第3話 強敵! メイド長登場!!

「アデリーヌ、王妃様のもとへお茶を運びなさい」


 翌朝、今日こそ御主人様に計算問題をやらせようと問題を選んでいると、痩せこけて背の高いメイド長、ジェルレーヌが高飛車にキンキン声で命令した。


 まただ。

 ジェルレーヌは白髪まじりの黒髪を引っ詰め、後ろでお団子にしていて、とにかく口やかましいのでメイド仲間には敬遠されている。


「皆忙しく働いているのですよ。それをなんですか、あなただけ机に向かって」

「ジェルレーヌ……様、今、御主人様の勉強の用意をしております」


 家庭教師とメイド長、実際には家庭教師のほうが上なのだけれど、私は年も若いし大体メイド服を着ている。私の中では年上を敬う気持ちで、一応メイド長のジェルレーヌには「様」をつける。


「勉強は朝のお茶が終わってから。違いますか?」

「ですから、その準備を……」


 勉強というのは、生徒に合わせなければならない。

 難しすぎても簡単すぎてもやる気を失ってしまう……今のところ御主人様にやる気は見えないけれど。


 そう、だからこそ、どんな計算問題なら取り掛かってもらえるのか、真剣に考えているのに。

 準備が必要、なんてことは、メイド長の頭の中には無いのだろう。


「ジェルレーヌ様、私は御主人様の家庭教師です。メイドではありません」


 メイド長の顔が赤く染まった。

 腰に下げた鍵束をジャラっと鳴らす。これが彼女の権威の象徴だ。


「なら、なんでその服を着ているの?!」


 宮廷にいる黒と白のメイド服を着た者で彼女に口ごたえするものなど、一人も居なかったに違いない。


「こちらのほうが動きやすいので。御主人様の許可は得ております」


 もう一つの理由は、言えない。

 こっちの問題のほうが実は深刻なのだけれど。


 神聖な魔力を発現させられなかった私は、代々魔力で国王をお守りしていた一族からのはみ出し者。

 着の身着のままで王宮に送り届けられたから、代わりのドレスは持っていない。


「ドレス代を仕送りしてください」


 と、何度もお願いの手紙を出したけれど返事は一度もなく、私は仕方なくお仕着せのメイド服を着るようになった。

 これなら気安い衣装係の老メイドにお願いすれば、三日で寸法にあった物を縫い上げてくれる。


「……良いから、紅茶を運びなさい!」


 あああ、メイド長のこめかみの血管がピクピクして今にも破れそう。

 こんなところで喧嘩していても、なんの得も無いわ。


「はい。分かりました」

「最初からそう言えば良いものを!」


 あらら、息が上がっているわね。

 ここで逆襲の一撃をば。


「王妃様も、伯爵令嬢アデリーヌがお茶をお運びしたほうが、話し相手ができてよろしいでしょう」


 決定的な一言を口にすると、メイド長は棒のように固まり、震え始めた。


「よろしい! アデリーヌ伯爵令嬢、私がお運びしますっ!!」

「ありがとうございます」


 頭から湯気が出てるみたい。

 身分のことは言いたくなかったけれど、背に腹は代えられない。

 

 私はもう一度座り直すと、蝋板ろうばんに兵士の隊列を書き始めた。

 縦十列、横五列、合わせて五十人。

 

 これなら掛け算に興味を持ってもらえるかな?


「アデリーヌ、何をしている」


 御主人様の声がした。


「まあ! メイド部屋まで……いけません。勝手に入ってはなりません」


 昨夜の悪戯の犯人では、という思いがちらっと頭をよぎる。

 シーツの二つ折り、あれは本当にイライラしたわ。

 でも彼はちっとも悪びれたところはなく、


「なかなか来ないから探しに来たのだ」

「これは申し訳ありません。すぐうかがいます」


 レイモンは部屋の中を見回した。


「あの暖炉の前の大きな椅子が、メイド長ので間違い無いか?」

「はい、そうですが……」


 天使のような顔がニマアッと笑った。


「じゃあ、行こう」

「はい、御主人様」


 戻ってきたメイド長とは、ドアのところですれ違った。

 新米メイド、アデリーヌの告げ口でもしてきたのかしら?

 王妃様になだめられたのだろう、ご機嫌は直っている。

 

「殿下、ご機嫌うるわしい御様子、ジェルレーヌも嬉しく存じます」

「うん。とても良い。お前が、アデリーヌをいじめなければ」

「そんな、とんでもないことでございます」

「なら良い」


 御主人様は妙にゆっくり廊下を歩くので、私はぶつかりそうになってしまった。


「御主人様……?」


 御主人様は人差し指を唇に当て、足音を忍ばせてメイド部屋のドアまで戻った。


 その時。


「きゃあああーーっ」


 絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

 メイド長だ。


 あわてて駆け込もうとする私を、御主人様は制した。


「僕の家庭教師をバカにした罰だ」


 すごい勢いでメイド長が飛び出してきた。

 廊下の左右を見渡している。

 私と御主人様は、ドアの陰で見えない。


「もうっ!」


 メイド長は、犯人を取り逃がした憲兵隊長のような雰囲気を漂わせて、部屋に戻った。

 お尻に泥色のヒキガエルをくっつけたまま……。


「いけませんわ」


 あのまま座ったらカエルさん潰れちゃう。


「ジェルレーヌ様……」


 私はこわごわ呼びかけた。


「カエルが……お取りしましょう」

「ひっ! カエル!」


 御主人様の悪戯だとはわかっていた。


「アデリーヌ、おまえ、カエルは平気なのか?」

「はい、こう見えても元聖女候補者、生き物全てに愛情を注ぐようしつけられてきましたから」


 私は蝋板を御主人様に渡すと、メイド長のお尻からカエルを抱き上げた。

 メイド長は自分の椅子のクッションをひっくり返したり、椅子の裏側をのぞいたり、カエル以外の仕掛けがないことを一生懸命確かめている。


 私は腕の中のヒキガエルを見た。

 醜いと言われ嫌われるけど黒くてつぶらな瞳はかわいい。

 そして、大きい。

 御主人様ったら、池一番の大物を捕まえてきたのね。


「さあ、行きましょう」

「どこへ?」

「お庭の池に放してやります。それから、小さい生き物に悪戯をしてはいけません」

「分かった」


 妙にしおらしく返事をすると、レイモンは私のあとから着いてきた。

 池は、庭の奥、腰丈に刈りそろえられたツゲの迷路の奥にある。


「もう、捕まっちゃだめよ」


 私はそう言いながら、ヒキガエルを池に放した。

 昔話では魔法をかけられた王子様がヒキガエルになったりするけれど、あのヒキガエルは本物らしい。

 スイスイと池を泳いでいく。


 私は蝋板を御主人様に渡したままだったのを思い出した。

 もしかして、御主人様があの意地悪メイド長から守ってくださった?

 あの悪戯は私のため?

 

 そんな疑問を抱きつつ御主人様の方を振り返ると、刈り込まれたツゲに寄りかかっていた御主人様が突然言った。


「五十人」


 蝋板を眺めている。

 え、空耳でしょうか?

 はい、答えはあってます。


「掛け算の基本だろう。次はもっと難しいものを」

「え、は、はい。御主人様」


 む、む、む、む。

 無能を装ったふりでちゃんとできるとは。

 今までのやる気のないふりはなんだったのーーーー!


「ではとびきりの難問を準備いたしますので、お部屋に戻りましょう」


 胸を弾ませて私がお誘いすると、


「べーだ」


 御主人様は迷路の中に蝋板を投げ込んだ。


「やなこった! 追いかけっこだ、アデリーヌ!」

「御主人様!!」


 一難去ってまた一難。

 私は迷路の中を、御主人様の後を追って走る。


 息が切れる。

 メイド服が小枝に引っかかって小さな音を立てたかもしれないけれど、気にしない。


 あの悪戯で、メイド長の私へのあたりが柔らかくなるとは到底思えない。

 もっと厳しくなるかもしれない。

 でも、メイド服を着ると決めたときからこうなることは分かっていたのです。


 御主人様、アデリーヌは自分の身は自分で守れます。

 他の人に悪戯をしないであげてくださいな。

 カエルさんにも。

 

 「ホイ、蝋板だ!」


 御主人様の声につられて横を向いた隙に、金色の頭は迷路の中に見えなくなった。


 そして今日も勉強の時間はなくなっていく。

 家庭教師として、私は自分の勤めを果たしていません。

 七歳の男の子に追いかけっこはそんなに楽しいのでしょうか?

 

 クタクタで足が棒のようですわ。

 今日もやっぱり、神様、あんまりです。



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