってことだよな?」

「そりゃそうかもしんないけどさ、いつになるかわかんないよ」

 タイムマシンを作ろうだなんて途方も無い話で、そもそも実現するかなんてわかんない。そんなこともわかってる。だからただ、諦めたくないだけかもしれない。

「果子、強情だしな。それって多分、タイムマシンができるまでは誰とも付き合わないってことだろ?」

 武流は麦茶のコップを引き寄せながら呟く。

 それは、そうなるのかな? でもそれって私って一生結婚しない宣言では。一瞬そういう考えが頭によぎる。でもあのひとは運命の人だ。冷静に考えるとそれは勘違いかもしれない。でももう1回会って運命の人だと感じるなら、やっぱり運命の人なんだと思う。

 だからやっぱりもう1回会うまで、諦めるなんてできない。

「まぁ、運命の人なんだったら仕方ないよね。俺も手伝うよ」

 武流は諦めるようにそう呟いた。武流は幼馴染だから、私の性格はよく知ってる。でもそれからその話が話題に出ることはなかった。全く。だからひょっとしたら全部冗談か、不毛な私の試みを諦めさせるために言ったものなのかなと思い始めていた。

 そしてとうとうタイムマシンが完成したとき、やっぱりそうなのかなって思った。


 だってその時、私は35だったから。

 35かぁ。ちょっとため息は出た。今どき結婚が遅いわけじゃない、きっと。でも私があの人と出会ってから18年も経っていて、あの人があのとき35だったら今は53だ。あの人がどんな人かはやっぱりわからないけれど、私とあの人の年の差は縮まらないまま新たに18年、つまり私がもう1回が生まれてからあの時までと同じ時間が経過した。

 53、かぁ。普通は人生設計なんてすでにきっちり出来上がっていて、今更新しく私が入る余地なんて、全然ないんだ。過去に戻って顔写真をとってきて、そこから探す。それでお礼に行ったとしても、あの人は私のことなんてきっともう覚えていないだろう。ひょっとしたらもう亡くなってるかもしれない。そのくらいは長い時間。

 そう考えると、これまでの自分の努力がとても無為に感じてくる。

「どうした、果子。これから最終実験だろ」

「うん、そうだね」

 気を取り直す。目の前には大きな合金の箱。理論上、その箱の中で現在の空間と過去の空間を入れ替える。交換可能な時間は理論値で3分。カップ麺ができる程度の時間。


 私たちの研究は無駄じゃない。だって私はこの研究で様々な荷重に耐えられる合金を開発して工学博士として有名になって、武流は時空跳躍理論を作った量子力学者として華々しい研究成果をおさめて相応以上の地位を手に入れている。この研究の結果が私の目的に対して無意味だったとしても、私と武流の人生には価値がある。それであの人が私を覚えていなかったら、区切りをつけて今に向き合おう。……もし武流がまだ私を好きなんだったら。

「じゃあ行こうか」

 ちらりと見た武流からは、そんな素振りはちっともなかったけど。

「武流はなんでそんな楽観的なの。ひょっとしたら失敗するかもしれないんだよ」

「大丈夫だよ。俺が理論考えたんだし。それに大丈夫だと思うんだ、ここまできたらね」

「ここまで来たら……?」

 なんでもないことのように言う武流に少しだけ混乱した。過去に送ったカメラはちゃんと過去の映像を映し出した。カメラを首輪につけた動物もちゃんと帰ってこれた。けど、人で試すのは初めてだ。もし、失敗したら? 私なんか不安でさっきから動悸がおかしい。

「そんなこといってもさ」

「まぁまぁ、大丈夫だよ。ところで果子はその格好で行くの? 浮かない?」

「え?」


 その武流の言葉で改めて武流の格好を見れば、珍しくスーツを来ていた。いつもラフな格好なのに。テンパっててそんなことも目に入ってなかったみたい。でも確かに、私が着ている白衣で街の中に出ると浮いてしまうかな。そんな事を考えて白衣を脱いで近くの椅子にかける。

「じゃぁ、行こうか」

 武流の手が伸ばされた。なんでそんなに自信満々なのかよくわからないまま、その狭い空間に収納される。80センチメートル四方×2メートル。だから必然的に武流とくっつくことになる。

 あとはプログラムをスタートするだけだ。18年前の事件の起こった時間の1分前、その座標から20メートル以上離れた場所への転移が設定されている。そして過去の空間の中で物質が存在しない場所を検知し、私と武流が入るこの空間の質量と交換する。帰るときは転移したのと同じ場所にいさえすれば、転移された物、つまりマーキングされた私と武流が現在のこの箱の中に戻る。


 武流は予告もなくプログラムをスタートさせた。

「あ、ちょっと、心の準備が」

「今更そんなもの必要? 大丈夫だよ、それに行くって決めてるでしょ?」

「それはまぁ、そうなんだけどさ」

 決めてることと心の準備って違う。やっとあの人に会えるんだ。なんだかそんな期待に胸を膨らませていると、武流がそっと私を抱きしめた。

「あの、そういうのは」

 そう思ってなんだか違和感があった。違和感というか、妙な安心感が。武流が大丈夫というなら大丈夫なような。それとちょっと違和感。

「武流、ひょっとして運動してる?」

「うん、まあ。そろそろ健康に気をつけないとっていうか、あと護身術? それで俺、わかっちゃったんだ」

「わかったって、何が?」

「果子、俺は待ったよ。かれこれ18年くらい」

「それは私も同じ……」

「長かった」

 見上げた武流は感慨深げに少しだけ笑っていた。

 あれ? なんかデジャブがある。

 その瞬間、強い光が差し込み、上を見上げれば狭い箱じゃなくて暑い暑い夏の空が広がっていた。ひんやりとした箱の中との違いに目が眩む。そうして気がつけば、私を抱きしめていたはずの武流が走り出していた。

「ちょっと!」

 予定が違う、叫ぼうとして私は呆然とした。少し先の路面で高2の私が立ち尽くしている。本来の予定では、武流が座標を記録するマーカーとしてこの場所を動かず、私が近寄ってその人の動画を撮る予定だった。武流が行ってしまったから、私は動けない。だから私はカメラを構えた。思わず肩が震えた。そして録画を始める。

「まさか、嘘」

 ファインダーの向こうでは、あの人が私をかばって通り魔を抑えるのが映った。そしてネクタイでその腕を縛り上げ、それから……一目散に私のところに戻ってくる。

「時間だ。間に合うのも知ってたんだけど」

 清々しい笑顔にやっぱり呆然としたその瞬間、気がつけば狭い箱の中にいた。私たちの今に戻ってきても、私の体はまだ震えていた。嘘。じゃあ、あの人は。

「嘘。何で」

「そりゃ、俺は果子が執念深いのを知ってるし、きっとタイムマシン作れると思ってたんだ。それで一緒に行くなら俺だろう? こうなることは3年くらい前からわかってた」

「でも」

 武流はやり遂げたようににこにこと私を見下ろしていた。

「やぁ、人が恋に落ちる瞬間ってやつを目の前でみるとは思わなかったけど、やっと18年を帳消しにできたよね? 果子、付き合おう」


Fin

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