第2話 私はアデリーヌ

私は宮廷の半地下にある厨房ちゅうぼうの隅で、パンとスープだけの軽い夕食を摂った。


「アデリーヌ、いつも大変だね」


 赤ら顔で体格の良い料理長が、濡らした布を渡してくれた。


「ありがとう」


 後頭部に当ててみたけれど、髪が邪魔でたんこぶに届かない。

 私は代わりに額に押し当てた。


 ああ、冷たくて気持ちいい。

 厨房は炉の熱で夜になっても暖かく、私はゆっくり手足を伸ばした。

 

「あんたが来てくれるまでレイモン殿下はここに入りびたりでね」


 料理長が腕を組んだ。

 もとは歴戦の勇士だという。


「戦の話を聞くだけじゃ足りなくて、麺棒で勇者ごっこをして……」


 懐かしいものを思い出すように、料理長の目が細められた。


「ただ、ここには危ないものが多すぎるから……」


 包丁はじめ刃物類、煮え立った湯に油。


「あの元気な王子様だ、並のメイドじゃあ、相手にならない」


 そこで私か。

 伯爵家の生まれ、幼い頃から文武両道で目覚ましく、一時は国一番の花嫁候補とも言われていた私。


「汗かいただろう、そこの桶に湯を持って行かせるよ」

「ありがとう」


 料理長はニコリと笑い、私はランプに灯を入れてもらって部屋に帰った。

 

 メイド用の相部屋ではなく、小さな窓のある狭い一人用の部屋。それだけが「家庭教師」のあかしだ。

 ランプを戸棚の上に置き、水指みずさしに水が入っていることを確かめる。


 メイド服を脱ぎ、肌着姿になると、完全に仕事から解放された感じがして、思わず大きなため息をつく。


 届けてもらった湯にタオルを浸してギュッと絞り、体を拭いた。

 伯爵邸にいた頃は毎日お風呂に入るのが当たり前だったけれど、今は週に一度の贅沢。それ以外の日は体を拭くだけだ。



 華奢でよく締まった(と信じている)体型に、程よい大きさ(と強く信じている)の胸。

 国で一番流行のドレスが似合う令嬢と呼ばれた私。

 

 白黒のメイド服は、女らしい曲線美を半減させてしまう。


 それで良いのかもしれない。

 宮廷という華やかな表舞台とは違う、裏舞台にしか立てない私には。


 壁にかけられた手のひらほどの鏡に自分を映してみる。


 髪は陽に包まれた麦の色、瞳は緑と金色が混じった神秘的なヘイゼル。

 皆に称賛される白い肌は、この明かりでは透き通って見える。


「毎日あれほどお肌の手入れをしていたのに」


 美しさだけじゃない。乗馬だって球技だって令嬢たちは誰一人私にかなわなかった。


 それなのに。


 


 十七歳になった今も覚えている。


 十三歳の初夏、聖女の認定試験と言われ、おめかしして中庭の芝生に立った。

 

 やることは簡単だった。

 白に金の縁取りのある特別な衣装を着た神職様が、私にバラのつぼみを渡した。

 この純白のバラは、神職様御自身が神殿の花壇から摘んでいらしたもの。


「咲かせてごらん」


 と、父に言われた。


「祈ればできるはずだわ」


 母も言った。

 けれども、つぼみは固く閉ざされて開くことはなかった。


 がっかりした神職様の横顔。


 フレールサクレ家は神に仕える聖女を出す特別な家柄だったのだ。この家の血を引く者は誰でも聖なる魔力を持つことになっている。

 聖女に選ばれるのは飛び抜けて強い魔力を持つ女性だ。


 それが……神聖なバラのつぼみは反応しない。


「このお嬢さんには、聖なる力は無いようですな」

「そんな、まさか」


 私自身が一番信じられなかった。

 フレールサクレ家の血を引き、令嬢たちの中で特別に美貌で目を引く私は、いつしか「聖女に選ばれて当然」と考えられていた。


「そんな……私は違ったのですか……」


 神職様は私に向き直り、


「アデリーヌ・ド・フレールサクレ嬢、聖女になることだけが神に仕える道ではございません。日々の勤めを怠らず、お過ごしなさい」

「はい。神職様」


 母が取り乱していた。 


「まだ、まだ、聖女はマデリンが健在だから。それに、神職様、我が家にはもうひとり、十歳のクレアという娘がございます」

「では、三年後に」


 母が必死になるのも無理はない。

 我が国の王妃様はご高齢で王子レイモン様に恵まれ、その際に嘘か真かわからないが神様のお告げがあったという。


『王子を守る聖女を遣わす。ともに国を守るが良い』


 それ以来、神殿の雑用係みたいに思われていた聖女の格が、ぐんと上がった。

 代々聖女を出していた我が伯爵家には、特別の名誉が与えられた。


 人目を引きがちだった私は、聖女候補にまつりあげられて、あっちの遠乗り、こっちのお茶会と引く手あまた。


 でも、それも、聖女試験に落ちる日まで。

 お誘いはピタリと無くなった。


 お付きのメイドもみんなクレアの方に異動させられた。

 毎日の食事にも私は呼ばれず、使用人たちと同じ粗末な食事が出されるし、もちろんドレスや装飾品も買ってもらえない。

 隠れて図書室の本を読むくらいが、唯一の楽しみだった。


 叔母のマデリンも間もなく亡くなり、聖女の空位を心配する者の多い中、私の妹クレアが見事に純白のバラを咲かせて、聖女の地位についた。


「お姉様にできなかったことが、私には簡単にできましたわ!」


 緑の目を輝かせ、勝ち誇ったようなクレアの笑いが、いつまでも心に残る。

 国じゅうが祭りのようになり、


「聖女様だ! 聖女様のお通りだ!!」


 ベールの奥にクレアを隠した金ピカの輿こしが、王都じゅうを練り歩いた。

 私は部屋にこもり、耳をふさいだ。鎧戸よろいどまで閉めておいたのだけれど、熱狂は伝わってくる。


「派手好きなクレアにはお似合いね」


 王子様と国を守る義務についてこんこんと諭され、勉学にも運動にも励むよう厳しくしつけられてきた私とは好対照。

 クレアはなんの努力もせずにバラを咲かせ、聖女になった。


 そして、その時点で、私は伯爵家で完全に要らない者になった。


 あてがはずれた聖女候補の伯爵令嬢なんて、なんの価値も無いのでしょうか?

 聖女候補でなくなって、私の何が変わったというのだろう。

 聖なる魔力がない。

 

 それでも私はずっとアデリーヌのままなのに。


 伯爵家のみんなに冷遇され、世をすねていたとき、思いがけないお声がかかった。

「文武両道のアデリーヌ」とは呼ばれていたが、まさか王子様の家庭教師にと請われるとは。


「どうぞどうぞ」と両親も喜んで賛成し、私は体よく伯爵家から追い出されてしまった。


 

 

 宮廷は広い。

 三階建ての実家も広いと思っていたけれど、その倍以上広かった。


 私と両親を乗せた馬車は中庭に通され、そこで降りるよう言われて戸惑う。西も東もわからないのに。


「おまえはもう家の娘じゃない。ここで食べていけ」


 馬車から蹴り落とさんばかりの勢い。

 あの、私、そんなに悪いことをしました?



 途方にくれて周囲を見回すと、中庭の正面に重厚な螺旋らせん階段があり、その手すりを何かきらびやかなものが滑り降りてきた。

 そのあとから、


「王子様、いけません!」

「殿下、降りてくださいませ!」


 家宰かさいとメイドの集団が追いかけて来る。


 きらびやかなそれは、手すりからぴょんと飛び降り、私たちのところへ歩いてきた。


「レイモン殿下!」


 最初に気付いた母が、お辞儀をして深く膝を曲げ、スカートの両脇を広げるカーテシーを披露する。


「殿下!!」


 父もあわてて礼をした。

 その二人を無視して、殿下は私の前につかつかと歩み寄り、


「僕はレイモン。これからお前の御主人様だ。よろしく」

「は、はい。よろしくお願いいたします」


 私は礼儀を忘れ、眼の前の御主人様のぷるぷるのほっぺたをぷにぷにしたくてたまらない。

 

「……ぷるぷる」

「ん、なんだ? アデリーヌ?」


 王子が笑うと生えそろいかけた白い歯がキランと光った。

 あるかないかの風に、殿下の金髪が揺れて……。

 知性を感じさせる顔立ちにすんなり伸びた長い脚。

 絶世の美少女、いや美少年!


「天使のような王子様!」


 私はひと目で夢中になった。

 そして、それが間違いだったと気付くのに日はかからなかった。




「神よ、今日も一日無事であったことに感謝いたします」


 くたくたになった一日、後頭部はまだ痛む。

 でも、これも神様の思し召し。

 私はひざまずいて神に祈ってから、ベッドに入った。


 ん。違和感。


 跳ね起きて毛布を引っぱがしてみると、敷シーツが真ん中で上下に折り返してあって、これでは足が伸びないはずだ。

 これからベッドメイクをやり直すの?


「この悪戯は御主人様……いや、メイドのだれかかしら」


 私はアデリーヌ。十七歳。

 これでも聖女候補に選ばれた一人。

 いたずらの犯人をののしりたい気持ちをやっと鎮めて、のろのろとベッドメイクをやり直し、寝床についた。


 神様、私、なにか悪いことをしたのでしょうか?

 聖女になれると思い上がった罰でしょうか?

 こんなのあんまりです。


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