第2話 もしも、恋人が二人になったらどうするか?
誰もがしたことがあるだろう雑談に「もしも、◯◯だったらどうする?」というのがあります。
例えば、「もしも、宝くじ3億円当たったらどうする?」みたいなやつです。
ちなみに僕が今日、3億円が当たったら妻とディズニーランドへ行く予定を立て、職場に時短申請を出し、新しいパソコンと思う存分の本を購入します。
読書と文章を書く時間を確保し、「3億円当たった小説家志望日記」と言うエッセイの連載をカクヨムではじめます。
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さて、そんな夢のある「もしも」な雑談話ですが、もっと現実的な「もしも」を考えることで良質な短編小説になる場合があります。
第39回川端康成文学賞が津村記久子「給水塔と亀」という作品でした。
まず、川端康成文学賞とは「審査の対象は短編小説とし、その年度における最も完成度の高い作品に」与えられる賞です。
そんな賞を受賞した「給水塔と亀」のあらすじは、定年退職した独り身の六十代の男性が「頼るものは特にないのだが」故郷に帰り生活をはじめる、というもの。
津村記久子は受賞の言葉の中で、東京で亡くなった青森出身の男性の話をテレビで見て、彼は「たまたま亡くなってしまっただけ」で、もしも「故郷に帰っていたらどんな感じだったか」「親も兄弟も親戚も知人もいないとして、故郷はその人にとって、再び辿り着きたい場所なのか。血縁のない場所に戻って、その人は何を見ることになるのか」が、この小説を書くきっかけだったと書いています。
ちなみに第39回川端康成文学賞は2013年で、津村記久子は当時35歳。
六十代の男性の内面を書くことについては選評の中で辻原登が「六十年を実際に生きてみなければ、六十年を感得できないというのなら、小説世界は成立しないことになる。その半分の時間しか持っていない人間にも、想像力とわざさえあれば実現可能なのだと納得させられた」と評しています。
ここで重要なのは「想像力とわざ」という部分。
「わざ」に関しては書き続けて体得していく他ありませんが、「想像力」については、「もしも、〇〇だったらどうする?」の延長線にあるように思います。
さて、ここで自作について舵を切りたいと思います。
お付き合いいただければ幸いです。
今回、このエッセイと同時に更新をしている短編「僕は蛇の抜け殻に触れられなかった。」は以下の「もしも」から考えました。
もしも、恋人が二人になったらどうするか?
皆様だったら、恋人が二人になっていたら、どうしますか?
まず、原因について考えると思うんです。これは偶然なのか、必然なのか。
仮に偶然なら、僕にはどうしようもありません。ただ、必然だった場合はきっかけがあるはずで、このきっかけはもしかすると、自分かも知れない。
しかも、僕はその日、恋人にプロポーズをしようと思っていた。
という思考のドツボに嵌ってしまう話が「僕は蛇の抜け殻に触れられなかった。」となっております。
この短編は今年の春頃に書いたもので、僕はこの時期に結婚をしました。
なので、津村記久子の「給水塔と亀」のように自分とはまったくかけ離れた主人公を置いて「その人は何を見ることになるのか」という想像をしたわけではありません。
自分と近しい存在として主人公を置いて、ただ僕が辿らなかった道の先にある景色はどのようなものか? それを見ようと思いながら書いた短編小説になっております。
よろしければ一読いただけたら幸いです。
また、コメントなどもいただけたら咽び泣くほど喜びます。
作品は以下です。
https://kakuyomu.jp/works/16818093089179428834
●
次回予告です。
「給水塔と亀」の津島佑子の選評の中で「そうか、短編の魅力とは作中でいかに語らないか、ということに尽きるのかな」と書いていらっしゃいます。
こちらを引用して短編考察へとつなげたいと思いますので、よろしければ明日もお付き合いください。
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