第3話 短編とは短い作品であり、つまり、短い枚数で終えなければならない。
第四十八回川端康成文学賞を町屋良平の「私の批評」が受賞しました。
受賞の言葉の中で「短編小説はただ短いお話というだけではまったく物足らない性質を宿命的に含み、ゆえに長編小説とはまた違った思考とアプローチとが要る。ここに小説という表現形式の性質が詰まっているように思えてならない。」と書いています。
一見、それと正反対のことを書いているのが「給水塔と亀」の津島佑子の選評です。
「『給水塔と亀』を読み、そうか、短編の魅力とは作中でいかに語らないか、ということに尽きるのかな、と当たり前といえば当たり前すぎることに気がつかされた。むずかしく考える必要はない。短編とは短い作品であり、つまり、短い枚数で終えなければならない。」
しかし、二つを比べて注意深く読んでみると、どちらも短編小説を長編小説のように書くべきではない、という意見で共通しています。
ちなみに津島佑子は、その後に短編小説は読者の読み方も長編小説とは異なることを指摘しています。
「(短編とは短い作品)それは、いかに語らないか、という作者の側の抑制につながるのだし、読者の側からすれば、自分の想像力をどれだけ短い作品からひろげられるか、という試みにもなるだろう。だからこそ、短編を読むときの楽しさは、読者にとって、長編よりも主体的な喜びになり得る。」
僕が初めて短編小説に対して「自分の想像力を」広げられるか試みた作品は村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」でした。
最初、読んだ時に浮かんだのは結局これはなんなのだろうか? という疑問でした。収録されている短編小説はすべて「いかに語らないか」を徹底しており、分かりやすい回答を避けて終わります。
僕はその度に、足りない頭で考えるほかありませんでした。
この小説から僕は何を得られるのか、と。
当時の僕は「ノルウェイの森」を読んだばかりで、村上春樹やばい! と興奮していたところがあって、同様の熱を得られると思って「神の子どもたちはみな踊る」を手にとりました。
実際、本を開くと最初にドストエフスキーの「悪霊」の一節とゴダールの映画「気狂いピエロ」の一節が引用されているのは、個人的にこれこれ!となります。
高校生は頭良さげな小説や映画の引用は大好物なんです。
このこじらせた中二病心によって、僕は「神の子どもたちはみな踊る」を何度も読み返し、引用されている一節と各エピソードの繋がりを必死に考え理解しようとしました。
津島佑子の書く短編小説の「主体的な喜び」の種はここにあったように思います。
ちなみに当時の僕はライトノベルでいうと「魔術士オーフェン」と「アリソン」が最高だと思っていて、児童書で言えば「ダレン・シャン」派でした。
「魔術士オーフェン」には無謀編という短編シリーズがあります。
こちらは「いかに語らないか」とは正反対だったように思います。
小説を読んでいるのに良質なアニメを一話みたような読後感で、リアリティは度外視でとりあえず面白いことが起こる。それだけは信用してくれて良い、みたいなテンションだったと記憶しています。
ライトノベルにはライトノベルの短編小説におけるルールがあります。
ただ、この辺に関して参考文献にできそうな本が手元にありません。あくまで、僕の印象でいうと、「魔術士オーフェン」や「フルメタル・パニック」を始めとする富士見ファンタジア文庫には短編における一定のお約束があった気がします。
しかし、富士見ファンタジア文庫に限定してしまっては見えなくなってしまうものがありますので、あえて広くライトノベルの短編と視野を広げて考えると、長編小説を引き立てるスパイス的な位置づけなのではないかと思います。
などと書くと、サブコンテンツ的なニュアンスになりますが、短編だから普段は日の目を見ないキャラクターにフォーカスされる話は読者としては嬉しいものがありました。
長いシリーズを読んでいるからこそ、光る短編小説が出て来たりもするので、ライトノベルシリーズを買い揃えている時は短編も無視できませんでした。
最後に僕がライトノベルにどっぷりハマっていた頃の話を一つ。
今はどうか分かりませんが、当時電撃文庫を買うと「電撃の缶詰」という電撃文庫関連の折り込み広告チラシが入っていました。基本的には新刊とかアニメ化した作品の紹介なのですが、一枠だけ電撃文庫作家の短いエッセイが載っていたんです。
そのエッセイで上月司が書いている回があり、その内容が高校受験の最中、海が見たくなって何時間も歩いて海を見に行った、という内容を書いていました。
当時の僕はこのエピソードに心打たれたのを覚えています。
以降、何かしんどいことがあると、僕は海は無理だけど川を見に行くか、と散歩するようになりました。十代は影響を受けやすい時期というのは本当ですね。
三十代になった今も、川をぼんやり眺める時間は好きです。
僕の心の一部には間違いなく十代に読んだライトノベルがあります。
●
さて、次回予告です。
こうして書いてみて思うのですが、僕のことを知らずにこのエッセイを読んでくださっている方がどれくらいいるんでしょうか?
それなりにいるのではないか、と思いますので、次は日常エッセイにさせてください。
僕の日常に誰も興味ないかも知れませんが、お読みいただけたら嬉しいです。
明日もよろしくお願いいたします!
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